四つ、坊主と念仏

 小男が不意を打たれた事を露わにしたまま、背後を振り向いた。


「貴様ァ、何故ここにいる!?」


 色褪せた僧服を着込んだ男がそこにいた。

 といっても髪は背中の半ばに届くほど長い。肌はやや淡い褐色、髪の色は針金のような鉛色。顔には幾つか幾何学的な模様の入れ墨が入っている。薄く鋭い目の色は、黒に見えて光を反射する時に薄赤く輝く。

 僧服に似合わぬ、不吉な色だった。


「無駄だ。それ以上は」

「てぇぇぇぇい!」


 現れた異形の僧侶は、小男の問答無用と放った投石に頭を直撃されて横転した。

 倒れた姿はぶつかった額が割れて血を流し、首の角度が明らかに有り得ない角度にひん曲がっている。

 さすがに想像を越える惨状に、フザンも思わず呆れ顔になる他なかった。


「……なんだぁ、今のは」

「てぇぇぇぇ!」


 僧侶の見かけ倒しっぷりに勢いを得たのか、再度奇声と共に合掌を向けてくる小男。だがフザンは言い終わるよりも早く、軽く肩をすくめて素っ気なく言い返した。


「返すぜ」


 次の瞬間、一抱えもある岩がどこからともなく降ってきた。

 小男の真上に。


「ぶぎっ」


 小男は頭を丸々叩き潰されて、あっけなく絶命する。


飛礫つぶてならこれくらいはやってくれよ」


 首無し死体を見下ろして呟く顔は、しかし今ひとつ晴れやかではない。

 フザンに石飛礫は効かない。それどころか軽く手を払う程度で勝手に十倍返しにして打ち返せる。打ち返してしまう。

 だが逆に言うと、フザンに石を投げつける程の不敬が頭を潰された程度でちゃらになるはずがない。

 縁を辿って報いを与える事は出来るだろうが、今はその暇が惜しい。何とも消化不良ではあった。

 せめて暖かい内に喰っておくかとも思いつつ、基本は躍り食いを信条とするフザンとしては機を逃した感が否めない。


「まぁ、人間にしちゃあ出来る方だろうし、案外珍味かもしれんな。さっきの小僧も悪くなかったし」

「死んでしまったか」

「うぉっと」


 思わず声が出た事に誰よりもフザン自身が驚いた。

 すっかり即死したと思っていた僧侶が、何事も無かったように傍らに立っていた。


「奴は気勢だけで山頂から石を呼ぶ口寄せの達人だったのだが、その術を一度で見切って返すとは。見事……いや、凄まじいというべき技量だな」


 何事も無かったように語る僧侶を、フザンは半目で眺めた。

 人間にしか見えない。なのに、どこか人間に見えなかった。

 ただ、そもそもフザンには人間の細かい見分けなどつかない。共通点と相違点など整理できようはずもない。

 なので率直に口に出した。


「お前、さっき死んでなかったか」


 かなり不躾ぶしつけな質問に、僧侶は眉の一つも動かさず答える。


「死んではいない。石に頭を打たれて転んだだけだ」

頭蓋さらが割れて、首の骨が折れてただろうが。見てたぞ」

「それは治した。即死するようなものではなかった」

「治したって……ああ、癒やしの法術か。そうか、捕まった間抜けな神官とやらはお前かよ」


 あの傷で死なない人間は果たして人間なのかという疑念は浮かんだが、フザンには人間がよく分からない。

 そういう事もあるのか、程度にしか思わなかった。


「如何にも。ザイレンと申す。火神門下かしんもんか鉄火神てっかしんに帰依する身である」

「鉄火神……知らねぇな。相当に辺鄙へんぴなとこの神格だろ」

「火神の従属神、鍛冶神の子弟神として末席に当たる故、無名は異を唱えようもない」

「ひでぇ見かけ倒しの坊主もいたもんだ」


 呆れた口調になるのも仕方ない。ザイレンの身長は長身に属するフザンのなお頭半個分は高く、見た目の押し出しは強い方だ。にもかかわらず先の体たらくである。

 基本的には神は知られている方が強く、おそれられている方が強い。無名の神なら出来る事にも限りがあるだろう。神官としての格も自然と上下が生まれる。

 だがザイレンには皮肉を解する知能は無いようだった。気にした様子も無くフザンに質問を投げてくる。


貴殿きでんも近隣の村に頼まれた者か」

「まぁそういうこった。村じゃ無くて此度こたびの花嫁の親にだがな」

「そうか。俺も過去に娘を奪われた村の者達に頼まれた」


 そう言ってザイレンは聞かれもしないのに自らがここに来た経緯を語り出した。


 数日前ザイレンが訪れた村は、元々はハンジョウを拓いた者達の故郷だった。

 しかし、何年も前から立場が逆転してしまったそうだ。強引な人や物の無心が横行し、特に嫁と目を付けられた女性をさらわれたのは、二度や三度の事ではなかったという。

 しかしハンジョウに逆らった村は直後に必ず酷い不作や疫病に見舞われるため、その村を含めて周辺の集落内の有力者は見て見ぬ振りしかできない。

 これ以上の横暴を止めるよう説き伏せてくれと、過去に親類を奪われた村人達に旅の僧侶であったザイレンが頼み込まれたのだという。

 乞われたザイレンは昨日閉鎖される前のハンジョウに乗り込み、神職の家に真っ向から浚った女性を返すよう直談判した。

 フザンは阿呆かと言うのを溜息に混ぜるに止めた。

 無駄は時に嫌いではないが、徒労はいとう性である。


「それで呆気なく捕まって……いや、わざと掴まってたのか」


 でなくては、戒めを逃れて今ここにいる道理が無い。


「その方が花嫁に近付けそうだった。連中も、多少は外聞に気を遣う。その場で殺されるような事はあるまいと思ったし、実際その通りだった」

「なのになんで態々こっちに来た。逃げるか花嫁を探し出すいい機会だっただろう」

「予定の無い客が増えたと騒ぎになっていたのでな。ツブテ……あの術者は村の中限定ではあるが、中々の強者だ。いらぬ人死にが出るのは本意ではない」

「……」


 割って入ったはいいものの、呆気なく倒された事には触れない。

 ザイレンと言ったこの神官はどうやら、底抜けの愚か者かつ善人の類いであるようだった。

 フザンの知る限り、この手の人間は共食いを辞さない悪人よりも周りに与える被害が大きい害悪である。フザンにとっても害虫の類いと言える。

 だが、同時にハンジョウの神職がこの男を殺さなかった理由も理解はできる。

 ハンジョウとて多少豊かでも所詮は一集落。人身御供ひとみごくうが世に明らかになり、三天六大さんてんろくだいの神殿が神殿騎士団を遣わすような自体になれば、流石に一溜まりも無い事は理解しているようだった。

 だがそれが分かっていてなお、周辺の住人では、恐ろしくて告発できない。享受してきた恵みを失って飢える事も、邪悪な信仰に加担したかどで地神の神殿に裁かれる事も。

 多くの者に出来るのはただ、何時か訪れるであろう破滅を、震えながら待つ事だけである。

 その意味では、他人任せとはいえザイレンに頼み込んだ者達はまだ良心を残していたと言えるだろう。


 なんにしろおかしな話になってきた、とフザンは空々しくも気怠く思い浮かべた。

 フザンにとって、多少腕と法力に自信がある程度の人間が十や二十束になったところで、何の意味もない。

 だがあっさり鏖殺おうさつして過剰に警戒されるのも得が無い。フザンの領地、神域は山中である。山自体を人払いの結界で仕切られてしまうと、当分餌場としては機能しなくなる。

 一つや二つ減ったところで困る事は無い。それでも小癪に感じる事は確かだ。人の工夫と努力で自分が不便になるなど理に反していると感じる。


 何より、他の神々の勢いが増すのが気にくわない。


 人が己を畏れて二の足を踏む事自体はまぁいい。自然な事でもある。落ち着いた頃に優しい声でもかけてやれば大体は感激して寄ってくるものだ。

 だが、他の神を信じる者達は疑り深くなる。それどころかフザンの声自体を忌避きひし、聞かなくなる。山に入れば飢えずに済むと言っているのに、平地に留まって飢えてやつれる。勝手に、頑なに。


 不愉快だった。


 結局死ぬのは変わらぬでは無いか。だったら何故長く苦しむのか。一時の安穏あんのんと引き換えに、俺の腹に収まるのがそれほど嫌か。


 否。


 喰われる事自体を、異教の人間達は知らず、勘定に入れていない。

 無為に苦しむ道を選ぶ者達がフザンには理解出来ず、不快だった。




「村長の屋敷の裏に洞窟があるそうだ。生贄の儀式が行われるのはそこだろう」

「ありがちな話だなぁ。捻りがねぇ」


 半ば上の空で進んでいたザイレンの話に、フザンは久しぶりに意識を向ける。


「俺はそちらに向かう。貴殿はどうする」

「もちろん行くさ。ここで娘を殺されたら両親に会わせる顔がない」

「有り難い話だ。礼を言う」

「なに、あたら無為むいに命を散らすもんじゃないさ」


 無為という言葉に籠もった響きに、ザイレンが気付いた様子は無かった。

 フザンは、不毛をいとうている。

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