■芦原瑞穂の話 かぞくは
声が出せなかった。
宮下くんは、あの棺の中にいるはずだ。それ以前に、彼は確かに亡くなったはずだ。
なのになんで、声がするの?
宮下くんのお母さんの慟哭が、会場のざわつきが、遠くから聞こえる。冷たい手が、私を呼ぶようにとんとんと肩を叩く。
「……なぁ、芦原、どうしようか?」
もう一度、宮下くんの声で、それは私に尋ねた。
「かぞくが殴られたんだよ。かぞくの敵は、みんなでたおさなきゃ」
何を言ってるんだろう。宮下くんの家族は、お母さんは、馬場部長を殴ったほうだ。言っていることがまるで逆じゃないか。
私はわけがわからなくて、勢いよくぶんぶんと首を振る。なにを否定したいのか、自分でもよくわからなかったけれど、後ろに立つそれが言うことを肯定してはいけない。それだけはわかった。
「そっか」
その返事は、泣きたくなるくらいに、生前の彼と同じ調子だった。肩に触れた冷たい手の感触がそっと離れていく。
「かぞくの家族はかぞく、だもんな」
それはどういう意味かと訪ねる前に、目の前の光景に異変が起こった。
「……優吾?」
先程まで号泣していた宮下くんのお母さんが、突如その動きを止めて、ぽかんと棺を見つめている。
「優吾!」
彼女は突然大声を出すと、その豹変ぶりに戸惑うお父さんとお兄さんを押しのけて、棺の小窓に齧り付くようにしてその中を覗き込んだ。
「……ああ、そう、そう、そうなの……そうなのね……うん、うん。そう、そうだったのね……」
すすり泣きながら小窓の中に語りかけ、うんうんと頷く様子を周囲は息を呑んで見つめる。子を亡くした母の狂気とも言える行動に、誰も声なんてかけられるはずがなかった。
ひとしきり棺と会話をした宮下くんのお母さんは、ゆらりと立ち上がる。そして、その傍で腰を抜かしていた馬場部長を見下ろした。
そして、涙で汚れた頬を持ち上げ――屈託なく、にっこりと微笑んだ。
「……馬場部長でいらっしゃいましたね。この度は、生前の息子が、大変お世話になりました」
「は、はい。いえ、その」
「とてもよくしていただいた、と。優吾も申しております。先程は、たいへん失礼いたしました。取り乱しておりまして、ほほ」
馬場部長は、戸惑ったように宮下くんのお母さんを見上げている。
「……今後とも、どうぞよろしくお願いいたしますね」
「……は」
「優吾、退職は取りやめにしたんですって。やっぱり御社で、みんなの一員として、頑張りたいって。そう言ってますの。あはは」
「母さん、何言って」
「身体なんて容れ物にすぎませんよね。亡くなっても、優吾の魂は、これからもずっとずーっと、御社の一員として生き続けるんですわ」
「ちょっと母さん!……すいません、母は、錯乱しているみたいで。休ませます、すいません、すいません!」
「うふふ、ほほほほほは、ははほほほあははあはははははは」
宮下くんのお母さんは、お父さんとお兄さんに羽交い締めにされるように引きずられ、奥の部屋へと消えていった。
静まりかえった会場に、私たちだけが残された。
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