■芦原瑞穂の話 葬儀

 葬儀会場は地獄みたいな場所だった。


 親より先に逝くこと以上の親不孝はない。かつてそんな言葉を聞いた時は、そんなもんなのか、と思っていた。少なくとも私の実母は私が目の前で死んでも何とも思わなかっただろうし。

 

 だけど……目の前で宮下くんのご両親が嘆き悲しむさまを見ていると、否応なく言葉の重みが私にのしかかる。

 

 鯨幕の下、棺に縋り付いて泣き続ける母親に気圧されて、私たち弔問客はろくに近づくこともできなかった。

 母親の背を宮下くんによく似た青年――あれが、例のお兄さんだろう――が擦りながら慰めている。お父さんらしき人がその横に立ち、手を合わせにきた人々へ頭を下げ続けていた。


 ――兄貴がすごい優秀なんだよな、ぼーっと本ばっか読んでる俺は、宮下家の出がらし扱いなんだよ。まじ、親からの愛情の差ってやつ感じてるわ。


 何かの機会に、宮下くんがそんなことを言っていた事を思い出す。


 うそつけ、愛されてんじゃん。十分。


 そう思った瞬間、人生で初めて購入した喪服に包まれた私の身体は、恐ろしい速度で温度を失っていった。なんで、なんでと。頭の中で私自身がヒステリックに問い続けている。

 もちろん、誰もそれに答えてなんかくれない。


 弔問客はほとんど私たちと同年代で若者が多く、それぞれ仲間同士で集まっていた。

 向こうのグループの中にちらりと藤村さんの姿が見えたから、きっと大学のサークル仲間だろう。あっちは男ばっかりだから、男子校時代の友人だろうか。個性的な髪型の人が多いグループは、小説家仲間かもしれない。

 

 宮下くんが見たらきっと、笑いながら酷い同窓会だな、なんて言いそうだ。本当にそうだよね。だって男も女も、みんな泣いてる。

 

 私の周りには宮下くんの送別会に出席していた同期たちが勢揃いしていた。男子は一様に沈痛な面持ちで口を引き結び、女子はさめざめと泣いている。

 私はそのどちらにもなりきれなくて、数珠を握りしめたまま、ただただ呆然と目の前の光景を見つめていた。


 その時、背後の同期、宮下くんと同じ営業部の女子たちが、ひそひそとささやき始めた。

 

「……馬場部長、来たんだ……」


 緩慢な動きで私が振り向くと、喪服に身を包んだ恰幅の良い中年男性が入室してきたところだった。彼は会場の様子に少したじろいだようだったが、歩みは止めずに会場前まで進む。そして正座をすると、宮下くんのご両親に向かって深々と頭を下げた。

 

「優吾さんの上司をしておりました、営業部長の馬場と申します。……この度は……なんと申し上げれば良いか……」


 宮下くんのお母さんは涙に濡れた顔を上げる。しばしぼうっとしていたが、目の前の人間が誰か理解するや否や、般若のような表情で掴みかかった。

 

 宮下くんのお父さんとお兄さん、そして会場のスタッフが慌てて止めに入るが、彼女は細腕に似合わない力でその全てを振り払い、馬場部長の頬を張った。パァン、という音が、ざわついた葬儀場に響き渡る。

 

「あんた、あんたらの会社で、何かあったんじゃないの! 嫌がらせとか、ハラスメントとか、あったんじゃないの!? だから、だから優吾は」

「……そのような事実はないはずです。優吾さんも、夢を追うということでの退職で、わたくしどもも皆、応援しながら、送り出しまして……」

「うるさい! 黙れ! おまえ、おまえなんかが優吾の名前を呼ぶんじゃない!」


 宮下くんのお母さんは、今度こそお父さんに止められると、その場で崩れ落ち、わぁわぁと泣き出してしまった。

 痛ましさに唇を噛む。そんな私の背後から、小さな囁き声が聞こえてきた。

 

 息が、止まった気がした。

 

「どうする?」

「どうしよう?」

「かぞくのかぞくはかぞくだよ?」

「でも――をなぐったよ」

「かぞくげんかはいけないねぇ」

「どうしようか」

「どうしようか」


 くすくす、さやさやと。それは甲高い子供の声のようなのに、同時に酷く厭わしかった。心臓がばくばくと音を立て、数珠を握る手が汗でじっとりと湿る。

 

 一体、背後に何がいるのか。振り向いて確かめないといけない。そんな気がするのに、どうしても首が動かない。振り向けない。


 私が浅い呼吸を繰り返していると、ふと、肩に冷たい物が触れた。そして、私の耳元で、それは確かに私に向かってこう言った。


「なぁ、どうする?」


 ――それは。宮下くんの声だった。

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