コレットⅤ

「ジョエル君のこと? 言ったよ。言わざるをえないじゃないか。近所の人達に訊かれたんだよ。コレットちゃんは何をしているの? ジョエル君と結婚したんじゃないのってな」


 家に帰った私は、開口一番といった具合で父にジョエルの家のことを訊いた。それだけ私にとって、あの行為は腹立たしいものだったのだ。私の名を騙って、近所の人達が好き放題に暴力振るっているようにしか思えないから。

 父は眉間に皺を寄せて、幾度となく溜め息をついてから続けた。


「彼の家は何も言わないようだが、我が家も言えん。言った瞬間、彼等の標的が我が家になってしまうからな。業腹だが、彼等の中ではまだ戦争が終わってないのだろう」

「あ。私、ジョエルの家の塀に落書きしていた輩、止めちゃったよ? 近所のパン屋の女将さんだったかな?」

「…………そうか」


 父は少し考え込んでからそう答えた。近所の人達がこの家に何をするのか想像したのだろう。私もしたが、良いことには絶対にならなそうだった。

 そこからさらに少し間を置いてから、父は私に訊いてきた。


「そんなに腹立たしかったか?」

「ええ。だって、その落書きは私の為にやったとか言い出したんだもの。私は聞いてもいないし、お願いもしてないのにね。ったく、自分の行動くらい自分で責任取れっつーの」

「あの人の旦那、パン屋の主人はツイードとの戦争で亡くなっているからなぁ。怒りのぶつけ場所を求める気持ちも分からなくはないが」

「私のことを大義名分にしていい理由にはならないわね」

「まあ、そうだな」


 父はまた軽く息を吐き、そう言って笑った。父の様子からすると、他の人達も同じようなものなのだろう。ろくなもんじゃない。

 まあ、それはそれとして。父はロランの方に目を向けて私に訊いてきた。


「それより彼のことを紹介してもらっていいかな?」

「ああ、そうだった。その為に連れて来たんだった。彼はロラン。勤めている銀行での先輩で、そういう仲になったの。で、彼と婚約したからその挨拶をってね。ロラン、自己紹介を」

「了解。お父様、お母様、初めまして。私はロランと申します。この度はおたくの娘さんであるコレットさんと婚約させて頂きました。遠くない未来に私達は結婚し、幸せな家庭を築いていきたいと考えております。これから、何卒よろしくお願い致します」


 ロランは淀みなく挨拶し、ペコリと頭を下げた。そうやって挨拶が出来るのは、銀行で営業業務をやっている賜物なのだろう。

 父と母はロランの挨拶に感心したような顔を見せつつも、すぐ真顔に戻って父から私に確認してきた。


「ジョエル君のことは話してあるようだな」

「ええ。そして過ぎ去ったことだともね」


 父はそれからロランへ顔を向け、ロランにも確認した。


「ロラン君はジョエル君とのことをどう思ったかな? こんな娘だけれど、良いのかな?」


 こんな娘って何だ? つっこんでいいのかな? 良くはないんだろうな。

 そんなことをチラッと思ってしまった横で、ロランは真面目な顔をしていた。そして、ロランは少し考えてから、父の問いへ真面目に答えた。


「ジョエル君の最後の手紙には、正直違和感があります。ただ、彼がもう数年帰ってないのも事実。コレットさんに連絡していないのも事実。そして、今では僕がコレットさんの婚約者で、夫になるのも事実。何も変わりません」

「コレットを、私達の娘を幸せにしてくれるかな?」

「はい、誰よりも」


 何の迷いもなく、キッパリとそう断言したロランは非常に頼もしい顔をしていた。そして、こんなロランが私の隣に夫としていてくれることは、何よりも幸せなことなのだと改めて実感した。

 ああ、この人が夫だ。私達は夫婦だ。

 私はその幸せを嚙み締めながら、隣のロランに言った。


「ロラン、ありがとう。私もロランのことを幸せにするわ。ええ、誰よりも」

「うん。ありがとう、コレット」


 私とロランのやり取りを父と母は黙ってみていた。微笑ましいものを見るような目で。二人はそれから互いに視線を交わし、同時に頷いた。

 そうしてから、今まで黙っていた母が少し前に出て、私に向かって言ってきた。


「私達が変われずにいたから自然に貴女も……と考えてしまいがちだったけれど、コレットはしっかり未来へ進んでいたのね。……幸せに、なるのよ」

「ええ、幸せになるわ」

「で、二人は結婚したら何処に暮らすつもりだい?」


 母とのやり取りの余韻もないまま、父が即座にそう訊いてきた。父、少しは空気を読もうか。

 そうですねぇ。真面目に父の問いにどう答えるか考えたロランに、私はサラッと言った。


「ロラン、貴方にリセへの栄転の話があるって言っていたじゃない?」

「あ、うん。でも、コレットと離れたくはないからどうしようかなと考えていたやつね」

「ええ。あれ、受けましょう。私もリセへの転属願いを出すわ。受け入れてもらえないならば、今の銀行辞めてリセで仕事を探すわ。仮にもこのラフランの首都だもの。リゴンよりはずっと仕事もある筈よ」


 このリゴンではジョエルとの想い出が多過ぎる。そして、周囲の人達はそのジョエルとの想い出を穢し続けている。そうしたがっている。

 私はその行為を見る度に腹を立て、周囲と溝を作り続けるだろう。そうなる度に私は過去に捕らわれ、未来へ進めなくなる。


「ジョエルとのこと、このリゴンのこと、ここ数年はずっと見ないようにしていたけれど、キッパリとサヨナラを告げて未来へ行きたいの。ロランと一緒にね」


 私はそう言った。父母のことが嫌いになった訳ではない。だが、それ以外のリゴンがもう嫌いなのだ。此処に住んでいると、私は絶対に幸せにはなれない。

 少し息を切らしながら想いを告げた私を、ロランは横から優しく抱き止めてくれた。母もまた、テーブルを周って反対側から私を抱き止めてくれた。

 父は少し考え、うーーーーんと唸ってから言った。


「二人がロセで暮らしたいというのであれば、我々に反対はない。我々両親が一番に望むのは子供達の幸せだからね。住む所が決まったならば、何処なのか教えてくれればそれでいいさ」

「ありがとう、パパ」

「ありがとうございます」


 私とロランは父が言い切るよりも前なくらいのタイミングで、口々にそうお礼を言った。

 早いよ。何てタイミングだ。父も母もそう言って笑った。めでたしめでたし!

 そうしてこの話は此処で終わる筈のものだった。だが、父は続けた。


「コレット達が何処に引っ越したか分かり次第、我々も何処かへ引っ越しをするよ」

「「え!?」」


 父のその言葉に、私もロランも驚きを隠せなかった。

 そんな私達に、母が苦笑いをしながら教えてくれた。


「私達もね、このリゴンの人達のやることにいい加減嫌気がさしているのよ。コレット、貴女が今日心底嫌気がさしたのと同じようにね。だから、パパと話し合っていたの。コレットはいずれリゴンから離れるでしょう。では、そのタイミングで私達も離れましょうと」


 そうなんだ、へぇ。相槌を打ちながら話を広げ、また話が広がる。その後は他愛ない世間話となっていた。

 しばらくそんな世間話をして、そろそろお開きにしましょうかというタイミングで母がいきなり言い出した。


「じゃあ、最後に最後の挨拶へ行きましょうか」

「挨拶って何処に?」


 最後に最後の? その言い回しに若干の違和感を覚えつつ、今更挨拶なんて何処に行くんだと訊いた私に、母が答えた場所はある意味驚きの場所だった。


「ジョエル君の家よ」

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