六つ、建前《たてまえ》と戯言《たわごと》

 洞窟を塞ぐ社の門扉には、当然のように鍵がかかっていた。


 この辺では珍しい内蔵式の鋼鉄の錠前、さらにかんぬき固縛こばくの封印術式を加えた三重の封鎖である。

 術式はともかく、鍵のような仕組み絡繰りはフザンにとって意味がないからこそ、正しい開き方など憶えていない。


 しかし少し力を入れて強引に破ろうとしたフザンよりも先に、ザイレンが扉の前に進み出た。

 正面に立って少し角度を変えながら何度か眺めた後、懐から取り出した破魔の札を貼り付け、鍵穴に細く薄い鉄片を差し込んで難無くこじ開け、更にはそのまま門の隙間に滑り込ませて向こう側の閂を持ち上げ、ほとんど音も立てず扉を開く。

 流れるような手練の早業であった。

 こんなところでザイレンが役に立つとは思わなかったフザンは、若干複雑な気分を憶えつつも、鷹揚おうようにこれを褒めた。


「やるじゃねぇか。お前、本職は坊主じゃなくて泥棒だったのか」

「失礼な事を抜かすな。この程度も出来ずにむざむざ囚われなどするものか」


 褒め言葉と捉えるはずもなく、ザイレンは嫌そうな顔でフザンを一瞥いちべつすると、社の最奥、洞窟の入口に向かって歩き出す。

 扉の奥の暗がりに、居並ぶ灯りの列がうねっている。

 洞窟は真っ直ぐではなく、蛇行していた。

 僅かにではあるが地下へと降っていく感覚もある。

 だが葛折というには曲がり角が緩過ぎた。


「連中、自分たちが少しずつ人間を止めてる自覚はあるのかねぇ」

「神に近づいていると解釈している可能性もある。実質的には同じ事だが」


 背中越しに答えるザイレンに、ふとフザンは意地の悪い笑みを浮かべて言った。


「……しかしあれだな。お前、本当に坊主か?」

「どういう意味だ?」

「さっきの二人も、その前の三人もそうだが、お前は殺した俺を褒めこそすれ、責めないだろう。それでいて花嫁を殺したと勘違いした時だけ怒った」


 最初、ザイレンはフザンという来訪者が殺される事を案じて異能者の後を追ってきたと言った。実際は何の役にも立たなかったが。

 いらぬ死人が出るのは本望ではない、とも言っていた。

 辻褄が合わない。

 そう前を行く背中に向かって言葉を投げかける。


「大抵の神は無益な殺生を禁じているものだろう。お前とお前の神にとって、人の命には軽重があるのかい?」

「なるほど、もっともな疑問だ」


 振り向いて立ち止まる。進めよと手振りで示すと、フザンの横に並んできた。

 フザンには男も女も関係ないのだが、正直に言えばこの男の距離感はどこか気持ちが悪い。

 ザイレンの方はと言えば、無論毛ほどにも気にする気配は無い。


「結論から言えば、我が主神たる鉄火神も無益な殺生は戒められている。ただし戦神としての面も持つが故に、闘争自体までを禁じてはいない。自らの身は守らねばならず、不条理な暴力も諫めねばならない」

「俺と連中のありゃあ、闘争かい?」

「いや、闘争にもなっていないだろう……だが、致し方ないとも言える。この村の人間の多くはそうだ。他者の非業を自らの欲得よくとくに変えて生きる行為に、開き直ったか見て見ぬ振りをしてきたかの違いだ」

「だから死んでも当然だってか」

「俺は人間だ。人間である以上、他人の命の価値を勝手に定められようはずもない」


 二人はやしろの入口を潜った。途端に洞窟がその内部をさらす。人の通り交いは相応に頻繁ひんぱんなのだろう、奥へと向かって点々と灯りが並んでいた。

 洞窟は入口に比して長く、奥に行くほどに広くなっているようだった。入ってすぐは背中を丸めていたザイレンも、すぐに背筋を伸ばせるようになった。

 床も壁面も灰白色の岩で出来ている。じくじくとしみ出すような湿気で洞内の空気は薄ら寒い。


「だが同時に俺は神ではない。手の届く範囲ですら、全ての人間を救えるような存在ではない。……いや、正確ではないな。そも人間が人間を救う事など出来ぬ。手を差し出すのが精々だ」

「いいのか、坊主がそんな事言って。ただの開き直りじゃねぇのか」

「出来もしない事を出来ると思い込む方が問題だ。特に俺のような、神に仕え神の力を借り受けて、その行いの一端を担う責を否応なく負う者は」


 岩壁に打ち込まれた燭台で、蝋燭ろうそくが燃えている。

 灯りに照らされたザイレンの表情には何の揺れも見えない。

 まるで精巧な銅像のように。


「神の加護を得てなお我らは人に過ぎん。全てを救えぬ以上、我らは手を差し伸べる相手を区分し選択する事を避けられぬ。死なせてはならぬもの、死ぬべきではないもの、死ぬわれのないもの、死んでも仕方の無いもの、死ぬ事を避けられぬもの、そして可及的速やかに死すべきもの。特に最期の二つは、神に仕える者とて手の施しようがない。先の連中は仕方が無い程度だが」

「ははっ、大分物騒な事を言い出したな」

「火を見て自分から飛び込む者は火の無いところに留め置くしか無い。無理に手を掴んだままでいると逆に引きずり込まれる。巻き添えは出してはならん。まだ何もせぬ内から、疑いのある者を焼いてしまえという声が出る。拒めば人が離れ、やはり衰え滅びへと向かう」


 からかうようなフザンの言葉に、まるで表情を動かさずにザイレンが答える。

 自分の言葉に何の迷いも抱いていないか、あるいは何かを見続けた挙げ句に諦めの境地に至ったのか。

 彫像の顔からうかがい知る事はできない。


「大抵の人間は死ぬ謂われの無い者か、仕方の無い者のどちらかだ。ただし、死すべきであっても勝手に手を下してよい訳ではない。人を救えぬ人たる我らには、人を裁く権利も権限もないのだから。人が人に出来るのは、人の群れが定めた法の内で対処する事だけだ」

「神が定めた法じゃなくってか」

「神の法を扱えるのは神だけだ。人間には神がその法の内で与えるものを受け取る事しか出来ん」


 ふとフザンは思い浮かべた。


 ――もう殺して黙らせようか。


 ザイレンの言葉は真摯にして敬虔けいけんな響きを宿している。

 にも関わらず、いやだからこそ、傲慢だった。

 神に寄るあまり、人をないがしろにする言葉だった。

 それは神の領分だ。人が人のまま語っていい言葉では無い。


「無論死んでも仕方ないとしても、死なせずに済むのならなるべく助ける。だが、この場でお前という強力な術者を打ち倒すのは俺には出来ん。まずは花嫁を救出する事に専念するしかない」

「そいつぁ殊勝だね、まったく」


 まったく気持ちの籠もらない――正確には持ち合わせていない――返事を返しながら、何故かフザンは刻一刻と不愉快を強めていった。

 僅かに、腹の奥底に落ちたはずのドウツキの血肉が、流動し渦を巻いてる感触がある。

 有り得ない話だった。

 フザンのどこにそんな事を感じる理由があるというのか。

 確かめるために、もう少しこの不遜ふそんな会話を続ける気になった。

 空中に浮かぶ箱に繋がって支える、見えない糸を探るように。


「そういや、死なせてはならないと死ぬべきではないって、どう違うんだい」

「死ぬべきではない者の死は人の世を生から遠ざける。死なせてはならぬ者の死は他の多くの死を招く」

「早いか遅いかだけなら大差は無いだろう」

「そうかもしれぬ。だが時に、死なせてはならぬ者は人の世の滅びまでも呼び寄せる」

「へぇ、本当なら剛毅ごうきな話だが、そんな人間が実際にいるのかね」

「古に、死なせてはならぬ者を死なせてしまった結果、月が落ちて人を滅ぼしたという言い伝えがある」

「なんだそりゃ。滅んだら今いるこの世界と人間はなんだってんだ」

「少ない生き残りと、後は足りぬ分を神々が甦らせて乗り越えた」

「なんでもありだなぁ、お前んとこの神は」


 色んな意味で無体極まりない戯言たわごとに、さすがのフザンも呆れ声が出た。

 それどころか反射的に殴り殺すところであった。

 花嫁まで目と鼻の先に迫っている感覚が無ければ、実際そうしていただろう。


「事を主導したのは我が主神より上位の神々と言われているが、定かではない。確かめようもない。当時を知る人間はもう誰も生きていない」

「当たり前だ。そもそも生き返った時点で人間かよ」

「分からぬ。が、今我々が生きている以上、人間かそう違わない何かだったのだろう」


 最期まで真顔で答えていたザイレンが、突然顔をわずかにしかめて声を潜め、限りなく小さな声で呟いた。


「この世では、人には自ら滅びを選ぶ権利が無い」

「……?」


 それだけで何を意味するのかも分からない呟きが、フザンの中の何かを刺激する。

 それは奇妙な感覚だった。

 何しろフザンは夢を見ない。

 どうでもよい過去でも、意識しない限り朧なだけだ。忘却という機能をもたない。

 故に、存在しないはずの記憶などというものに、縁があるはずがないのだ。

 フザンの知らない、なのにどこか懐かしい光景が脳をかすめる。

 一瞬で意識を走破した幻像は、無味乾燥の極みだった。


 ――大地が割れ、山が火を吹き、海が立ち上がり、何もかもを飲み込む。

 ――誰も居なくなる。太陽と果て無き海原だけが残る。そしてやがて海すら干上がり、露わになった海底に降り積もった残骸の白が少しずつ減っていく。

 ――遠い高みから、ずっと長い間、全てを見下ろしていた。

 ――自分が消えてなくなるまでの、長い間。


 長いのか短いのかも分からぬ回想からフザンの意識を引き戻したのは、またもザイレンの呟きだった。


「いたな」

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