一つ、ハンジョウ村の姫祭り

 お客さん、残念だねぇ。


 なにって、今日は御山の姫祭りの本祭だ。他所の人はおろか、地元近所の人間も今日ばっかりは入れちゃもらえないよ。

 昨日までなら、前夜祭の振る舞い飯にありつけたかもしれんのにねぇ。


 御山っていうのはハンジョウ村のことだよ。斑の縄と書いて斑縄だ。繁盛村って書く奴もいるけどね。小さいけれど金山があるし、そうでなくても山の恵みの豊かな場所でね。

 姫祭りってのは、神様へのお輿入れだよ。地神様の眷族、山岳神様の妹神達の一柱だそうな。皆ナガチ様と呼んでるが、土地神様だからね。声の聞ける神官も村の中にしか出ないらしい。


 勿論神様が本当に人間の嫁を取る訳じゃ無い。定期的に村に外から女性を迎え入れる仕来りが残ってるのさ。だからお嫁さんも神職の親戚筋に嫁入りするんだよ。勿論時間をかけて祝言の準備をした上でね。


 目出度い事だね。御山の周りはますます安泰だねぇ。


――――


 春の矢先、陽光を反射する川面を挟んで柔らかな緑の山々を望む小さな茶屋で、差配する老婆はもてなしていた旅人に祭の次第を語り終える。


「そりゃ残念だな、タダ飯食いの機会を逃しちまった」


 旅人は男だった。年寄りではないが、若々しくもない。

 もつれて褪せた灰色の髪と泥土の如き乾いた褐色の肌をした、色彩の無い男。

 酷く痩せて不健康そうだが、骨格の太さのせいで儚げでもない。


「ごっそうさん、婆さん。美味かったよ」


 ――嘘である。

 団子も茶も喰っていない。消しただけだ。

 どちらも男にはろくに味が分からない。

 彼に分かるのは、ある動物の血肉の味だけだ。

 だからこそ食うところもろくにない干からびた肉を、腹に入れたい気分ではなかった。

 男にはもう少しマシな食事にありつく当てがあるのだから。

 御山と呼ばれた山村の方を見る。頂までの高さはさほどでもないが、遠目からでは村があるとは思えないほど濃い緑の密度が山全体を覆っていた。

 山麓の一カ所にのぼりが数本固まって立っている。おそらくは山道の入口で、老婆の話の通りなら村の縁者が立って封鎖しているのだろう。

 脳味噌の足らなそうな勤勉の態を認め、男の口元に思わず失笑が零れた。


「さてと、じゃあ馳走になりにいこうかね」


 茶屋を後にして歩き出す男の呟きを、聞き咎める者は誰もいない。

 男は、人にはフザンと名乗っている。


 実のところ、目の前の眺めも姫祭りの話も、フザンに取って初耳ではない。

 知らなかったのはただナガチという土地神の名前だけだ。

 それはフザンの別名ではなかった。


「空き巣の顔も、拝んでみたい事だしな」


 そしてフザンは、目の前で自分の獲物をかっ攫われて、笑って目こぼししてやるような穏健な存在では無い。

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