3000年後、通天閣で

阿僧祇

3000年後、通天閣で

 プップー、ブブーー


 光がエレベーターに乗ると、耳をつんざく警告音がその階に響き渡る。光はその階全員からの注目を集めた。そして、自分のお腹に目を落とし、腹の肉をつまむ。


 ダイエット中の彼にとっては悲しい出来事だ。あなたは重いと全員に周知されたようなものだから。


「申し訳ありません。こちらのエレベーターに現在、不具合がございまして、重量制限150キロとなっております。


 ですから、もう一つのエレベーターで上がってもらうことはできますでしょうか?」

 私は50キロも体重が無いから、彼は100キロを超えていると言うことだ。最近、ダイエットでようやく100キロを割ったと喜んでいた彼は、悲しそうな顔をした。


「…ああ、そうなんやね。」

 彼は取り繕った笑顔でそう答えると、申し訳なさそうに、こちらを向いた。


「ごめんな、遥、先に行っといてや。自分が着くまで、目は閉じとくんやで。通天閣の夜景は、遥と一緒に見たいからな。」

「分かった。私も光と一緒に、通天閣の夜景を見たいからね。」

「じゃあ、また、上で。」

「うん!」

 私はウキウキした顔で、エレベーターの上昇ボタンを押した。微笑む彼を、扉は左右からゆっくりと消していった。



_____________________________________




「いやー、これが通天閣か。立派なもんだ。


 なぁ、弟よ。」

「ああ、そうだね。兄さん。教科書以外で見られるとはね。


 ……ところでさ、荷物を交換しない?」

 僕は石がたんまり入ったリュックを背負っている。だが、兄は片手に納まる小さな箱とスイッチをポケットに入れ、暗闇を照らす手持ちのライトを持っているだけだ。


「駄目だな。


 おっちょこちょいな君にこのスイッチは預けることはできない。」

「そんなこと言って、これ、持ちたくないだけなんだろ?」

「まぁ、それはそうだ。


 ここは重力がすごいし、リュックなんて、古代のテクノロジーを使ってられないだろ。」

「本当に、古代人は力持ちですね。


 ホバーも、ワープも無い世界で、こんなもので移動していたんですから。」

「古代人の気持ちを味わえて良かったな。


 今回は仕事の都合上、古代人のコスプレしてやれという指令が出てるからな。」

 そう言うと、兄は階段を指差す。僕はため息を一つ吐く。


「せめて、例のエレベーター以外のエレベーターを使えないのか?」

「別に使ってもいいぜ。


 ただ、着くのは3000年後かもしれないがな。」

「3251年241日3分54秒後だろ?」

「正確だな。」

「でないと、この時間にここへ来ないよ。」

 僕は階段に恐る恐る足を乗せ、体重をかける。しかし、階段はしっかりと安定していた。


「安心しろ。核爆弾ですら壊せなかった代物だ。壊れることはない。」

 そう言って、兄はドンドンと音を立てて階段を登る。僕はリュックを背負い直して、兄を追いかけた。


「3251年間で、第三次世界大戦での核爆弾、プレリュー小惑星の激突、そして、29回の震度7の大地震があったのにも関わらず、この通天閣が壊れることはなかった。


 なぜなら、2024年のあの日から、通天閣の時間は止まっているからね。」


「ウラシマ事件。


 2024年6月25日7時1分、遥という女性1人だけが通天閣のエレベーターに乗る。


 そして、その5分後、彼氏の光を含めた皆が異変に気がつく。


 遥の載せたエレベーターがまだ屋上に着いていなかったからだ。


 詳しく調べて見ると、エレベーターは1階で止まっていた。なので、1階のエレベーターの扉をこじ開けて、中を見てみると、


 蝋人形のように固まったままの遥がいた。


 光は彼女に声を掛けたり、動かそうとするが、彼女はぴくりとも反応しなかった。


 ただ、彼氏とのデートに喜ぶ幸せそうな笑顔を浮かべていた。


 その事件は世界を騒がせた。エレベーターに乗った人間が死ぬでも無く、ただ時間に取り残されたように固まったのだから。


 人々は空を嫌った。


 エレベーターだけでなく、上に上がるあらゆる物が嫌われた。なので、建物は軒並み低くなり、それに伴って、住む場所は少なくなった。だから、住む場所を争う紛争が起きた。


 そして、飛行機すらも嫌われる。よって、人々の国を超えた交流は失われ、世界に軋轢をもたらした。


 それらが第三次世界大戦の引き金となった。


 飛行機を使えない国々は、ミサイルや化学兵器を多用した。世界各地にミサイルが降り、毒ガスが蔓延した。


 そして、世界は50億人という途方も無い犠牲者を出した。それによって、人々の住む場所は確保されたと思われた。


 しかし、放射能に汚染され、毒ガスが舞う地球に、人間の住む場所はほとんど無くなっていた。


 たった1人の女性が巻き込まれた事故が、世界を狂わせた。


 これがウラシマ事件。」

 僕がそう言うと、兄が注意する様に補足した。


「いや、事件としてはそれで良いが、"ウラシマ"の意味を解釈するにはもう少し説明が足りない。


 遥の恋人の光は、核爆弾が落とされようと、毒ガスが撒かれようと、彼は毎年6月25日に彼女の元へ訪れた。


 光は毎年歳をとり、戦時中の食糧難もあって、痩せていた。だんだんと変わっていく自分自身と世界。


 でも、彼女はあの時から止まったままだ。


 光と見る通天閣の夜景をずっと楽しみにしている。世界の変容を何も知らず、微笑む彼女を見るたび、彼女とのどうしようも無い隔たりが彼を襲った。


 そして、皆を不幸にする戦争も終わり、事件から10年後の6月25日、光はあることに気がつく。


 エレベーターが動いている。


 それは勘違いでは無かった。10年前のエレベーターより約30cm高かった。


 今までは、ガスマスクの限られた視界でしか見ることができなかったので、気がつかなかったが、明らかに動いている。


 ただし、それは恐ろしいほどの遅さだった。


 10年で30cm、通天閣の展望台までの高さは94.5mだから、単純計算で約3000年後に彼女は通天閣の展望台に着くのだ。


 それから、光はこの事実を世界に公開すると、ある物理学者がある仮説を立てた。


 それは彼女は天文学的確率の事故に見舞われたという仮説だ。


 物理学上、分子を1とした時、分母に0が4000億個程並ぶような限りなく0に近い確率で、エレベーターの初速は時空を歪ませ、エレベーター内外の相対的時間を17億分の1にする。


 その相対的時差は、エレベーターでのエネルギーが保存されることから、通天閣に対するあらゆる物理的衝撃を無効化されると証明された。


 これは3000年経った今でも矛盾は無いと証明されている。


 つまり、空前絶後の事故により、彼女は時間の流れが遅いエレベーターという竜宮城に3000年間閉じ込められているということだ。


 だが、当時の世界がそれを知るのは遅かった。


 不毛な戦いが残した置き土産と行き場のない怒りは、計り知れなかった。


 そして、3000年後の今に至り、竜宮城から浦島太郎が帰ってくる。


 だから、人はそれをウラシマ事件と呼んだ。」

 兄がそう語り終えると、僕達は通天閣の展望台まで登り切っていた。


 僕は重いリュックを置き、地面に座り込んだ。

「あとどれくらいだ?」

 僕はこのウラシマ事件専用のデジタル時計を見た。


「あと23秒。」

「ギリギリセーフか。


 まあ、計算があってればの話だがな。」

 僕達はリュックを引きずって、エレベーターの近くに陣取ると、固唾を飲んで、エレベーターが開くのを待った。


 エレベーターが着いても、彼女が無事とは限らない。浦島太郎の様に、お婆さんになるかもしれないし、そもそもエレベーターが開いた後も時間が遅くなったままかもしれない。


 僕がそんなことを考えていると、時間は3秒前になっていた。僕はデジタル表示の時計が1秒、1秒減っていくことを確認した。


 これほど緊張する時間はなかった。


 そんな緊張を吹き飛ばすかの様に、エレベーターの扉はゆっくりと開く。


 すると、目をつぶった女性が確認できた。彼女は若く、普通の速度で歩いている。


 彼女は壁伝いにエレベーターを出ると、エレベーター近くの壁にもたれかかった。とても嬉しそうだった。


 彼女は3000年前の彼氏を待っているのだ。


「すいません。遥さんですか?」

 彼女は驚いた様子で声の主の方へ向く。


「目は開けず、そのまま聞いてください。


 あなたにとって、残酷な事実だと思いますが、それでも気を確かに持ってください。」

 僕達は彼女がエレベーターで登っている間に何が起こったかを事細かに説明した。


 もちろん彼女が受け入れられるはずなどなかった。彼女は怪しい勧誘か何かだと勘違いして、聞く耳を持たなかった。


「信じられないと言うなら、目を開いて確認して下さい。


 気が付いているはずでしょう。夜の混み合うはずの通天閣の展望台なのに、人の声は無い。


 10分近く話しているのに、彼氏の光さんは迎えに来ない。


 明らかにおかしいとは思いませんか?」

 彼女はそう言われると、ゆっくりと目を開けた。


 そして、彼女は真実を理解した。


 通天閣から見下ろした景色は、塗りつぶした様に真っ暗で、星空と月だけが輝いていた。


 当たり前だ。地球は遥か昔に住む者はいなくなり、荒廃していたからだ。


 ウラシマ事件の原理が分かった後、人々は空を怖がることはなくなり、毒ガスと放射能で犯された地球からの移住を始めた。


 そして、1000年前、地球に住む全ての人間の地球外への移住が実現した。


 なので、人を照らす必要がないため、夜景などあるはずがなかった。


「月が異常に明るいでしょう。


 人は地球を捨て、月に移住した。だから、月には人々が暮らすための光で溢れている。


 だから、月は明るく、地球は暗い。」


 彼女は段々と理解していき、絶望の淵に追い詰められ、頬に涙が伝う。


 そして、彼女は静かに聞いた。


「光は? 光はどうなったの?」

 彼女はその答えを知っている。それでも、彼女は聞いた。


「3000年前、お亡くなりになりました。」


 兄がそう答えると、彼女はこちらから目を逸らし、真っ暗な外を眺めた。彼女のすすり泣く声が静かな展望台にこだまし、明るい月が彼女の涙で濡れた輪郭を照らしていた。


 百の位が端数にされる途方もない年月、彼女の時代で言えば、キリストが生まれるよりずいぶん前まで遡ることができる時間だ。


「しかし、光さんは3000年後のあなたにあらゆるものを残そうとしました。


 まず、この石板です。」

 兄はそう言った後、僕はリュックの中から石板を取り出す。


「光さんは、3000年後に残るものは、紙や電子データでは無いと考えて、石にレーザーで文字を書きました。


 きっとこの石板はあなたにしか価値を生み出すことが出来ない遺物でしょう。」

 僕は彼女に石板を渡すと、彼女は石板を一つ一つ読んでいった。


 僕も石板を読んだが、彼女と光の日常が書かれていただけだった。


 初めてのデートで、服を新調したら、ズボンが破れてしまったこと。


 動物園に一緒に行った時、餌やり体験で、アルパカに唾を吐きかけられたこと。


 ダイエット中なのに、夜な夜な隠れてカップラーメンをすすっていたことがバレて、一週間喧嘩していたこと。


 それでも、太っていく自分を見かねて、仲直りしたこと。


 仲直りの印に、通天閣の夜景を見せてあげると約束したこと。






 それなのに、一緒に通天閣の夜景を見れなかったこと。




 彼女は最後の石板を読み切ると、兄はポケットに入れた箱を取り出し、彼女に渡した。


「3000年前、光さんがこの展望台で渡したかったものを受け取って下さい。」

 彼女はそれを聞いて、箱を開ける。


 箱の中にはダイヤモンドが付けられた指輪が入っていた。


「光さんは最後まであなた以外と結婚することはありませんでした。


 そして、指輪の箱は3000年を越えることはできませんでしたが、ダイヤは3000年間、輝きを失うことなく光り続けていました。」

彼女は箱から指輪を取り出すと、左手の薬指にはめた。そして、左手を夜空に透かすように持っていく。ダイヤは月夜に照らされ、光り輝く。


「……きれい。」

 彼女は自然とその言葉を発していた。彼女は結婚指輪を貰った嬉しさとそれでもその相手がもうこの世に居ない悲しさで複雑な表情をしていた。


 そして、兄はそれを見て、ポケットからスイッチを取り出す。


「光さんは最後まであなたを想っていました。


 光さんは第三次世界大戦後、月への移住を進め、宇宙産業を主軸に会社を作り、会社はどんどん大きくなりました。


 彼は信頼のできる社員にある想いを託し、亡くなりました。そして、彼の会社は3000年以上続く老舗となりました。


 そして、その会社はようやく受け継いだ初代社長の想いを実現することが出来ます。」

 兄がそう言うと、右手に持ったスイッチを押した。


 すると、今まで暗く見えなかった下の景色がベールを脱ぐ様に光っていった。展望台から見渡す限りの景色全てが光り輝いた。


 高さが様々なビル群とそれらが放つ色とりどりのネオンが、3000年前のままキラキラと輝いている。明るい月夜に負けない夜景が広がっていた。


「光さんは、この景色を3000年後に残したかった。


 だから、我が社は月や火星に人を完全に移住させると、その資金で地球を買った。そして、3000年後も変わらない景色を作り上げた。


 毒ガスや放射能があったので、作業は困難を極めましたが、幸い時間はたっぷりありました。


 そして、今から1年前に出来上がりました。結局、ギリギリにはなってしまいましたが、必ず作り上げたかった。」

 兄はそう言うと、一呼吸おいて言葉を紡いだ。


「あなたは3000年で変わってしまった世界を1人で生きていくことになります。その変わった世界は、私たちには想像できないほど、苦痛で耐え難いものでしょう。




 ですが、永遠に変わらない想いが、ここにあったということを覚えておいて下さい。」


 兄がそう言い終わると、彼女は地面に泣き崩れていた。


 3000年エレベーターの中で、幸せに微笑んでいた彼女の顔は、その幸せを失い、泣き顔に変わっていた。


 それでも、3000年間待ち望んだ彼の想いは、彼女の心から消えることはないだろう。

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