コレットⅥ&エピローグ

「良かった! 良かった……」


 このロランと結婚し、リセに引っ越しをする。

 一言にするとそれだけのことだったのだが、それを聞いたジョエルの母親はそれだけでボロボロと涙を零した。嬉し涙を落とした。

 どういうこと? どういうこと? 混乱した私に、ジョエルの母親は言った。


「コレットちゃん、貴女への手紙でも貴女の幸せを願っているといったことをあの子は書いたでしょう?」

「あ、ああ……ありましたね」


 言われてみれば、そんな文言があったような気がした。ジョエルからの手紙、既に全部燃やしてしまっていて、かつそれから数年経っているので記憶は定かではないけれど。

 ただ、それは就職活動で不採用の際に送られる『これからのご活躍をお祈り致します』的なものじゃなかったのか? そう思った私に、ジョエルの母親はさらに言った。


「だから私達もね、コレットちゃんが幸せになる姿を見届けておきたいと思っていたの。もしかしたら私達の義娘になったかもしれない子だもの。幸せを願わない訳がないわ。でも、でも……」


 ジョエルの母親はそこで言葉を詰まらせつつもジョエルの父親へ目を向け、お互いに視線を交わし、そして無言で頷き合った。

 どういうこと? 思う間もなくジョエルの母親は私に視線を戻して続けた。


「でも、もうお仕舞い。コレットちゃんは幸せになれそうだし、私達ももうこのリゴンの街に思い残したことはないわ」

「それで、お二人はこれからどうされるおつもりですか?」


 これまで黙っていたロランが、食い気味にそう訊いた。その目はとても真剣なものだったので、何でロランがそんなこと気にするのか突っ込めなかった。

 ただ、そんなロランとは対照的にふんわりとした雰囲気でジョエルの母親は答えた。


「私達も引っ越すわ、あの子に近い場所にね。あんな子でも私達にとっては大切な息子ですもの。こんな街で想い出を穢されるくらいならば、知らない街であっても少しでもあの子の近くにいたいもの」

「ジョ、ジョエルから連絡があったの!?」


 ジョエルの母親の口調からそれはなさそうだなとは思いながらも、私は念を押して訊いた。

 ジョエルの母親は予想通り、静かに首を横に振った。


「いいえ。いいえ」

「そ、そう……」


 私はともかく、ご両親にまで連絡をしないとは何事だ! この親不孝者め!

 そう思い、そんな言葉が喉元くらいまで上がってはきたが、音にはならなかった。出来なかった。

 ジョエルの母親の口調、そして両親の表情には、連絡のないジョエルに対する怒りのようなものが一切見えなかったからだ。

 どういうこと? そう違和感がなくはなかったが……


「では、あまり長くお邪魔してもよろしくないので、そろそろ失礼しようか」


 父がそう言い、お開きにしてしまった。他の皆もその父の言葉に従い、無言で立ち上がって帰る支度をしてしまった。

 煮え切らない所はある。だが、そこは詰められない。もう、私はジョエルの婚約者なんかではなく、ロランの婚約者なのだから。


「では、私達は行きます。さようなら」

「ええ、さようなら。幸せになってね」

「はい!」


 今度こそこれで最後なんだな。そう分かってはいたものの、3年前に既にもう会わないと思っていたからか、思い残しのようなものまではなかった。煮え切らなかった所も、まあ……いいかと。

 ジョエルの家を出て、特に意味はないけれど空を見上げた。空は透き通るように何処までも青く晴れ渡っていて、まるでこれからの希望を指し示しているかのようだった。だから私は微笑んでいられて、心の中で改めて言うことが出来た。

 愛しかったジョエル、今度こそさようならと。






 ジョエルの家に最後の挨拶をしに行ってから間もなくして、私とロランは予定通り結婚し、住居をリセへと移した。両親もそれから少ししてリセ近くの町であるナンセーヌへ住居を移した。

 ジョエルの両親は私達の結婚のタイミングで何処かへ引っ越したらしいが、何処へ行ったのかまでは分からないらしい。ジョエルの家は何処かに売却されたのかすぐに更地となり、別の家が建ち、別の人が住むようになったらしい。だが、近所のパン屋の女将だった例の女性が、ジョエルの両親が家を建て替えたのだと思い込んだ結果、また塀に落書きを行って今の住民に告訴されたそうだ。

 その話を、私の両親がリゴンに残る知り合いから聞いたらしい。嗚呼、あの人は未来に進むことが出来なかったのだなと残念に思いはしたが、もう何の関係もない人でもあったのですぐに忘れた。それよりも私達のことだ。

 結婚してから2年後、私達に子供が誕生した。女の子だ。そして、それから4年後には男の子も誕生した。私は初子が生まれるタイミングで銀行を退職した。勤務を続けることも出来なくはなかったが、銀行は転勤が多いので私がそこでの勤務を続けていると家族が離れ離れになってしまう可能性が高いからだ。その選択肢に後悔はない。必要があれば、そこでまた仕事を探せばいいのだ。


「コレット」

「マム」

「マム」


 それより愛しい旦那であるロランと、子供達が私にはいる。それだけで私は満足していたし、より良い未来が思い描けると確信出来ていた。

 嗚呼、私は本当に幸せだ。きっと、年老いて死ぬその時までずっとずっと。

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