■芦原瑞穂の話 それはあまりに突然で

 磯尾さんと藤村さんから話を聞いてから、私は平凡な日常へと復帰していた。 

 会社の先輩や上司は相変わらず優しかったし、仕事は忙しいけどやりがいがないこともない。

 

 暇を見つけて例の資料の書き起こしは続けていた。オリジナルは宮下くんに渡したけど、コピーは手元に残していたので。

 でもあれ以来、夜中に不審者が訪れることや、おかしなチラシを入れられることもなかった。

 お母さんとの関係は……まぁ、相変わらずだ。


 少しだけ変わったことと言えば、宮下くんとの関係性である。

 これまで、社内でとか、同期が集まる場でとかは話すことが多かった。けど、彼が退職してから、私たちの距離は少し縮まった、気がする。

 

 相変わらず手がかりは追ってくれているみたいだけど、それ以外の雑談のやり取りも増えた。……というか、現状大きな進展がないので、そちらがメインになりつつある。トークアプリでだらだらと続いていく会話のラリーを見るのは、結構楽しかった。


 例の資料は、事件の手がかりとして藤村さんから警察に渡ったらしい。まだ、あれが本物かどうかは判断されていないらしいけれど、白黒つくのも時間の問題だろう。

 

 正直なところ、後は警察に仕事をしてもらって、私たちは無事に平和な日常に戻って、めでたしめでたし――なのかな、そう思っていた。

 

 思いたかった。

 

 そんなある日。仕事が終わって私用のスマホを確認した私は、宮下くんからのメッセージ通知に目を止めた。そして駅までの道すがら、浮足立ちながらロックを解除して……そして、その内容に凍りついた。


 何の脈絡もなく、不自然な短文ふたつ。それは奇しくも彼があの資料のキーワードと評した単語が含まれていた。

 

 胸騒ぎがして慌てて電話をかける。何度かけても留守電に繋がってしまい、じりじりしながらもしつこく着信を入れ続けた。

 往来に立ち止まって電話をかけ続ける私を、道行く人々が時々不審な目で見てきたけれど、そんなもの気にしている余裕なんてない。

 

 十数回目のコールをかけた後、ようやく電話が繋がる音がした。


「……あ! もしもし? 宮下くん……」

「――はい、宮下優吾の……兄です」

 

 口を開きかけた私の耳に飛び込んできたのは、宮下くんとは違う男の人、彼の兄を名乗る人物の声だった。


「え……?」

「すいません、あの……優吾に、何かご用でしたか」

「あ……の。私、芦原といいます、えと、宮下くん……優吾、さんの友人なんです……が……」


 ――ああ。電話の向こうの人物は気の抜けた声でそう言うと、そのまま押し黙ってしまう。


「……優吾さんは、いらっしゃらないんですか?」

「優吾は……今日、自宅で……自分で、じぶんの、首を……吊って。いや、違う、飛び降りて」


 息を呑む。心臓が体中にあるみたいに大暴れして、周囲の音が何も聞こえない。

 まさか、まさかという言葉が脳内をぐるぐる回る。

 

 長い長い沈黙の後、私が聞かされたのは、想定される中で、最悪の一言だった。

 

「……先程。……息を……引き取りました」

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