■芦原瑞穂の話 遺書

 宮下くんのお母さんの様子がおかしくなってからの記憶は、ほとんど無い。式は彼女不在のまま進行し、宮下くんの遺体を乗せて火葬場へ向かう車を見送ると、親族以外はそこで解散だった。

 

 私たち会社の人間はみんな、周りからの好奇の視線に耐えかねて、逃げるように会場を後にした。


 ……そうして今。私は一人、葬儀場近くの川沿いを歩いている。

 

 体の中身がごっそりとなくなってしまったような喪失感が私を支配していた。その代わりに詰まっているのは、激しい後悔の念だ。


 宮下くんが死んだのは、私のせいだ。

 

 立ち止まり、曇天の下で寒々と流れる川をぼんやりと眺める。いっそのこと、ここに飛び込んでしまえば、少しでも罪滅ぼしになるんだろうか。そんな事を考えて、誰に見せるともなく首を振る。

 ……ないな。私と宮下くんとじゃ、重さが違いすぎる。何をしたって償うことなんてできない。それは私にとって、あまりに重い事実だった。


「……瑞穂ちゃん!」


 突然、背後から声を掛けられて、私はのろのろと振り向いた。


「……藤村さん」


 そこには、宮下くんの先輩で新聞記者の藤村勇那さんが、喪服姿で立っていた。私と彼以外にあの資料のことを知る、唯一の協力者だ。


「よかった……追いついて」

「なにか……ご用ですか」

「……死んじゃいそうな顔してたから、追いかけてきた」


 藤村さんは額には薄っすら滲んだ汗を拭いながら言う。よっぽど急いで走ってきたのだろうか、息もあがっている。


「家まで送る。今の君を放っといたら、宮下に怒られるから」


 ちゃんとした会話ができる気分でもなかったけど、断るのも億劫だった。最低限の意思表示としてこくりと頷き、無言で歩き出す。背後から藤村さんが小走りで追いかけてくる音がして、それはすぐに私の横に並んだ。


「……私のせいですね」

「違う」


 ポツリと呟くと、藤村さんは即座に否定した。その勢いに、こんなときなのに思わず笑ってしまう。


「ありがとうございます。でも……私のせいです」

 

 メッセージが届いた時からもしかしたら、とは思っていた。けど、葬儀での彼のお母さんの様子を見て確信した。


「……宮下くんには死ぬ理由なんてなかった。夢だった作家になれて、これからってときに、自分で命を絶ったりするわけがない。……芹山翔一と同じです。きっと二人とも、何かに殺されたんだ」

 

 あの資料の登場人物や宮下くんのお母さんのように、人を狂わせてしまう何か。それはきっとスノウ製菓に関係がある。


「宮下くんからメッセージが入ってました。私に……逃げろって。ごめん……とも。そう言わなきゃいけないのは、私の方なのに。私が、あんなもの見つけたから……宮下くんは……」


 喉の奥から重たい塊が出てくるような感覚に、声が裏返った。唇を噛むと鉄の味がしたけど、痛みなんて些細なことだった。 

 ……泣いちゃいけない。私には、泣く資格なんてない。

  

「宮下から君宛に、SDカードに入ったメッセージが見つかったらしい」

「……え?」

「宮下のお兄さん、芳樹さんっていうんだけど。君に直接会って、渡したいって言ってる」

「…………なんで?」


 反射的に聞いてしまって、ハッとする。


 ――お前だからだよ。


 あの日、自宅の前で宮下くんに言われた言葉を思い出す。最近のことなのに、今やひどく遠い記憶だった。彼の少し不機嫌な声、赤く染まった耳のことも、もうぼんやりとしか思い出せなかった。


「……やだ、駄目。聞きたくない。言わないでください」

 

 私は耳を防いで藤村さんの言葉を拒否した。あの時「この話はまた」と宮下くんは言った。もう二度とその「また」はこないのだ。それなのに、他人の口からそんな大切な言葉を聞きたくなかった。

 

「宮下が君のこと、好きだったからじゃないかな」

「…………」


 耳を塞いだ両手は藤村さんの言葉を防いでくれることなく、私の意地は脆くも崩れ去る。

 固い土の上に崩れ落ちて、私はそのまま――日が暮れて辺りが暗くなるまで、いつまでも泣き続けた。

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