八つ、血と霊と
「オヒキ婆、やれ。わしに落とせ!」
その言葉に既にうろたえていたオヒキ婆がさらに血相を変える。
「馬鹿言うんじゃねぇ、血筋者、それも主家の頭領にナガチ様を落とすなど血重ねの穢れ重ねじゃ。お怒りに触れて何が起きるか」
「覚悟の上じゃ、どうせもう長ぁない。せめてこの
痛みと恐怖にかちかちと歯を打ち震わせながら、ヘキレキはオヒキ婆を叱咤する。
確かに、ヘキレキは当主であった。
「もたもたするな、ここで花嫁を取り返されたら完全に血筋が絶えるぞ! 姫祭りを断つとはそういうことじゃ!」
オヒキ婆がぎっと歯を噛み締めると、目を閉じてあの低くか細い詠唱を始めた。
ヘキレキも一拍遅れて詠唱に入る。だがこちらは甲高くまた高らかな、血を吐くような絶唱、魂を込めた宣誓であった。
「これなるうけいひけいをでまいらせて、もちてながつかみのみのしょうじしょうじょうあいむかいまいらする、おろかにござればけちえんのちよやちよ、さかさにさかきにふりかざし、ふりかぶせぐしておんめしまいりそうらえ!」
唱えきると同時に、まるで返事をするようにオヒキ婆が絶叫した。
白目を剥いて、口の端を吊り上げて、言祝ぐように。
「ほぎゃああああああああ! ほんぎゃああああああああ!」
一瞬だった。
空気が瞬時に生臭く、生温く変わる。
ヘキレキの上半身が一瞬で無くなった。
残った下半身も真っ二つに割れて、両脚を一文字に伸ばした形に潰れている。
死体からにじみ出て縁取る血だまりが、異常に小さい。臓物の欠片も見当たらない。腹部は空っぽになっているようだった。
オヒキ婆の姿もつい先ほどまで有った場所からかき消えていた。
こちらは何の名残も残していない。
そして洞窟の奥の暗がりから、重いものを引きずるような音が聞こえてくる。
後には、花嫁の姿だけが無事に取り残されている。
「ははは」
フザンは笑った。笑って、呆けたように座ったままの花嫁を肩に担ぎ上げて、後に下がる。
ヘキレキとオヒキ婆のあった場所に目を向けたまま、後ろ向きに。
担がれる花嫁に抵抗する様子はなかった。
「認めてやるよ」
花嫁に向けたものではない。
誰にともなく、フザンは声に出して喋っていた。
笑みを含みつつも、どこか静かで厳かな声音で。
そもそもフザンには、やろうと思えばヘキレキの詠唱中に首を飛ばす程度の事は訳も無い。
訳も無い上で、やらなかった。
「お前らは空き巣を伏して拝む節穴の不届き者で、統治者としちゃあお粗末の限りで、ちょっとばかし古風だが芸達者な術士で」
一瞬、言葉を切って。
「俺の知る限りじゃあ、そこそこ真っ当な神職だっだよ」
誰もいない虚空に向かって、フザンとしては惜しみない賞賛を贈る。
およそ滅多にある事ではない。
「自分の祈った神に逃げずに捧げ切った事だけは褒めてやる。同じ愚物でも大抵の奴は、土壇場になって言い訳を喚いて逃げて、結局無駄に死ぬんだ」
フザンは楽しげに、そしてどこか懐かしげに笑っていた。
人間ならば、懐かしい友人と邂逅した時にこんな顔をするかもしれない。
「それに比べりゃ、お前らのは随分と出来た覚悟だったよ」
這い出してきたのは、洞窟の幅の半ば以上を占める巨大な蛇身だった。
その鱗は明暗様々な緑や茶、灰色で構成されている。
確かに遠目には斑模様と言って良い。
だがその実情は、巨大な鱗と毛皮や岩肌の継ぎ接ぎであった。
胴体に対して頭がやや大きい。胴よりも二回りは太く厚みがある。
だがその前に、それを頭と呼んでいいのか分からない。
巨大な瘤のような肉塊は、無数の獣や人間の頭と手足の集合体だったからだ。
生えた部位は蠢いていた。ゆらゆらと、海底で揺れる海藻のように緩慢に。
どれも眼球は白濁し、皮膚はところどころ禿げて赤黒い肉を晒している。
瘤の中央には他より二回りは大きい人間の頭が埋まっているが、それでも瘤の全体からすると鼻先とするにも小さすぎる。
長く髪を垂らした細長い女のようなその顔は、どこかヘキレキにも似ているようだった。だがその目と口の場所にあるのは他とは違い、大小のまん丸く開いた黒い穴である。
「……結局、出てきてしまったか」
苦々しい声がフザンの背後から聞こえた。
歩いてきたザイレンの顔と法衣は灰色に薄汚れていた。
どうやら口寄せの瞬間は見ていなかったようだ。見ていればフザンがみすみす術式の完成を見逃した事に文句の一つや二つは言っただろう。
「やっと起きたか、随分のんびり寝てたじゃねぇか」
「やれやれ、無茶ばかり言ってくれる。流石に死ぬかと思ったぞ」
「言っただろ、逃げるなと。槍を逸らしたら死んでたさ」
普通ならそれでも死んでそうなものだが、とはフザンは口にしなかった。
「しかしナガチ、いやナガツカミか……もう少し捻ったものが出てくるかと思ったが」
「お、知ってるのか?」
口寄せを見ていなかったのに名前を知っていた事に、フザンは軽く驚いてみせる。
「この見た目は伝承が残っている。神格持ちの悪魔としては、等級は中の上といったところだろう。術士なら霊道塞ぎの呪詛神と言えば通じるか?」
「あー、ミサキ神の一種か……死霊の通り道を産道に見立てて、水子を
空いた片手でぽりぽりとこめかみを掻きながら、フザンはすらすらと答える。
フザンにもなんとなくそういう知識はあった。かって自分に祈った連中には、その手の術式を用いた者達がいたのだろう。
「元々は人工の霊場を作り出す外法の一つだな。最終的にはただの忌み地が残るだけだってのによ……って、おい。ちょっと待て、じゃあこいつは作り物の神だってのか?」
だとすれば、わざわざ褒め言葉をかけたフザンとしては顔に泥を塗られたようなものだが、ザイレンの補足がその疑念を解く。
「正確にはその概念を取りこんで形を得た高次存在だ。あるいはこちらが先かもしれないが」
岩厳霊の原型ともなった、死の苦痛と死後の未知への恐怖。その
だがその輪郭がそもそも在った存在の形そのものであったとしたら。
存在そのものが死の
あるいは、積み上がる無数の死に対して、本能的にこの神格の形を見るが故に、人は死体を恐れるのかもしれない、とも。
「おそらくは死霊の大量発生で詰まった霊道に概念の由来を重ねて
「どっかで聞いたような手口だなぁ。いや、古典的って言ってやるべきか」
何せフザン自身、似たような事は散々やっている。こちらは生物的な理由は特に無く、ただ自らの有り様故にだが。
当たり前だが、人喰いは人を喰うからこそ人喰いなのだ。
それにしても飽きもせずに盲目的な願望に踊らされる人間へと
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