■芦原瑞穂の話 磯尾貴教
土曜日の昼前、私は待ち合わせ時間ちょうどに駅前についた。背の高い宮下くんは雑多な人混みの中でもよく目立つので、いつもすぐに見つける事が出来る。
私は片手をポケットに突っ込んで、だるそうにスマホをいじる彼に駆け寄ると、なるべく明るく見えるような笑顔で声を掛ける。
「うっす! お待たせ!」
「遅い」
スマホから視線を上げた宮下くんは、開口一番で私へ文句をつけた。
「待ち合わせ時間ぴったりじゃん。文句言われる筋合いなくない?」
「健全な社会人は十分前行動が基本だろうが。新人研修で何学んで来たんだ」
「え……会社から早々にドロップアウトした人が何か言ってる……」
「うっせ」
私たちは憎まれ口を叩き合いながら駅を出て、一つ目の目的地へと向かって歩き出した。
一つ目の目的地は、駅から徒歩十分程度の距離にあるオフィスビルの五階。そこに、株式会社スタディスターズのオフィスがある。法人相手に社員教育の提案や研修プログラムの提供を行っている研修会社だ。
――
磯尾氏には、宮下くんの担当をしている出版社の編集者さんから事前に連絡をしてもらっていて、今日は彼の次回作の取材という口実で訪問することになっている。
連絡を取るに当たって、宮下くんはこちらから『スノウ製菓』の名前は出さないよう、担当氏にお願いしたという。宮下くん曰く、「逃げられないようにするため」だとか。
私たちは今日、磯尾氏の証言から「あの映像は悪趣味なフェイクだった」と確信を得られることを期待していた。
けれど……考えたくもないけど、万が一そうでなく、あれが現実に起こったことだとしたら。
それは磯尾氏にとっては思い出したくないことかもしれない。突然、研修を受けていた人間が自分の目を潰した、だなんてことがあったのなら、彼の責任問題になっていたかもしれないし、私たちがそれを糾弾する目的で話を聞きに来たと思われるのもよくない。
そう思うと、伏せておいたほうがよいという宮下くんの意見はもっともなものだと思う。
そして私も、スノウ製菓の現役社員だとは名乗らないように釘を差された。なので私の肩書は宮下くんのアシスタントである。
正直、新人小説家のアシスタントって何なんだろうと思うのだけど、他に適当な肩書も思いつかないので仕方ない。
迷うことなくビルに到着した私たちは、エレベーターで五階まで上がる。扉が開いてすぐ、おしゃれな擦りガラスの壁に爽やかな青字のロゴを描いた「スタディスターズ」の看板が掲げられていた。
私たちを出迎えてくれた磯尾氏は、浅黒い肌に白い歯のコントラストが眩しい、推定四十代の紺色のスーツを着た男性だった。
「磯尾です。今日は、新進気鋭の若手小説家にお会いできるということで、楽しみにしていました」
そう言って笑顔で名刺を差し出すフォームは、ビジネスマナー講習などもやっている会社の代表だけあって、とても綺麗だった。
「宮下です。今日はお忙しいところ、お邪魔して申し訳ありません」
「……アシスタントの芦原です」
「どうぞよろしくお願いします。……いやぁ、宮下さんの本、私も読ませていただいてたんですよ。面白かったです。最後のどんでん返しが見事で」
磯尾氏は愛想よく宮下くんの本の感想を述べながら、私たちを小綺麗な会議室に案内し、自らペットボトルのお茶を持ってきてくれた。
「すいません、土曜日なので、私以外の社員はお休みいただいてまして。いつもはコーヒーの一つもお出しするんですが」
「いえ、お構いなく。無理言って押しかけたのは私たちですので。……取材の様子、録音させていただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろん」
宮下くんは言質を取ると、こちらに向かって目配せをする。私は頷いて用意していたボイスレコーダーを取り出した。
「……さっそくですが。今日お伺いしたいのは、昨年、株式会社スノウ製菓で開催していただいた営業研修のことについてなんです」
宮下くんがそう切り出すと、見る間に磯尾さんの笑顔が消え、その表情が凍りついた。
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