おでんと勇者と世界の命運

おでんと勇者と世界の命運

 夜の都会、その繁華街の端。そこの高架下に一軒のおでんの屋台が出ていた。


 深夜になり、徐々に人気も減りつつある時間。


 赤ら顔で歩くサラリーマンの集団も、大きな笑い声をあげる大学生たちももういなかった。


 特にここは繁華街の外れだ。もう、人通りはないに等しかった。



「親父さん、たまごを」


「はいよ」



 そんな屋台でまだ飲んでいる1人の客があった。


 一般的な服装の男。背広姿で会社員のようだった。


 目の前にはいくつかのおでんの具材の乗った皿、そして熱燗の入ったトックリとおちょこがひとつあった。


 男の前にたまごが出される。



「はい、お待ち」


「ありがとう」


「勇者も楽じゃないねぇ。あっちとこっちを行ったり来たり」


「どっちも大事だからな」



 会話の通りだった。


 男は勇者だった。


 転移で異世界と現実世界を行き来している。


 そうして、二つの世界のバランスを守り、異世界の魔王と戦い続けているのだ。


 おでん屋の親父は元々異世界の住人だったが、勇者のつてでこっちに逃げてきた1人だった。



「活躍期待してるよ。おっと、いけない。出汁が切れてる。勇者様、ちょっと店を頼むよ。デク置いとくから」


「えぇ、勝手な人だな」



 言う前に親父は身代わりの魔法人形を立てた。


 親父そっくりの人形は短い間なら店を切り盛りしてくれる。


 そして、親父は言ってしまった。



「仕方ないな」



 そう言いながら勇者はまた酒を一口飲んだ。


 遠くから繁華街の喧騒が聞こえる。


 夜も深まっている。夜更かしな大人たちも少しずつ数を減らしているだろう。


 終電もとっくに過ぎて、街は眠りつつある。


 そんな音に耳を立てながら、勇者はおでんの大根をつまみ、また酒を飲む。


 その時だった。



「こんばんは、お隣良いですか?」



 屋台ののれんをくぐって1人の男が現れた。


 血色の悪い、黒いスーツの男だった。葬式帰りを思わせる。



「どうぞ」



 勇者は答えて、隣の席に男は座った。



「やれやれ、長旅は堪えます」



 そう言う男は普通の人が聞けば旅行者かなにかだと思うだろう。


 しかし、違う。



「それはそうだろう。魔王軍No.2がなんだってこっちの世界のこんな場末の屋台に?」


「さて」



 男はにっこり笑っていた。


 顔を変えても勇者がこの魔力の波長を忘れるわけがない。


 戦場で幾度となく出会した魔力だ。


 この男こそが魔王の右腕、勇者の宿敵の1人なのだ。



「単にお酒を飲みたくなったから、と言ったら?」


「信じるわけがないだろう」


「そうでしょうね。つまらない駆け引きは必要ないでしょう。あなたと交渉に来ました勇者様」


「へぇ、こんな屋台で交渉とは。心得てるな」


「皮肉はよしてください。このマスターはデコイですね。じゃあ、コンニャクと豆腐と、ロールキャベツ、あとはハイボールを」


 

 魔王の右腕は流れるように注文する。



「慣れてるな」


「初めてではないので」



 そして出てきたハイボールとおでんを魔王の右腕は満足そうに眺め、コンニャクを口にしてハイボールをあおった。


 良い飲みっぷりだった。



「あなたの活躍で我々の勢力はもはや10分の1まで縮小しました」


「そうだ。これからお前たちにとどめを刺そうと思ってる」



 異世界での戦いは最終局面へと移っていた。


 勇者の戦いによって魔王軍は次々と敗北。


 もはや、その勢力は縮まりに縮まっていた。


 魔王城とその周辺の終末の平原と呼ばれる荒野だけになっていた。


 もはや、戦いは勇者たち人間の優勢。あとは魔王城を攻め落とすのみとなっている。



「そこで提案です。戦いをやめましょう」


「なに?」



 魔王の右腕はピンと人差し指を立てて言った。


 勇者には意味が分からない。



「私たちは城も残りの領地も引き渡します。なので、これ以上攻めるのをやめていただきたい」


「バカな。お前たちを倒すために俺たちは戦ってるんだ。逃げると言って見逃すと思うか?」


「魔王城には山ほどの宝物があります。それを全部差し出すとそちらの王に言っていただければ一考していただけるかと」



 つまり、城も領地も財産も全て差し出すから命だけは助けて欲しいと言っているらしかった。


 敗北宣言だ。



「逃げてどこに行くつもりだ?」


「海の向こうへ。暗黒大陸へ参ります」


「未開の地か」



 勇者はたまごを口の運んだ。


 それから日本酒を飲む。魔王の右腕もハイボールを口にする。グラスはあっという間空になっていた。



「その日本酒はいけますか?」


「まぁ、悪くはない」


「マスター、彼のと同じのを冷やでひとつ」


「燗の方がいけるぞ」


「日本酒は冷やが好きなので」



 魔王の右腕の前に冷酒が置かれる。魔王の右腕はそれを少し口にした。



「確かに悪くない」



 そう言って魔王の右腕は満足げにロールキャベツに箸をつける。



「暗黒大陸に行くと言うのは嘘だろう。あそこは不毛の地だ。いかに魔族と言っても生きてはいけない」


「信じていただけませんか?」


「ああ、信じない。大方この世界に逃げ込んで力を蓄えるんだろう。そして、この世界ごと異世界も征服する。小賢しいお前たちの考えそうなことだ」


「おやおや、信用されていませんね」


「当たり前だ。お前たちがどれだけ殺したと思ってる。どれだけ欺いたと思ってる。一言だってお前たちの言うことは信じない」


「なるほど、返す言葉もありません」



 屋台の後ろを原付バイクが音を立てて通り過ぎていった。


 2人はそろって手元の酒を口にする。


 勇者のトックリはもう空になっていた。



「ふむ、正直に言いますと、勇者様の言う通りです」


「やっぱりか」


「私どもは敗北するつもりも滅びるつもりもございません。必ずあなた方を倒し、再び暗黒の時代を取り戻す予定です」


「諦めろ、お前たちはもう滅びる」


「不可能です。私だもの小賢しさを舐めない方が良い」



 魔王の右腕はにっこり笑っていた。邪悪な笑みだった。勇者はそれを見るだけででウンザリだった。


 どうやら、まだ魔王軍には策はあるらしかった。



「交渉は決裂だ。時間の無駄だったな。帰ってくれ」


「どうやらそのようで。残念です」


「やけに疲れたよ。こっちじゃそういうことは忘れたかったんだけどね」


「それは申し訳ない。私の方は結構楽しめましたがね。こちらの屋台のオデンというのは悪くない。勇者様と飲むのも」


「こっちはもうウンザリだよ」



 しっしっ、と勇者は手で魔王の右腕にさっさと立ち去るようにうながした。


 仕方ない、と魔王の右腕は残りの冷酒を飲み、豆腐を食べると立ち上がった。


 そして、サイフを取り出すと明らかに多く現金を取り出した。



「なんのマネだ?」


「ここは私がお出ししますよ。なに、迷惑料です。貸し借りはないのでお気になさらず」



 そう言って魔王の右腕はデコイからお釣りを受け取った。


 そして、のれんに手をかけると一度勇者を振り返る。



「では勇者様、失礼しました。次は戦場で」


「ああ、その首跳ね飛ばしてやる」


「これは恐ろしい」



 魔王の右腕は笑った。勇者は不愉快だった。


 そして、魔王の右腕はのれんの向こうへ行き、夜の街に消えていった。


 勇者は注意深く魔王の右腕の気配を辿り、やがて気配が消えるのを確認するとようやく安心した。


 危なかった。


 ここであの男が暴れ出しでもすれば勇者といえど周りを無傷で済ますことはできなかった。


 ほっと胸を撫で下ろす勇者。


 次に会うのは魔王城での最後の戦いの時だろう。


 やつはまだ何か秘策があるかのような口ぶりだった。


 それそのものがこちらを混乱させる策の可能性もあったが、注意はしなくてはならないだろう。


 なんにせよ脅威は去った。


 ようやくまた落ち着いて飲むことができる。


 そこで勇者は酒がなくなったのを思い出した。



「親父」


「はいよ、なんだい?」



 そこで屋台の親父が帰ってきたのだった。



「おや、酒が切れたのかね。もう一本行くかい?」


「ああ、頼む」


「はいよ!」



 そう言って親父は酒を注いだトックリをお湯で温めて始めた。


 勇者は黙ってそれを待つ。



「ん? 勇者様どこか疲れたような顔してるね? 俺がいない間になんかあったかい?」



 親父はそこで目ざとく勇者の変化に気付いた。


 勇者はため息をつく。



「ああ」



 そして、大根を一口食べる。



「世界の命運について話してた」



 勇者は言った。

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