■芦原瑞穂の話 告白

 宮下くんは、見送りを固辞する私を無視してタクシーを拾い、私の自宅マンションの前まで走らせてくれた。そして、危ないから、という理由で私の部屋の前まで着いてきてくれようとしている。

 過保護か、と思いながらも、いつものようにツッコミを入れる気分にはなれなかった。


「辞めないの、会社」


 そしてうちのドアの前で、宮下くんはぽつりと尋ねた。私は彼を見上げながら苦笑する。

 

「そんな簡単に辞めれるわけないじゃん。就職して親も喜んでくれてるんだし、入社してまだ半年だよ?」

「……命と親の期待と、どっちが大事なんだよ!」


 突然、宮下くんの声のボリュームが大きくなり、私は目を丸くする。


「……や、ごめん。怒鳴るつもりはなくて……」


 彼はバツが悪そうな顔で目を逸らし、謝罪した。そして、しばらく言葉を選んでいる様子で黙り込む。


「……出版社、俺が口利きしようか?」

「は?」


 そうして出てきた言葉は思いもよらぬ提案だった。驚きで二の句が継げない私を見ながら、宮下くんは話し続ける。

 

「好きだろ、本。昔、出版社受けて総落ちしたって愚痴ってたじゃん。転職しろよ。……そりゃいきなり正社員は厳しいかもだけど、契約社員から入って……とか。お前なら、働きぶり見てもらえばすぐ認めてもらえるって」

「……冗談よしてよ」

「冗談じゃねえよ」


 私が笑うと、宮下くんの声が再び大きくなる。そして何か痛みでも堪えているような表情で言った。


「おかしいって。磯尾の話も、藤村さんの話も。人が目の前で目玉に鉛筆突っ込んだのにニコニコしてる社員も、殺人事件に関する証拠を隠蔽してる会社も。……あんなとこにいたら、お前もそのうちどうにかなるんじゃないかって……心配なんだよ」

「……でも、一緒に働いてて変な人はいないもん。先輩も上司もいい人ばっかりだよ。おかしなところなんてない」

「……そりゃ、そうだけど」


 私がそう言い切ってしまうと、宮下くんは反論できないらしい。苦虫を噛み潰したような顔で黙りこんでしまった。そうして深々とため息をつくと、諦めたように言う。


「……周りの様子に違和感あったら、すぐに言えよ。俺も引き続きあの資料のことは調べるし、藤村さんにも頼んでる。……何かわかったら、すぐ連絡する」

「うん。ありがとう。……それにしても、宮下くん、面倒見いいんだね。見直した」

「……お前だからだよ」 

「……え?」


 宮下くんは、少し恨めしげな目で私の方を見る。そしてヤケを起こしたように喋りだした。

  

「……別に、面倒見なんてよくない。基本的に、他人のことなんかどうでもいい。これだけ動いてるのは相手が芦原瑞穂だからだ。……あれこれ調べてるのも、藤村さんにお前のことを言うなって頼んだのも、お前が危ない目に遭うのが嫌だから。それだけだ」


 宮下くんは、らしくない早口で言い終わると、ぷいと視線を逸らしてしまう。こころなしか、耳が赤い気がする。

 私はぽかんとして――何も言えなくなってしまった。


「……この話はまた。とにかく、用心しろよ。家ん中入ったらすぐ鍵閉めろ」

「……あ、うん……はい」

「……じゃ」


 そそくさと扉を開けて、中に入る。サムターン錠をかける音を響かせると、宮下くんが去っていく足音が聞こえた。

 その音を聞きながら、扉に背を預けて胸に手を当てる。戸惑いと、形容しがたい感情に心臓が暴れる。


「……まじかぁ」


 それは、そのセリフは、そういうことなんだろうか。いや、たしかに仲はよかったけど、今までそんなそぶりあっただろうか。私が気づいてないだけで、あったのかな。

 そんなことをぐるぐると考えながら、自分の心臓の音に耳を傾ける。予想だにしていない発言だったけど、困ったことに、悪い気はしていなかった。


 玄関でぼんやりしていると、廊下の先のリビングのドアが、静かに開く音がした。


「おかえり。瑞穂ちゃん」

「……ただいま。お母さん」


 貼り付けたような微笑みでそこに立っていたのは、私の母、である人だった。

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