愛を育む二人の修行~花の妖精と治癒師オークの恋物語~

とりにく

愛を育む二人の修行~花の妖精と治癒師オークの恋物語~

「ゼノンのバカ!わからず屋、この朴念仁ー!!」


 朝の静けさを破るリアの声が響き渡った。治癒院キュアリウムの自称・看板娘であり、花の妖精である彼女は、その小さな体からは想像もできないほどの迫力ある声で怒りを露わにしたのだ。近所の人々は慣れっこで、「またか」とため息をつくばかりだった。


「おいリア、朝っぱらから大声出して、ご近所迷惑だぞ」

「だって私こんなにかわいいのよ!?こんなに可愛い私に愛されているのにフるなんて、バカかわからず屋か朴念仁じゃない!!」


 対する男はオークのゼノン。冒険者として汗水流して資金を貯め、若くして治癒師ヒーラーの国家資格を取得し、治癒院キュアリウムを開業した有望な若手だ。彼の腕前は群を抜いて素晴らしかったが、いかつい顔立ちがネックで、人柄を知る近所の人や冒険者時代の友人以外には患者が集まらないのが悩みだった。そのため、彼はご近所の目というものを気にしていた。

 暴論ではあったが、リアの主張は一部において真であった。甘い香りが漂うオレンジ色のふわふわな髪、花蜜を思わせる黄色い瞳、尖った妖精らしい小さな耳、よく囀るピンク色の唇は確かに愛らしかった。

 ゼノンは深いため息をつき、額に手を当てた。その大きな手は、濃い緑色の肌に覆われていた。オークらしい筋骨隆々とした体つきは、一見すると知的な装いとは不釣り合いに見えた。特に目立つのは、鼻梁にかかった眼鏡だ。オークにはあまりにも似合わないその姿は、冒険者時代に暗がりでランプを頼りに勉強を重ねた日々の名残だった。


「それはそうだが...お前、妖精だろ。俺との体格差、どれだけあると思ってるんだ」


 ゼノンは典型的なオークの体格を誇っていた。その巨躯は、どっしりとした筋肉に覆われ、その存在感は圧倒的だった。太い腕は樫の木の幹のよう、胸板は分厚い鎧のよう。首回りは逞しく、顎は角張っていた。大きな手のひらは、リアの体全体を軽々と包み込めそうだった。

 一方、リアは花の妖精らしい愛らしさを湛えていた。ゼノンの膝頭にも届かないほどの小柄な体つきだ。蝶の羽のような薄い羽が背中に生え、風に乗ればふわりと舞い上がりそうな軽やかさ。細い腕や脚は華奢で、指先は花びらのように繊細だった。


 現代人読者諸氏に伝わるように言えば、ゼノンとリアの体格差は、成人男性と子猫ほどの違いがあったと言えるだろう。


「そんなの関係ないわ!愛があれば...」

「現実を見ろ。俺たちは種族が違いすぎる。いくら頑張ったって、どうにもならないんだ」

「体格差なんて交配えっちできないってだけじゃない!そんなの大した……っヤダ!私もゼノンとらぶらぶ交配えっちしたい!おしべとめしべでいちゃいちゃしたいの!」

「どっちなんだよ……」


***


 リアの心の中で、過去の記憶が鮮明によみがえった。あの日、彼女は絶望の淵に立たされていた。希少な鱗粉を持つ花の妖精として、密売人たちに捕らえられ、闇市場で売り飛ばされようとしていたのだ。小さな体を縛られ、暗い箱の中に閉じ込められた彼女は、もう二度と自由の身にはなれないと諦めかけていた。

 そんな時、突然響き渡った怒号と共に、箱が開かれた。目の前に現れたのは、巨大なオークの姿だった。恐ろしげな顔つきとは裏腹に、その目には優しさが宿っていた。


「大丈夫か?怖がらなくていい。もう安全だ」


 その低い声に、リアは不思議と安心感を覚えた。ゼノンは彼女を優しく抱き上げ、密売人たちから救出したのだ。その時の彼の勇敢さと優しさは、リアの心に深く刻まれた。自由を取り戻した喜びと、救い主への感謝の気持ちが、やがて恋心へと変わっていったのだった。


***


 これらの記憶が、リアの決意をさらに強くした。体格差など関係ない。彼女の愛は、そんな障害など簡単に乗り越えられるはずだった。リアは両手を腰に当て、ゼノンを睨み上げた。


「わかった。あなたがそのつもりなら私、行くわ!」

「どこへ行くつもりだ?」

「妖精の国よ。体格差を克服する方法を見つけてくる。そしたらあなたも、きっと……!」

「リア......」


 しかし、リアは既に飛び立っていた。ゼノンの呼ぶ声も聞こえないほど遠くへ。嵐のようにリアが去った後、治癒院キュアリウムは静けさに包まれた。ゼノンは深い溜息をつきながら、自分の大きな手をじっと見つめた。


「俺も、何かできることがあるはずだ」


 そう静かにつぶやくと、彼は密かに古い魔法の書物を探しはじめたのであった。


***


  妖精の国の奥深くにある古木の洞で、老妖精フランドールは静かに目を閉じていた。突如、小さな妖精が風のように飛び込んでくる音に、彼女はゆっくりと瞼を開いた。


「突然、冒険に出ると言って飛び出した小娘が訪ねてきたと思ったら――」


フランドールの声は、幾多の季節を越えてきた古樹のように深く落ち着いていたが、その瞳には若々しい輝きがあった。銀色に輝く長い髪は、まるで月光を織り込んだかのように美しく、頭上で優雅な髷を作っていた。

 

「フランドール様!私、ゼノンっていうオークに恋に落ちちゃったの。でも、いくら愛を告げても、ゼノンったら酷いのよ!体格差があるから無理だって言うのよ!」


 リアの大きな瞳には涙が溜まり、まるで朝露に濡れた花のようだった。フランドールは静かにリアを見つめ、その翠緑の瞳に思慮深い光が宿った。


「あらあら、まあまあ」


 フランドールは優しく微笑んだ。


「まずは落ち着きなさい、リア。ここに美味しい蜂蜜茶があるわ。一緒に飲みながら話をしましょう」


 フランドールは優雅に立ち上がり、古木の棚から二つの木製のカップを取り出した。香り高い蜂蜜茶を注ぎながら、彼女は続けた。


「さあ、どうぞ。この蜂蜜は特別よ。心を落ち着かせ、思考を整理する効果があるの」


 リアは小さな手でカップを受け取り、その温かさと甘い香りに少し緊張が和らいだようだった。


「ありがとう、フランドール様」


 フランドールは自分のカップを手に取り、一口すすった後、穏やかに言った。


「確かに、私も昔はあなたと似たような悩みを抱えていたわ」

「どうすれば体格差を克服できるの?魔法か何かで体を大きくする方法はないのかしら?それがダメならめしべを拡張したり……!」


 フランドールは、口に含んでいた蜂蜜茶を思わず噴き出してしまった。咳き込みながら、彼女は慌ててハンカチで口元を拭った。


「ごほっ、ごほっ……まあ、リア!」


 フランドールは、咳き込みながらも優雅に落ち着きを取り戻そうとした。妖精族は比較的性に寛容ではあるが、フランドールのような神代めちゃくちゃ昔に発生した老妖精の中には、こういった話題に少々戸惑う者もいる(逆に開放的すぎる者たちもいる)。幸いにも、フランドールは理解ある性質の持ち主だった。彼女は深呼吸をし、穏やかな表情を取り戻した。


「ごめんなさい、フランドール様。あまりにも焦っていて……」


 フランドールは優しく微笑んだが、その目には少し戸惑いの色も見えた。


「まあ、若さゆえの率直さは理解できるわ。でも、そういった……あまりにも個人的な話題は、もう少し慎重に扱うべきよ」


 彼女は姿勢を正し、真剣な表情でリアを見つめた。


「さて、本題に入りましょう。あなたの悩みについて、もう少し詳しく聞かせてくれるかしら?」


 リアは小さく頷き、今度はより落ち着いた様子で話し始めた。


「はい、フランドール様。実は……」


 リアは、ゼノンとの出会いから現在に至るまでの経緯を、かくかくしかじかと詳しく説明した。冒険者時代の思い出、ゼノンに対する想いの芽生え、そして彼女の熱心なアプローチとゼノンの戸惑い、体格差の問題など、すべてを包み隠さず話した。時折感情的になりながらも、リアは自分の気持ちを率直に伝えた。フランドールは静かに、しかし熱心にリアの話に耳を傾けた。

 説明を終えたリアは、少し肩で息をしながらフランドールを見つめた。老妖精は穏やかな表情で頷き、そして意味深な質問を投げかけた。


「なるほど、だいたいの事情は伝わりました。――ところでリア、あなたはゼノンさんの気持ちを本当に考えたことはあるの?」


 この質問に、リアは一瞬言葉を失った。


「ゼノンの……気持ち?」


 フランドールは続けた。


「愛するということは、相手の気持ちも大切にすること。あなたの気持ちも大切だけど、ゼノンさんの気持ちも同じくらい大切なのよ」


 リアは少し考え込む様子を見せた。


「私……ゼノンの気持ち、考えたことなかったかも……」

「そうね。まずは、お互いの気持ちを理解し合うことから始めましょう。体の問題は、その後で考えればいいの」


 リアの表情が少し曇った。


「でも、体格差がなければ……」


 フランドールは静かに首を横に振った。


「体を変えることよりも、心を育てることの方が大切よ。真の愛と理解を育むための知恵を授けましょう。それでもいい?」


 リアは少し戸惑いながらも、ゆっくりと頷いた。


「はい……わかったわ、フランドール様」


 こうして、リアの異種族間恋愛の特訓は、予想外の方向へと進み始めた。それは単なる体術や魔法の訓練ではなく、心の成長を促す旅の始まりだった。


***


 フランドールは静かにリアを見つめ、三つの重要な教えを伝え始めた。


レッスン1:相手の話も聞きましょう


「リア、まず大切なのは相手の話をしっかりと聞くことよ」


 フランドールは優しく語りかけた。


「あなたはゼノンさんの話を、本当に耳を傾けて聞いていたかしら?」


 リアは目を閉じ、深く考え込んだ。しばらくして、彼女は小さな声で答えた。


「私……ゼノンの話を最後まで聞かずに、自分の思いばかり押し付けてたわ。ゼノンが何か言おうとすると、すぐに遮っちゃってたの……」


 フランドールは静かに頷いた。


「そう、気づいたのね。相手の気持ちを理解するためには、まず相手の話をよく聞くことが大切なの。これからは、ゼノンさんが話すときは最後まで耳を傾け、彼の言葉の裏にある気持ちも感じ取るようにしてみなさい」


 リアは真剣な表情で頷いた。


「わかったわ。これからは、ゼノンの話をしっかりと聞いて、彼の気持ちを理解しようと努めるわ」


 フランドールは優しく微笑んだ。


「そうよ。相手の話を聞くことで、あなたは相手の立場に立って考えることができるようになるわ。そうすれば、お互いの気持ちがもっと通じ合えるはずよ」


レッスン2:求めるより与えなさい


「次に、愛とは与えるものだということを覚えておきなさい」


 フランドールは穏やかに、しかし真剣な眼差しでリアを見つめながら続けた。リアは少し困惑した表情を浮かべた。


「でも、私はゼノンに愛を与えようとしてたはずよ……」


 フランドールは優しく微笑んだ。


「本当にそうかしら?あなたの行動を振り返ってみて。あなたは自分の欲求を満たすことばかり考えていなかった?」


 リアは目を閉じ、これまでの自分の行動を思い返した。ゼノンに抱きついたこと、強引に気持ちを伝えようとしたこと……。少しずつ、自分の行動の真の意味が見えてきた。


「確かに……」


 リアは顔を赤らめながら小さな声で言った。


「確かに、自分が幸せになりたいって気持ちが強すぎたかも……」


 フランドールは優しく頷いた。


「そして更に大切なことがあるわ」


 リアは真剣な表情で聞き入った。


「愛を与えることは素晴らしいけれど、相手がその愛を求めているかどうかも考えなければいけないのよ」


 リアは少し困惑した様子で尋ねた。


「でも、愛は与えるものだって……」


 フランドールは優しく微笑んだ。


「そうね。でも、時には相手が望んでいない愛を押し付けてしまうこともあるの。それは本当の意味での愛とは言えないわ」

「相手が望んでない愛……」


 リアは小さく呟いた。


「例えば、ゼノンさんが一人で静かに過ごしたいときに、あなたが愛情表現として常に側にいようとするのは、実はゼノンさんの望みとは違うかもしれないわ」


 リアは目を大きく見開いた。


「そうか……私、ゼノンの気持ちを考えずに、自分の愛情を押し付けてたのね」

「その通りよ」


 フランドールは肯定した。


「真の愛とは、相手の気持ちを尊重し、時には距離を置くことも含まれるの。相手が何を望んでいるかをよく観察し、理解することが大切なのよ」


 リアはゆっくりと頷いた。


「わかったわ。ゼノンの幸せを願い、愛を与える。でも、出来る限りゼノンが望むときに、望む形で……」


 フランドールは満足げに微笑んだ。


「その理解こそが、成熟した愛よ。とっても難しいけど、とっても大事なこと」


 リアは小さく頷き、その瞳には新たな決意の光が宿っていた。



レッスン3: 自分の行動に責任を持つこと


「最後に、自分の行動に責任を持つことを忘れないで」


 フランドールは真剣な表情で言った。リアは首を傾げた。


「責任……?」

「そう、あなたの行動はあなたの意思で選んだもの。その結果も受け入れなければならないわ」


 リアは深く考え込んだ。しばらくの沈黙の後、彼女の目が大きく見開かれた。


「私の行動で、ゼノンや周りの人たちを困らせてたわ……」


 リアは小さな声で呟いた。


「そうね。その気づきは大切よ」


 リアはさらに考え込む様子を見せた。突然、彼女の表情が変わり、決意に満ちた目でフランドールを見上げた。


「フランドール様、私、わかったわ」


 リアは小さな拳を握り、力強く言った。


「ゼノンのところに戻ったら、まず謝るわ。『想いを押し付けてごめんなさい』って。そして、これからは互いの気持ちを尊重し合える関係を築いていきたいって伝えるわ」


 フランドールは静かに頷いたが、その目には深い思慮の色が宿っていた。


「そうね、その決意は素晴らしいわ。でも、リア、もう一つ大切なことがあるのよ」


 リアは真剣な眼差しでフランドールを見つめた。


「仮に、ゼノンがあなたの謝罪を受け入れてくれなかったとしても、それもまたあなたの行動がもたらした結果の一つだということを理解しなさい」


 リアの表情が一瞬曇った。


「でもでも、私は心から謝るつもりなのよ!」


 フランドールは優しく微笑んだ。


「そうね。でも、相手の気持ちを尊重するということは、相手の決定も受け入れるということよ。もし謝罪が受け入れられなかったら、その時は素直に身を引くことも大切な責任の取り方なの」


 リアは深く考え込んだ後、ゆっくりと頷いた。


「わかったわ。確かに、これまでの私の行動が招いた結果かもしれない。ゼノンの気持ちを本当に尊重するなら、どんな結果でも受け入れなきゃいけないのね」

「その通りよ」


 フランドールは満足そうに言った。


「謝罪は新しい始まりになるかもしれないし、または一つの区切りになるかもしれない。どちらにしても、あなたの成長につながるはずよ」


 リアは感謝の気持ちを込めて言った。


「ありがとう、フランドール様。私、この学びを胸に刻んで、どんな結果になっても、自分の行動に責任を持って、ゼノンの気持ちを尊重するわ!」


 フランドールは温かな笑顔を向けた。


「あなたの成長が本当に嬉しいわ、リア。これからのあなたの人生が、より豊かで深いものになることを願っているわ」


 こうして、リアの心には、真の愛と理解を育むための大切な教えが深く刻まれた。そして何より、自分の行動に対する責任と、相手の気持ちを真に尊重することの意味を、彼女は深く理解したのだった。


***


「先生、何か悩み事でもあるのかい?」


 リアが妖精の国へ旅立って数日が過ぎていた。治癒院は静けさに包まれ、ゼノンは日々の診療に励んでいたが、彼の心の中には何か物足りなさが漂っていた。

 この日、年老いたヒューマン女性患者のマーサが診療にやってきた。彼女は関節の痛みを訴えていたが、ゼノンの表情を見てふと立ち止まったのだった。


「いや……ただ、少し考え事をしていただけです」


 マーサは微笑んだ。


「あの可愛らしい妖精さんのことかい?最近見かけないと思っていたんだよ」


 ゼノンは驚いて顔を上げた。


「リアのことですか?」

「そうそう、リアちゃんだった。痴話喧嘩でもして、逃げられたか」


 マーサは少しからかうような口調で言った。ゼノンは慌てて手を振った。


「いえ、そんなことはありません。リアは……修行の旅に出たんです」

「あら、そう」


 マーサは少し意外そうな表情を浮かべた。


「あの子がいると、ここがもっと明るくなるんだよ。患者たちも、あの子の笑顔を見るのを楽しみにしているんだ」


 ゼノンは黙って聞いていた。マーサの言葉が、彼の心に響いていく。


「先生、余計なお節介を承知で言わせてもらうけれど」


 マーサは慈愛に満ちた目でゼノンを見つめた。


「あの子は先生のことをとても大切に思っているよ。そして、きっと先生もあの子のことを……」


 ゼノンは言葉を遮るように咳払いをした。しかし、その表情には柔らかさが宿っていた。


 その日の診療を終え、ゼノンは一人で治癒院の庭に立っていた。リアが大切にしていた花々が、静かに風に揺れている。彼は自分の大きな手のひらを見つめた。その手に、リアの小さな体を抱きしめた感触が蘇る。


「俺は、リアのことを……」


 ゼノンは自分の気持ちと向き合い始めていた。リアがいない日々を過ごす中で、彼女の存在がいかに大きかったか、そしていかに大切だったかを、彼は痛感していた。


「俺も変わらなきゃな」


 ゼノンは静かに呟いた。


「リアが戻ってきたら、ちゃんと気持ちを伝えよう」


 夕焼けの空が燃えるように赤く染まり、その光が治癒院の窓から差し込んでいた。ゼノンは、その温かな光に包まれながら、静かに立ち尽くしていた。彼の大きな手には、古書店から苦労して入手した珍しい魔導書が握られていた。


***


 フランドールは静かに目を閉じていた。その瞼の裏では、妖精眼と呼ばれる特殊な能力により、遠く離れた治癒院キュアリウムの様子が映し出されていた。フランドールの口元に、『にまにま』といった老妖精らしからぬ種類の微笑みが浮かぶ。


「あらあら……まぁまぁまぁ!」


(リアにはああいったけど、まったく脈がないワケでもなさそうね)


 フランドールは静かに目を開けた。妖精眼で遠くを見ていた彼女の瞳が、ゆっくりと現実の世界に焦点を戻す。

 目の前に置かれた蜂蜜茶の香りが、古木の洞窟に漂っていた。老妖精は優雅に蜂蜜茶を手に取り、リアに目を向けた。リアは自分の蜂蜜茶のカップを両手で包むように持ち、静かに考え込んでいた。


「リア、ちょっといいかしら」


 リアは静かに顔を上げ、フランドールを見つめた。


「あなたの素直に反省できるところ、とっても素敵だと思うわ。それはあなたが持つ素晴らしい資質の一つよ」

「フランドール様、ありがとうございます。でも私、すぐにゼノンのところへ戻って謝らないと……」


 しかし、フランドールは穏やかな笑みを浮かべながら、リアの肩に優しく手を置いた。


「ちょっと待ちなさい、リア。ゼノンさんに謝罪するのは大切だけど、まだやるべきことがあるわ」


 リアは驚いた表情でフランドールを見つめた。


「え?でも……」

「それはそうとして、ついでなんだから肉体の方のレッスンもしていきなさい」


 リアは躊躇いながらも、その言葉に耳を傾けた。


「ここからが本当の挑戦の始まりなの」


 フランドールは静かに言った。


「精神的な訓練の次は、肉体的な訓練よ。あなたとゼノンさんの間には、まだ大きな体格差があるわ。その差を少しでも埋めるための訓練が必要なの」


 リアの目が大きく見開かれた。


「肉体的な……訓練?」

「ええ」


 フランドールは少し含み笑いをしながら続けた。


「ゼノンさんとの幸せな未来のために、心も体も鍛えていきましょう」


 リアは一瞬迷いの表情を見せたが、やがてゆっくりと頷いた。


「わかりました……フランドール様。ゼノンのためにも、もう少し頑張ります」


 フランドールは満足そうに微笑んだ。


「その意気よ。さあ、新たな挑戦の始まりよ」


 こうして、リアの異種族間恋愛特訓は、新たな段階へと突入していった。彼女の心には、ゼノンへの深い愛と、自己成長への強い決意が燃えていた。


***


レッスン1:戦に勝つには敵を知れ


「さて、リア。愛する人を理解することは大切です。ゼノンさんの……そうですね、『おしべ』の大きさについて話しましょうか。」


 こほん。ひとつ咳払いをして、フランドールは、空中に手をかざすと、輝く妖精の鱗粉で果物と花の絵を描いた。


「ゼノンさんはオーク、彼の『おしべ』は、私たちの基準では……そうですね、永遠の若さを与えるという伝説の竜果実ほどの太さがあるでしょうね。長さは、妖精の森の奥深くに一夜だけ咲くという月虹の蘭の茎ほど」


 リアは目を丸くして聞いていた。フランドールは続けた。妖精ではない現代人読者諸氏に伝わるように伝えると――ヒューマンの女性の細腕位とでも評そう。

 老妖精は、リアの反応を見ながら、さらに柔らかく付け加えた。


「私たち妖精にとっては、まるで大木のようなものですね。でも、愛とは形だけではありません。心と心の繋がりこそが大切なのです」


 リアは、驚きと期待が入り混じった表情で頷いた。フランドールの言葉は、彼女の中に新たな視点と、乗り越えるべき課題の大きさを植え付けたようだった。



レッスン2:何はなくとも体力及び耐久力をあげよ


 フランドールは真剣な表情でリアを見つめ、次のレッスンを始めた。


「さて、リア。異種族との愛には、並の妖精の体力では足りないの。体にかかる負荷も大きいわ。だから、基礎体力と耐久力を上げる訓練をしましょう」


 まず、基礎体力トレーニングから始まった。フランドールは妖精サイズの小さな障害物コースを作り出した。リアは花びらの上を軽やかにジャンプし、蜘蛛の糸を伝って登り、露の玉をくぐり抜けた。最初は息を切らしていたが、日を追うごとに動きが滑らかになっていった。


 次に、魔法での耐久力強化。フランドールは微弱な風の魔法をリアに向けて放った。


「この風に耐えるのよ。徐々に強くしていくわ。」


 リアは必死に踏ん張り、風に飛ばされまいと全身に力を込めた。最初は数秒で吹き飛ばされていたが、練習を重ねるうちに、強い風の中でも立っていられるようになった。

 さらに、花の蜜を集めて特殊な強化栄養剤ポーションを作る練習も行った。リアは様々な花から蜜を集め、フランドールの指導の下、それらを調合した。できあがった栄養剤ポーションを飲むと、体が淡く光り、一時的に強くなるのを感じた。


「これで、少しは『おしべ』に耐えられるようになったかしら」


 フランドールが言うと、リアは恥ずかしそうに、でも誇らしげに頷いた。訓練は厳しかったが、リアの瞳には決意の光が宿っていた。ゼノンとの愛を実らせるため、彼女は必死に努力を重ねていったのだった。



レッスン3:めしべの伸縮性を上げよ

 このレッスンは比較的性的な倫理観において大らかな妖精族にとっても、非常に恥ずかしい特訓だった為、リアとフランドールの名誉の為、具体的な内容の記載は伏せておくものとする。


***


 こうして、厳しい修行の末、リアはゼノンの『おしべ』に耐えられる肉体と魔法を身に着けた。フランドールは、長い修行を終えたリアを優しく見つめ、最後のアドバイスを贈ることにした。その声は柔らかく、しかし重みがあった。


「リア、よく頑張ったわね。最後に一番大切なことを伝えておくわ」


 フランドールは深呼吸をして、続けた。


「愛は、体の大きさや種族の違いを超える力を持っているの。でも、それは同時に繊細で、大切に育てていかなければならないものよ。ゼノンさんとの関係を育むときは、焦らずにゆっくりと進めていくことが大切よ。お互いの気持ちや体の違いを尊重し合いながら、少しずつ近づいていくの」


 老妖精の目に、懐かしさと温かさが宿った。


「そして忘れないで。愛は単なる肉体的なものではないわ。心と心の繋がり、お互いを思いやる気持ち、一緒に過ごす時間の中で育つものなの。たとえ体の大きさが違っても、心が通じ合えば、きっと幸せな関係を築けるはず」


 フランドールは最後に、優しく微笑んだ。


「さあ、行きなさい。あなたの純粋な愛と、ここで学んだことを胸に。ゼノンさんときっと幸せになれると信じているわ。ただし、焦らずに、お互いを大切にね」


 リアはフランドールへの心からの感謝を込めて、深く頭を下げた。彼女の心には、愛する人との幸せな未来への希望が満ちていた。


***


 夕暮れ時、治癒院キュアリウムの窓から差し込む柔らかな光が、診察室内を黄金色に染めていた。空気中には、薬草の香りと、一日の終わりを告げる静けさが漂っていた。数日前まで、この場所にはリアの賑やかな声が響き渡っていたが、今はただ静寂だけが支配していた。


 その静寂を破るように、診察室のドアがゆっくりと開いた。そこに立っていたのは、妖精の国から戻ってきたリアだった。彼女の姿は以前と変わらず小柄で愛らしかったが、その瞳に宿る光は明らかに違っていた。深い決意と、成長の跡が垣間見える。


 リアは部屋を見渡し、ゼノンの姿を捉えた。オークの治癒師ヒーラーは、最後の患者の診療を終えたところだった。以前のリアなら、すぐさま飛び込んでいったことだろう。しかし今回は違った。彼女は静かに、診療が完全に終わるのを待った。


 ゼノンが深いため息をつき、肩の力を抜いた瞬間、リアはそっと近づいた。彼女の羽音は、まるで風に乗って漂う花びらのように軽やかだった。


「ゼノン……」


 リアの声は、いつもの元気さとは違い、柔らかく震えていた。それは、真剣な決意と、わずかな不安が混ざり合った声だった。ゼノンは驚いて振り向いた。その大きな瞳に、驚きと喜び、そして少しばかりの戸惑いが浮かんでいる。


「リア……戻ってきたのか!」


 ゼノンの低い声が部屋に響いた。その声には、リアがいない間の寂しさと、再会の喜びが滲んでいた。


 リアは深呼吸をした。その小さな胸の中で、心臓が激しく鼓動を打っている。彼女は、真摯な眼差しでゼノンを見上げた。二人の視線が絡み合う。


「ゼノン、まず謝らせて。今まで、あなたの気持ちも考えずに、自分の思いばかりを押し付けてごめんなさい」


 リアの言葉に、ゼノンの目が大きく見開かれた。彼の表情には、驚きと、何か深い感動のようなものが浮かんでいる。一瞬の沈黙が流れた後、彼の表情が柔らかくなった。


「いや……俺こそ謝らなきゃならない。お前の気持ちから逃げて回ってばかりで……本当に悪かった」

「ゼノン……!」


 ゼノンを呼ぶリアの声は、感情が溢れて少し震えていた。ゼノンは続けた。その声には、これまでにない優しさと決意が込められていた。


「俺も、お前がいない間にいろいろ考えたんだ。お前がどれだけ大切な存在か……そして、俺たちの関係をもっと大切にしなきゃいけないって」


 リアは小さく、しかし確かに頷いた。その仕草には、これまでにない成熟さが感じられた。


「私も、故郷の老妖精様から多くのことを学んだわ。相手の気持ちを考えること、与えることの大切さ……そして、自分の行動に責任を持つこと」


 ゼノンは優しく微笑んだ。その笑顔は、これまでリアが見たことのないほど柔らかく、暖かいものだった。


「お前、随分成長したんだな」

「うん……でも、まだまだ学ぶことがたくさんあるの」


 リアは真摯に答えた。その声には、これからの未来への期待と決意が込められていた。


「これからは、あなたと一緒に成長していけたらいいな……って」


 ゼノンは大きな手でリアの頭を優しく撫でた。その仕草は、世界で最も繊細な花を扱うかのように慎重で、それでいて力強かった。


「ああ、そうだな。俺たちで、ゆっくりと関係を築いていこう」


 リアは少し赤面しながら続けた。その頬は、夕焼けの色よりも鮮やかに染まっていた。


「それでね、私……あなたと一緒になれるように、その、交配えっちできるようになったのよ」


 ゼノンの目に驚きと感動の色が浮かぶ。その大きな瞳には、リアへの深い愛情と尊敬の念が満ちていた。


「お前……本当に頑張ってきたんだな」


 彼の声は、普段の低い響きとは違い、柔らかく温かみを帯びていた。大きな手がリアを優しく包み込む。その手の中で、リアの小さな体は安心感に包まれていた。


「俺も……お前のために努力したんだ」


 ゼノンは少し照れくさそうに言った。その表情は、普段の落ち着いた様子とは打って変わって、少年のような初々しさを漂わせていた。


「その……体の一部を……お前の言う『』を小さくする魔法ってやつをな」


 リアの目が驚きと喜びで大きく見開かれた。その瞳には、星空のような輝きが宿っていた。


「ゼノン……あなたも努力してくれたの?」


 ゼノンは優しく頷いた。その仕草には、これまでにない柔らかさがあった。


「ああ。お前が頑張ってるなら、俺だって黙ってられないだろ」


 二人の視線が絡み合う。そこには言葉では表現できない深い愛情と相互理解が流れていた。静かな笑いが、二人の間に温かな空気を作り出していた。その空気は、まるで春の陽だまりのように柔らかく、心地よいものだった。


 診察室の窓から差し込む夕日の光が、二人の姿を優しく包み込んでいた。その光の中で、リアとゼノンの新たな物語が、静かに、しかし確実に始まろうとしていた。


 そのとき、リアとゼノンは気づかなかったが、治癒院キュアリウムの入り口で小さな物音がした。先ほど診療を終えたばかりの近所のエルフの男性患者が立っていた。彼は忘れ物を取りに戻ってきたのだが、思わぬ光景を目にして固まっていた。

 しかし、二人の距離がさらに縮まり、恋人同士の愛の逢瀬いちゃこらが始まりそうになったのを見て、エルフは慌てた。彼は瞬時に判断し、盗賊並みの軽やかな足取りで診察室に忍び込んだ。

 息を殺しながら、エルフは自分の忘れ物――治療薬ポーションの処方箋を見つけた。それを素早く、かつ静かに掴むと、二人に気づかれないよう慎重に後ずさりした。治癒院を後にしながら、エルフは空を見上げ、夕焼けに染まる雲を眺めながら、静かに呟いた。


「俺も、……真面目に恋人を探してみるか」


 新たな決意と希望を胸に、若い男エルフ(独身・120歳)は夕暮れの街へと歩み出した。


***


エピローグ:

 それから数年後、ゼノンは相変わらず患者たちの治療に勤しんでいたが、今や彼の顔つきを怖がる者はいなかった。むしろ、その優しい笑顔と確かな腕前で、多くの人々から慕われていた。リアは薬草となる草花の世話をしながら、時折キュアリウムに顔を出しては患者たちを励ましていた。彼女の明るい笑顔と甘い香りは、みんなの心を和ませる存在となっていた。

 そして、夜になると……。リアの修行とゼノンの修行。両者の努力は無駄にならなかったとだけ、伝えておこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛を育む二人の修行~花の妖精と治癒師オークの恋物語~ とりにく @tori29umai0123

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ