コレットⅣ
銀行の窓口業務が忙しいという理由をつけて、私はずっと実家周りをゆっくり見ることをしていなかった。もっとハッキリ言ってしまうと、目を背け続けていた。
新しい私になる。新しい私になる。新しい私になる。そう心に決めていた私にとって、リゴンの町並みは過去の象徴でしかなかったからだ。
そんな私が、ロランとの婚約の挨拶の為に実家へ帰った際、当然ながらジョエルの実家付近も通ることになったのだが。
「此処がその、ジョエル君の家かい?」
「ええ、そうよ」
困った顔をして訊いてきたロランに、私も戸惑いながらそう返した。嗚呼、私もきっと同じ困った顔をしていたのだろう。
ジョエルの実家は酷く荒らされていた。石やゴミなどが投げ込まれて壁や塀は所々壊されていて、その壁や塀には『裏切り者』『人間のクズ』『売国奴』『地獄に堕ちろ』といった落書きが所狭しと書き込まれていた。
「酷いね」
「ええ、最低よ」
私はそれを『ざまぁ』とは思えなかった。最後には裏切られたが、それまではずっと仲の良い幼馴染であり、婚約者でもあった。ジョエルの両親にはとてもお世話になった。そう、こんな目に遭って良いものではなかった。
そしてまた一人、私の両親よりも少し高齢な女性がジョエルの実家の塀に赤のペンキで大きく落書きをした。恥を知れ、と。
お前が恥を知れよと思いつつ、私はその女性に声を掛けた。彼女は確か、近所のパン屋の女将だったか?
「何を、しているんです?」
「ああ、コレットちゃん! 見て、見て、見て! 恥知らずな裏切り者共にみーんなで裁きをしてあげたわ! これぞ報いよ。天誅よっ!」
コイツは何を言っているのか?
正気を疑うようなことを、その女性は平然と言ってのけた。寧ろ、良いことしてやったぞとでも言わんばかりのドヤ顔だった。
私は心底呆れ、大きく溜め息をついてから再度訊ねた。
「誰が、こんなことして欲しいって言いました?」
「貴女の為よ、コレットちゃん! 裏切り者に天誅をくれてあげたわ! 感謝してくれていいのよ? もう、こんなリゴンの恥晒し、苦しんで苦しんで死ねばいいんだわ! アハハハハハハハ!」
「!」
私はその女性の胸倉を掴み、落書きされた塀に叩きつけた。嗚呼、最低だ。最低だ。最低だっ!
私はその女性に再度訊ねた。
「ねぇ、誰がこんなことして欲しいって言いました? 私がいつ、何処で、誰に、こんな最低なことして欲しいって言いました? ねぇ? ねぇ? ねぇええええっ!?」
その女性は目を白黒させていた。まさか、こんなことをして本当に私が喜び、感謝するとでも思っていたのだろうか? そこまでのクズと思われていたのだろうか?
クソが。クソが! クソがっ!!
私は怒りで脳の血管がブチッと切れてしまいそうだったが、そんな私をロランが止めた。止めてくれた。
「落ち着こう、コレット」
「…………」
私は無言でその女性から手を離した。
ロランは落ち着いた声で、その女性へ言ってくれた。
「ジョエル君のことを悪く書かれていましたが、ジョエル君が貴女に何か害を及ぼしましたか? このリゴンの街に何か害を及ぼしましたか? そして、このコレットの為とか仰りましたけど、書いている時にコレットのこと思い浮かべましたか? コレットはこれを今日まで知りませんでしたけれど、コレットが喜ぶと思ってこうされたのですか?」
ただ、理詰めだった。理詰めで思い切り責め立てていた。まあ、確かにこんな下品なマネをして、それを私の為とか言うのは腹立たしい。
その女性はロランの理詰めに言葉を詰まらせた。それはとか、そう言われてもとか、答にならない言葉を繰り返した結果は……目に見えている。
「うるさい。うるさい。うるさーーーーいっ!」
その女性逆ギレをして、私に残ったペンキをぶちまけた。ロランには私を庇う間もなく、私の服は汚いペンキで汚されてしまった。
はぁぁぁぁ。私の心にあったのは、怒りよりも呆れであった。私は立ち去っていくその女性の背中に言った。
「もう、とっくに戦争は終わったのです。私はこちらの彼と未来へ行きます。もう、リゴンには戻らないでしょう。貴女も自分の責任で行動し、未来へ行って下さいね」
その女性からは勿論、返事はなかった。
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