二つ、通せんぼと前菜

「ここから先は通れないよ」


 毬栗いがぐり頭で線の細い青年が立っていた。

 成人は迎えていそうだが、黒目がちの大きなドングリ眼のせいか、顔立ちはどうにも幼く見える。


「そうかい、邪魔したな」


 きびすを返そうとするとさらに背中に言葉を投げつけられた。


「帰れもしないよ」


 道もない山肌、腰の上まで届かんという堅い草叢くさむら只中ただなかを、フザンが掻き分け進む最中の事である。





 本来なら一足飛びにハンジョウという村の中に現れる事も出来るはずだった。フザンにとっては本来庭に等しいどころか、口腔や胃の腑にも近い土地だからだ。

 しかし何やら出現を阻む膜のようなものがあるのを、フザンは感触で知った。

 勿論その気になれば破る事は容易い。だが明らかに空き巣にも感付かれる。


 逃げられてまた繰り返されるのも鬱陶しい。

 だから膜の内側までは人の振りをして入る事にした。

 なによりその方が、より多くを逃がさずに平らげられそうだったからだ。

 山道から強引に行かなかったのも騒ぎになるのを遅らせるためだ。


 膜の中に入った感覚はあった。恐らくは、目の前のドングリ眼も侵入者を感知して駆け付けたのだろう。だが、フザンが何者であるかまでは把握されていない。

 駆け付けてどうする気だったのか、少しだけフザンに興味が湧いた。


「へぇ、じゃあどうなるんだ」

「こうなるよ」


 青年がフザンの胸を指差し、口をすぼめて鳴いた。


「こぉーん」


 直後、音も無くフザンの左胸に黒々とした穴が空く。

 麻の上着も綿の長袖も、そこにないかのように無視されて貫通していた。

 人間なら心臓の位置である。

 青年はにこにこと得意げに笑っている。

 しばらく立ち尽くした後、フザンもまた小さく笑い返して言った。


「なぁ。浚ってきたキヨカって娘は何処にいる」

「えっ」


 今度は青年が立ち尽くした。

 胸に指が入るほどの穴が空いたのである。普通は即死する。そうでなくても悶絶し、のたうち回った挙げ句に結局死ぬのが関の山だ。

 だがフザンには、どの様子も見られない。そも、穴から血が流れ出す気配すらない。

 胸に穴を開けたまま、平然とフザンは言葉を続ける。


「川向こうの村の、器量よし気立て良しで評判の娘。一方的な輿入れの申し出にうんと言わなかったからって、無理矢理浚ってきただろう。親類縁者を暴力で脅して」

「う」

「歳のいった娘の両親に頼まれたんだよ。青あざだらけの酷い有様だった。村長共は逆らうと不作に見舞われるからだんまりだ、ハンジョウのやしろに嫁に言った娘は、家族とも二度と会えやしねぇ、生きてるかすら分からねぇってよ」


 青年の口が歪み、そのままもう一度フザンの胸に指を突きつける。

 フザンに動じる気配は無い。


「なんだってする、なんでもくれてやる。だからもう一度娘に会わせてくれって。手ぇ合わせて拝まれちまったよ。俺も鬼じゃあねぇんだ、そこまでされちゃあ断れなかった」

「こぉーん!」


 先ほどよりも大きい鳴き声と共に、フザンの胸にもう一つ穴が空いた。

 だがフザンの様子は変わらない。ニヤニヤと笑うだけだ。空いた穴から血も流れない。


「それはもういいよ。なぁおい。教えてくれよ」

「うあ、ううああああ」

「娘は。花嫁は、何処だ?」


 呻き声と共に、青年の体が震え始める。


「うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」


 全身ががくがくと震えるのを隠そうともせずに、フザンを指す指がより高く上がった。

 胸から、額へ。


「こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん!」


 もはや鳴き声というより絶叫だった。

 そして絶叫に間髪入れず悲鳴が続く。


「っげぇあ!?」


 激痛に苦しむ以上に驚いて、青年は自分の人差し指を見詰める。

 指は縮んでいた。関節がへし折れ、潰れていたせいだ。明らかに骨から砕けている。

 子供のような目に、大粒の涙がせり上がる。

 その様子を見て、フザンが呵々と笑った。


「頭蓋を抜こうとすると、反動に指が耐えられないのか。可愛いもんだな」


 そして小鳥のように首を傾げて、尋ねる。


「もう終わりか?」

「い、ぎぎぎ……ぃ」

「じゃあこっちの番だな」


 折れた指を庇って泣く青年の前で、フザンは悠然と胸の前で指を組む。互い違いの指を内側に織り込んだ拳の形。

 そして流れるように歌うように、唱えた。


「つづらやつづら。やつめにここのえ。

 つづれにつづるつづらのつらなりつらねるを、つづれにおってつらぬきとおしつらぬきとめる。

 これなるみてぐらにしょうしょうとしておさめてくくる、おさめてとざす」


 声も無くべそをかく青年は、しかし動こうとはしなかった。


「しまい、しまれ。……そくめつあれ」


 正確には、既に動けるような状態にはなかった。全身をきつく縛り上げられたかのように強張らせ、小さく震える事しか出来ない。

 笑みを浮かべたまま、フザンは声に出して数を数える。


「ひと、ふた、み、よ」

「げ、あ」


 ばきん、ぼきんと数える度に音を立てて、青年の肘と膝が全て逆に折れた。

 激痛に青年の口から舌が飛び出て引っ込む。

 当然立っている事など叶うはずも無く、糸の切れた人形のようにその場にへたりこむ。

 フザンの数える声はまだ終わらない。


「いつ、む、なな、や」

「ひ、ぎゃ」


 ぼぐり、ぼぐりと肩と腿が限界を超えて背中側に巻き込まれた。

 自然と体が反り返り、仰向けの形になる。

 腹を上にして折りたたまれた人体は、上から見ると手足をもがれたようで小さい。

 折りたたまれて四角くなった輪郭と、天に向けられた胸から腹への緩やかな曲線が、どこか甲盛箱こうもりばこの蓋を思わせる。


「おっと。あと二つ残っているが、それやっちまうと背骨と首が折れちまうからな」


 陸に打ち上げられた魚がするように、口を大きく開閉させていた青年が、不意にまるでおこりにでもかかったように震えながら、懸命に声を出す。


「はっはっはっはっはなっはなよめっは」


 半ば動かない肺を絞るように声を出すために全身が痙攣し、腹がうち鳴らされた大太鼓のように振動する。

 必死の様子をフザンが楽しげに褒めそやす。


「そうそうがんばれ、その調子だ。息の根がすぐ止まっちまったらつまらねぇ。生きのいい方が美味いんだよ」


 懸命に言葉を繋ごうとする青年に、フザンは大口を開けて笑いかけた。

 問いかけに対する答えなど、端から期待などしていない。

 開いた口に幾重にも重なり生える歯の列が、伸びて枝分かれし無数の木の根の如き形状を取った。その先端は全て、錐のように尖っている。


「はなよめわはなよめわよめわぁぁぁやぁめぇてぇぇぇぇぇぇ!」

「いくらでも叫んでいいぜ。誰にも聞かれやしねぇからな」


 くぐもった声で言って、フザンはその顔を持ち上げられた青年の腹に埋めた。

 ほとばしった絶叫は確かに、草木を震わせる事すらない。


 肉が千切れ骨が砕けて諸共に啜られる音の後。

 やがて絶叫が細く掠れて絶えた時には、青年の姿は消えていた。

 残っているのは地面と枝葉を濡らす、赤い滴りだけ。

 フザンはにこやかに笑いながら、口の周りを舌なめずりしてぬぐった。 


「ようやく前菜にありつけたな。いや、若いのは汁気が多くていいねぇ。立て続けに年寄りばかり喰うと、どうにも喉が渇いていけねぇや」

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