吊り案山子

壱原 一

 

家の辺りに「吊り案山子」なる風習がある。


一帯は土地が豊富で人が少ない。各家の敷地が広い。広い敷地への入口に大木が植えられており、頑丈な下枝に旅装の案山子が吊るされている。


案山子は丁度てるてる坊主のように荒縄で首をくくられている。


案山子の頭部には家人の遺髪を刺してある。胴には穀物、鳥や魚の骨、貝殻、そして小さな布袋に家人の遺骨や遺灰の一部を収めた物を詰めている。


それなりに重い。


よって風の強い日は葉擦れと共に吊り案山子がぎいぎい揺れる。各家の敷地の入口で、首を縊った人影がぎいぎい荒縄を軋ませる。


家内安全に強いご利益があると言う。


むかし方々が凶作に苦しんでいた折、旅の一行が当地を訪れ住人達に施しを乞うた。住人達は無い袖を振れず一行を追い払った。


一行は住人達を怨みながら亡くなり、怨霊となって住人達を祟り殺すようになった。困り果てた住人達が、知恵者から授けられた護法が「吊り案山子」だとか。


謂れが念頭にあるからだろう。稀に近所の世間話で、吊り案山子の付近における妙な見聞の談が挙がる。


茜の暮れ時に、薄月の夜更けに、過疎地の凡庸な日常のふとした間隙に、吊り案山子を取り囲む不詳の人だかりや、怨み骨髄に徹した怨嗟の呻きがあるらしい。


家の吊り案山子は、常緑の椿の生垣の迂曲の向こうに窺える。先日したたかに荒らされて、祖父の小袋が失われてしまった。


散乱した穀物や貝殻に紛れて、案山子の旅装や本体の布地が乱雑に千切られていたので、野狸などの仕業に違いなかった。


作り直した案山子に、残った祖母の小袋を戻してしっかりと吊るす。


暫くの後、休前日に驕って夜更かししていると、くれ縁から望む椿の生垣の向こうで、風もないのに荒縄が軋む音を聞き付けて外へ出た。


やたら目を刺す純白のLED灯を手に、遠景の山影、近景の水田と畔、手前の生垣を暗紛れに捉えつつ、敷地の砂利を踏み鳴らして吊り案山子の下へ向かう。


煌々と照射した円形の白光の中に、縊首した祖母を私刑にする古服の骸の群があった。


はっとして電灯を取り落す。強い光源が地面へ落ち、無人の大木の根元と、八つ裂きになって揺れる案山子の残骸を照らす。


正にその光線の辺りからさくさくと砂利を踏む多重の足音が迫り、慌てて家へ踵を返した。


引き違いの硝子戸の玄関をこれほど頼りなく感じたことは無い。施錠して後退り、体を竦めて注視する。


荒い磨り硝子の戸を隔てて、生垣の先で光ったままの電灯が、進み来る行列の足に次々と遮られるように繰り返し繰り返し瞬く。


さくさくと足音が押し寄せて来る。


間も無くさらぼうた人影が硝子戸に伸し掛かった。戸が触れ合って振動する鈍い音がして、続いて2人目、3人目…


泥中から届かない岸辺を求める風に、枯れ木のような腕がガタガタと戸に縋る。やがてさわさわと葉擦れに似たざわめきが聞こえ始め、徐々に人声の態を成して耳へ理解される。


返せ


出て行け


どうもそのような意味の言葉を口々に絞り出している。地の底から噴く毒気のようにおどろおどろしい。


住人達に施しを断られて怨みながら亡くなった旅の一行。旅の道中に押し掛けた先で無い物を無いと断られたからと言って、ここまで怨むのは筋違いの逆恨みだろう。


しかし不思議に思っていたことがあって、もし吊り案山子が鴉の亡骸に似せた鳥脅しのように「近付けばこうしてやるぞ」と相手を威嚇する意図を持つなら、案山子を怨霊たる旅の一行に似せて旅装させるのは頷けるとして、そこに住人達の遺骸を仕込むのはどうした意図か。


故人の遺骸を詰めた人形なんて、先ほど吊り案山子を祖母と幻視したように、故人を模してその人自身と見立てる代物に感じられる。


いま玄関に詰め掛けて、返せ出て行けと憤怨している彼らは何を奪われたのか。


吊り案山子の謂れには、住人達になぞらえた吊り案山子が旅装である不思議には、度し難い欺瞞が潜んでいるのではないか。


吊り案山子は鳥脅しではなく、少しでも長く怨霊達の注意を逸らす為の媒鳥おとりではないか。


先刻大木の下で一瞥したとき古めかしい軽装だった彼らの方こそが、この地の。翻って今いる住人達の連綿と続く始まりは、旅の一行は、本当は。


目の前の硝子戸で、施錠した鍵の辺りからこりこりさきさきと音が鳴り始める。内側の鍵のつまみがカタカタ震え、僅かに持ち上がったり元の位置へ下がったりしている。


咄嗟に跳び付いてつまみを押さえ、必死になって力を込める。


背後で勝手口が開く音がした。



終.

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吊り案山子 壱原 一 @Hajime1HARA

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