ジョエルの父親Ⅰ

 戦争が終わった!

 私が生まれ育ち、今も暮らしているこのラフラン共和国は、5年にも渡って隣国ツイード帝国との戦争をしていた。その戦争が終わったらしい。外では号外が飛び交い、ビラもまた舞っていた。

 人々はこれから訪れる平和な日々に喜び、浮かれていた。必ず訪れるであろう明るい未来に喜び、浮かれていた。

 その声を遠くに聞きながら、私と妻は悲しみ、俯いていた。ジョエル、ジョエル、ジョエル……妻は息子、ジョエルからの最後の手紙を握り締めて、ボロボロと涙を零し続けていた。嗚呼、私も同じ気分ではあった。

 戦争が終わった。皆はこれから訪れる平和な日々に希望を抱き、喜んではいるが……ジョエルは戻らない。二度と戻らない。私達に希望なんて何もなかった。しかし、しかし!


「まだ、我々にはやるべきことがあるぞ。ジョエルの為に」

「そ、そうね。そうね」


 妻は涙を拭い、ジョエルからの手紙を懐に仕舞い、顔を洗い、そして軽く化粧をして整えた。そうして一息つくと、予想通り……いや、予定通りコレットちゃん一家が乗り込んできたのだった。

 アレはどういうことだ! コレットちゃんの父親が先頭となって怒鳴り込んできて、開口一番にそう怒鳴った。アレって何だよ? と、内心でちょっと笑いそうになりつつも私は大きく頭を下げて謝罪した。


「我が愚息が、本当に申し訳なかった!」


 若干大袈裟な演技臭いと自分でも思いはしたが、そうでもしないと勢いはつきそうになかった。妻はそんな私の横で静かにしていた。化粧で多少整えはしたが、それでも充血した目は変わらない。変われない。まあ、此処は私が喋る形で良いだろう。

 こんな私達の様子を見てコレットちゃん一家は多少怯んだようだが、父親がスッと前に出て来て大きな声を上げた。良き父として、家族を守りたい。その気持ち故だろう。嗚呼、分かる。分かるとも。


「ジョエル君からコレットへ婚約破棄の手紙が来たぞ! これは一体どういうことなんだ!? 戦争が終わって平和になった。その平和な世を二人で支え合って生きていく。そう決め、誓ったからこその婚約じゃなかったのか!?」

「ああ、そうだとも。そうだとも!」


 その未来予想図は私達もずっと思い描いていた。だが、それは叶わないものになってしまった。クソが。クソが。クソがっ!

 胎の底から湧き出そうになる怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、私はそう言った。嗚呼、クソが。クソが。クソがっ!


「仮に婚約を無かったことにしたいのだとしても、こんな紙切れ一枚で済まそうとするのではなく、面と向かって直に言うのが筋だろうが!」

「ああ、そうだとも。そうだとも! だが、アイツがリゴンには戻れないと告げた以上、決めてしまった以上、親だとしてもこちらにはどうしようもないんだ!」

「そんな訳あるか! ジョエルを捕まえ、我々の前に……」

「戦争は終わった。だが、ツイードとの国交が正常化された訳ではない。それが正常化されるには最低でも数ヶ月、下手すれば何年もかかるだろう。その上で、仮に正常化されてツイードへ行けるようになったところで、アイツが何処にいるのか皆目見当がつかん!」


 私は勢いに乗ってそう言った。それはそう言われるであろうと予測し、予め決めておいた、謂わば台詞だった。

 とは言え、それだけというのも宜しくないだろうとは思っていた。ジョエルの父としてだけでなく、コレットちゃんの義父になる予定だった身として。

 私は一つ大きく息を吐いて、心を落ち着かせてから真っ直ぐにコレットちゃんに向かい、語りかけた。


「コレットちゃん、確かに君の父親言う通りジョエルが直接君に詫びるのが筋だろう。だが、それはいつ出来るようになるのか分からん。いつになっても出来ないかもしれない。君はそれを待つのか? 君には新しい生活があり、時が過ぎれば別の人を愛し、愛され、新しい家庭もできているかもしれない。その時になって、仮にジョエルが元婚約者でござい、あの時は済まなかったと言って、君に何か良いものがあるのか?」


 ジョエルは帰らない。それは覆らない。ならば、コレットちゃんはジョエルとは離れ、新しい生活を送るべきだ。それを思い、ジョエルもまたコレットちゃんにそんな手紙を送ったのだから。

 コレットちゃんは私の言葉を聞き、少しの間黙ってあれこれ想像し、考えてみたようだ。その横で彼女の父親はぶつくさぶつくさ私に向かって文句を垂れ流していた。ちょっと黙ってあげられないものか? 彼女の思考に邪魔だろう? 思ったところで、言ってしまうと余計面倒になるので言えないけれど。

 その文句を適当に流していると、それでもコレットちゃんは思考を終えられたのか、自身の父親に真っ直ぐ向かい、そして宣言した。


「いいえ、私は待たないわ」

「コレット!」

「パパ。私、就職するわ。戦後の人手不足の今ならば何処かで働けるでしょう。そうすれば気持ちも入れ替えられると思うの」

「しかし、コレット……」

「パパ、ジョエルは帰って来ないわ。そしてこんなマネをした以上、帰ってきたところで許せる訳がない。じゃあ、待つだけ無意味よ」


 コレットちゃんは自分の父親へそう言った。いや、宣言をした。迷いのない、ハキハキとした声で。

 彼女の父親はそれに気圧されたのか、戸惑い、混乱しつつも何か言葉にしようとはしたが、それを声に出せないでいた。コレットちゃんは、そんな自身の父親へさらに追い打ちをかけた。


「だから、私は忘れることにするわ。ジョエルのことは全部」

「…………そうか。コレットがそう言うのならば」


 では、ジョエルのことは忘れ、新しい人生を進んでいきましょう。コレットちゃんとその家族にとって、それで今回のことは終焉となるのだろう。

 ただ、我々にとっては違う。まだ終わってはいない。まだ、あの子の願いが残っている。それを叶えなければならない。私はジョエルが此処に残した貯金の入った箱を取り出し、彼女達へ差し出した。

 尚、ジョエルの言葉通り我々向けとして半額は抜いてあるのだが。


「では、此処にあるお金を持っていってくれないか。これはジョエルがコレットちゃんに渡すよう我々両親へ言っていたお金、慰謝料だ。君の将来の為に役立…」

「要らない!」


 決めたセリフを言い終える前に、コレットちゃんが即答で断ってきた。まあ、今までの言動を考えれば、それもまた予想通りではあった。顔には出来ないが、苦笑ものでもあった。ただ、予想通り動いてくれたこともあり、それへのセリフも用意してあった。

 少し長く息を吐いてから、コレットちゃんへ言った。


「ジョエルのことが許せない気持ちは分からなくもない。だが今は戦後の混乱期、どんなお金であろうとよりあった方が良いのでは? そして、これがジョエルのコレットちゃんへ出来る最後のことだ。致命的ではあるが、その一つの過ちでそれさえも拒否するのか? それ程ジョエルとの日々は後悔に満ちていたのか?」

「……………………」


 コレットちゃんは瞳を閉じて、ジョエルとの日々を思い返した。彼女の父親も含め、それを邪魔する者は此処にはいなかった。

 嗚呼確かに、戦争さえなければ私達の間には優しい時間が長く流れ、共に幸福な時間が過ごせ、幸福な家族になれたことだろう。そんな様が私にも容易に想像出来た。夢物語ではなく、すぐ一歩手前にあった未来として。

 同じように素敵な思い出が、未来予想が思い描けたからか、コレットちゃんの頬を一滴の涙が零れた。それを、これまで黙っていた彼女の母がそっとハンカチで拭い、肩に手を乗せて言った。


「コレット、頂いておきましょう」

「マ、ママ?」

「私にはジョエル君がどうしてこんな裏切りをしてしまったのかは分からないわ。でも、その最後以外の貴女達には優しさと愛が溢れていたことはコレット自身がよく分かっていたじゃない。これはきっと、ジョエル君からコレットへの最後の優しさであり、愛よ。それを無下にしてしまうと、きっとコレットは後悔してしまうと思うの」

「…………」


 コレットちゃんの母親は一瞬だけ私の方を見ると、軽く微笑んで頷いた。その様子を見て、彼女は何となく察しているのかもしれないと、私は思った。それで、これまでずっと黙って聞いていたのではなかろうかと。

 その上で、彼女は自分達家族にとって一番良い手を打つ為、そっとコレットちゃんに口添えをした。それは私達にとっても都合の良いことだったし、それも彼女は分かっていたのだろう。

 そんな母親の思惑通り、コレットちゃんは言った。


「では、有り難く頂戴致します。ジョエルへは素直にお礼を言えそうにはないけれど。……こ、これまでどうもありがとうございました」

「こちらこそ、これまであの子を大切にしてくれて、愛してくれて有り難う。嗚呼、本当に有り難う」


 礼を言ってくれたコレットちゃんに私も本心からそう言い、妻と共に頭を下げた。これまでジョエルと共に過ごしたコレットちゃんの家族との日々はとても幸せで、ずっと色褪せないものだった。

 それがこうして終わってしまっても、コレットちゃんのこれからの幸せを心から願えるくらいには、そんな日々をくれたことに感謝をしていた。

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