五つ、紛《まが》い物と謀《たばか》り物

「ああ、どうかお助けを……」

「いや、お前じゃねぇよ」


 そういってフザンは白無垢に身を包んだ娘の顔を張った。

 娘の首は呆気なく肩の上から吹き飛び、少し離れた土壁にぶつかって半ばめり込んで、半ば潰れてしまう。人外の膂力のなせる技だ。


 村の最奥、最も高い位置にある神職の屋敷。

 洞窟があるという裏手は屋敷で蓋をしたような形で塞がれていた。

 屋敷は恐らくは当初洞窟を塞ぐための社だったものを、幾重もの無秩序な増築で縦に引き延ばして出来たものだった。

 娘は元の社のすぐ手前に設けられた座敷牢の中にいた。

 世話役と思しき年増女と抱き合って震えながら。

 ザイレンの止める間も無く、フザンは軽々と牢の鍵を壊して中に乗り込んだ。

 その直後の所業である。

 年増女は今、娘からほとばしった血を頭から被って、呆然とした顔で固まっている。


「貴様……」


 フザンの背後でザイレンが押し殺した声で呻いた。軽く振り向くと燃えるような目つきで睨まれる。助けるはずの娘を目の前で殺されれば当然とも言えよう。いやむしろ抑制されている方かもしれなかった。

 放射熱そのものと化したザイレンの視線に、面倒だからそろそろこの辺で殺してしまうべきか思案しつつも、フザンは後ろ向きに親指で壁を示した。


「落ち着けって。見ろよ」


 いぶかしげに視線を移したザイレンがぎょっとして目を見張る。

 土壁に叩き付けられて潰れかけた顔は、もう娘の顔をしていなかった。頬は削げ、目が落ちくぼみ、半分抜け飛んだ歯はそれでもなお並びの悪さを見てとれる。

 首の上にあった時とは別物にしか見えない。


「別人だ。女ですらねぇよ」

人遁じんとん……変装術か」

生面なまづら写しだ。自分の目で見た相手の印象を被れるんだろ」


 そして残った中年の女を見下ろす。そのまま身を屈めて、血濡れた面の皮に鼻先が触れる寸前まで顔を寄せる。


「な、ひ、な」

「残念だったな。目はそれほどよくないが、その分鼻は利くんだよ」


 フザンにも食べ物の善し悪しは分かる。若干うるさいくらいだ。


「で。本物の娘は何処だ?」


 フザンと目を合わせた女が目を見開いた。

 口が大きく動く。何かを言おうとして、いや吐き出そうとしているように見える。

 しかし吐き出したいものが喉の奥につっかえて、必死にえずいている、そんな風に。


 吐瀉物としゃぶつを被るのを避けて、フザンが数歩距離を取った。

 女があがき、もがいた末に、その口から息も絶え絶えに言葉の欠片が転がり出る。


「お、おま、ばばっ」


 だが、つかえたものが完全に出切るより先に。

 女の顔が爆ぜた。

 

 まず内圧に耐えきれず、眼球がぽぉんと弧を描いて飛び出す。

 ついで顔面の穴という穴から桃色がかった灰色の肉片がひり出される。

 流れ出る血と油のような液体は、元々被っていた返り血に混じってしまってもう区別がつかない。

 血と肉片と体液の海。惨状さんじょうというしかない汚濁おだくが座敷牢を汚染しきっていた。


「……お前、今度は何をした」

「さぁてね。口封じの術でも仕掛けられてたんじゃねぇの」


 流石にげんなりとした様子のザイレンにうそぶきながらも、フザンは当然何が起きたかを知悉ちしつしている。

 一人が変装の達人なら、もう一人は読心の術を心得ていたのだ。

 人を偽り謀るにはこれ以上ない異能の組み合わせである。


 あくまで人相手なら。


 フザンの頭の中を思考査読しこうさどくが出来る人間が覗いた。だがそれは人間の脳が扱えるような形の情報ではない。

 読み込んでしまったものを処理するために頭に極度に血が昇った結果、脳味噌が内圧に耐えきれず破裂したのだ。


 この過程をザイレンに説明しようとすれば自分の正体も明かすしか無い。だからしつこく聞き出してこようとするなら、今度こそこの奇怪な僧侶もここで殺してしまうつもりだった。


 だが若干いぶかしげにしながらも、ザイレンはそれ以上踏み込んではこない。

 フザンは妙な気分だった。目の前の肉を喰う機会が後に伸びた事に何も思わない。


 どうにもこの鉄面皮坊主が美味そうに見えないせいだ。


 これまで喰った坊主の多くが肉付きが悪く骨っぽかったせいかと思ったが、ザイレンに関しては僅かに見上げるほどの体格であり、その例には当てはまらない。

 結局茫洋と心当たりを探りながら、適当な会話を続ける事になった。


「しっかし異能のたたき売りだな。しかも神職法術とまるで関係ねぇ能力ばっかだ」

「ここに来る前に聞いた話だが、ナガチ様とやらに仕える神職の血筋には、様々な異能者が生まれるようだ」

「血縁って事か。近親婚でも繰り返してるのかよ、壺の鼠じゃあるまいし」

「幾らかはそれもあろう。だがあるいは、姫祭りは確かに神との婚姻なのかもしれぬ」

「ああ? 神が本当に人間を娶るって言いたいのか?」

「あるいは、花嫁がナガチ様とやらの器なのか」

「……神を降ろした花嫁と番って子供を作ってるってのか? 気色の悪い話だな」

「いや、異能は神職直系だけではなく、親類からも生まれている。条件が異なる」

「じゃあ何だってんだ」

「恐らく、花嫁にナガチを降ろすと花嫁は死ぬ。これは実質ナガチに喰われるようなものだろう」


 喰われるようなもの、という言葉にほんの僅か、フザンの目が細められる。

 ザイレンは気にした様子も無く言葉を続けた。


「短期間ではあるが花嫁はナガチと一体化する。その結果、花婿は同時に神の婿にもなる」

「供物の代償に、豊かさに加えて神との混血まで望んだわけか」


 神職達が自分たちに流れる血統そのものに神を混ぜる儀式。

 それが姫祭りの正体だとザイレンは言っていた。


 フザンは半分失笑し、半分納得した。


 人は恐怖に形を与えた後、自ら恐怖と一体化しようとする事がある。時に凶悪な面相を形作るための化粧や仮面で自他に暗示をかけ、過酷な試練や薬物によって心神喪失しんしんそうしつを引き起こし、普段なら発現しない感覚や思考に身を任せる。

 そうして、人という殻を脱して人外との距離を縮めようとする。ある意味では確かにそれは神に近づく行為だ。


 だがフザンからすれば結局の所、神は人間には理解できない事を自ら立証しているに過ぎない。


 その事に無自覚に人のまま神の親類を気取るなら、それは傲慢だ。

 神に対する罪過である。


 ハンジョウの神職を生かしておかない理由を一つ追加しながら、フザンは牢を出た。

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