第3話 空白の地
エリーゼが幸せそうに笑っている。
あの頃と同じように笑うエリーゼを見るとホッとします。
強欲悪女と呼ばれたエリーゼが、こんな可愛らしい女性だったとは王都の貴族なら誰も信じないでしょう。
王都での彼女はいつも悪女を演じていました。
彼女のそばにいれば、誰だって気づくはずです。
それが誰かを守るためであると。
そもそもエリーゼが悪女になったのは、私のせいなのです。
私はエリーゼの腹違いの兄でした。
ですが、身分は平民。
それはわかっていたのですが、エリーゼの懇願に負けてエリーゼと私は一緒に遊ぶようになりました。
彼女の両親が家にいないのも、気が緩んでしまった原因です。
ある日旦那様に一緒に遊んでいるのが露見しました。
エリーゼは必死になって庇ってくれましたが、火に油を注いだようなものでした。
それからです。
エリーゼは平民に対し、高圧的で馬鹿にした態度を取るようになりました。
しかし、少し一緒に過ごせばわかります。
毒味しろ、こんなもの食べられないという時は、誰かにその食事を譲りたい時。
汚いという時は、一緒に新しい服も渡し、学がないと嘲笑う時は、手本となるものや本を渡すのです。
エリーゼが何を思って、そんな言動をするのかすぐわかりました。
貴族社会では強欲悪女と言われているエリーゼですが、平民たちは違います。
屋敷の使用人は将来平民になる嫡男ではない下級貴族や平民ばかりですから、平民にも心を砕くエリーゼのことを心から慕っています。
それがバレるとエリーゼの努力を無駄にしてしまいますから、誰も表立って感謝や親愛を示せないだけです。
孤児院の子供たちだって、言わないだけで感謝しています。
当たり前です。
彼らは、エリーゼがわがまま言ったおかげで、美味しいご飯にありつけたのだし、エリーゼがわがまま言ったことで、針仕事を覚えたり、戦い方を覚えたりして何かしらの職を得たのですから。
それに何より、小汚い恰好をして、朽ち果てた孤児院のままだったなら、間違いなく景観美化の名のもとに皆殺されていたでしょう。
子どもたちの気持ちは、感謝なんて言葉では足りないほどだと思います。
服屋の母娘もすぐにエリーゼの思惑に気が付いたようでした。
彼女たちは、感謝できないことに何度唇をかみしめていたでしょうか。
そしてあの男も……。
ある日エリーゼが奴隷として連れてきたジークと言う男。
あの男は、貴族と過去にトラブルがあったようで、ずっとエリーゼのことを嫌っていました。
しかし奴隷解放したあの日、奴隷の首輪と称してエリーゼが渡していた家紋入りのネックレスを返すようにと言ったときのあの顔は……あれは深い喪失感だったと思います。
きっとあの男も心の底ではわかっていたです。
エリーゼが何のために男を奴隷にしたのか。
転機はエリーゼの婚約破棄でした。
その一報を聞いた私は、なぜかあの男が来ると思いました。
エリーゼを家に送り届けるのは護衛に任せ、王宮の入り口で男を待ちました。
何故来ると思ったか……ですか? ただの感ですよ。
ですが、本当に男はやってきました。
空白の地までこの男がいれば大丈夫だろうと思い、私は男にエリーゼを託し、急ぎました。
「眼鏡!? おい、何で来ないんだ」と男は焦っていましたが、私にもやることがあったのです。
私は屋敷の人間を使って、あっちこっちにエリーゼの追放を知らせて回りました。
知らせたのは、貴族社会のことなど何も知らない平民たち。
貴族は平民を同じ人間などと思っていません。
だから平民は何も知らされないのです。
えぇ。だから知らせました。
エリーゼが空白の地に追放されたぞ。と。
エリーゼは知りませんが、本当に平民にとってはエリーゼが最後の希望だったのです。
少し汚らしい恰好をしていたら、切り捨てられるような社会。
そんな中それとなく孤児院を助け、出会った貧民を助けるエリーゼが王妃になるのなら、何か変わるかもしれない。
エリーゼはそんな希望の光でした。
その証拠にエリーゼが婚約破棄され、王都追放になったと知るや、多くの平民が王都から逃げ出しました。
私は追放を知らせるとともに、エリーゼを追って空白の地に行く人を秘密裏に募りました。
空白の地に入るには、魔の森を通る必要があり、そこを通るためには戦力が必要だからです。
それにそこを通れたとしても、空白の地には何もありませんから、人を集め、街も作らなければなりません。
まさかここまで人が集まるとは思っていませんでした。
王都を出る時もすごい人数でしたが、どこの街でも平民は生きにくいようで、噂が噂を呼び、街から街へ移動するたびに、どんどん人が増えていきました。
魔の森をようやく抜けた時の皆の顔を見れば、今までがどれだけひどかったのかわかります。
本当に何もない空白の地を見て、悲嘆するどころか、これでやっと自由だと、自由に生きられると喜んでいたのですから。
あぁ、ちなみにエリーゼたちと合流した時、エリーゼは純粋に喜んでくれましたが、あの男には「この女危機感がまるでない。平民には悪い奴がいないとでも思っているんじゃないか? 本当に甘やかしすぎだぞ!」と文句を言われましたね。
そりゃあそうでしょう。
貴族に何かしたら、どうなるかわかりません。
そんな中ドレスを着て、明らかに貴族のエリーゼに手を出す平民なんていませんよ。
そんなことをするのは、この男くらいなものです。
だからこそエリーゼにとっては平民は守るべきものではあっても、警戒する相手ではないのです。
危機感が薄いのは仕方ありません。
もちろん、ちゃんと守り通したのかと男にしっかり……ええ。しっかりと確認させてもらいましたよ。
空白の地は今では空白ではありません。
人がいて、家があり、畑があり、店があります。
もう今では立派な街になりました。
最初は掘っ立て小屋に、食事は狩ってきた魔物の肉と採集してきた木の実、持ち込んだ食料くらいだったのに……です。
空白の地にエリーゼを追放した陛下や王太子殿下もこんなことになろうとは思いもしなかったでしょう。
私とエリーゼが空白の地に家を作ったり、畑を作ったりと生活の基盤を整えている頃、あの男は「ちょっと出かける」と言って、護衛一人を連れてどこかへ行ってしまいました。
この忙しい時に何を言っているのか、少しはこっちを手伝いなさいと言いたいところでしたが、エリーゼはあの男を信用しているようで何も言いませんでした。
それどころか「今は彼が主ですから」と言いながら、胸元のネックレスをいじりだす始末です。
主……? 結婚の約束でもしたのかと問えば、顔を真っ赤にして否定していましたよ。
なんとわかりやすい。
あの男がいなくなって一ヶ月が経ち、二ヶ月が経ちました。
皆もあいつは逃げ出したのではないかと疑い始めたその頃、出ていった時と同様あの男はふらっと帰ってきました。
「どこへ行っていたのです?」と詰め寄る私にあの男が渡してきたのは、一通の書状。
読んでみて驚きました。
あの男は隣国へ向かい、この地の独立を認めさせていました。
成果は独立だけではありません。
隣国は魔の森から時折降りてくる魔物に手を焼いていたらしく、魔物退治を今後はこの国が引き受けるのだからと言って、支援物資と人材も手に入れてきたのです。
おかげで急ピッチで隣国と繋がる道が出来、資材や食料が行き来し、集落が村に、村が街に変わっていきました。
確かに婚約破棄があった頃、あの男は外務大臣に目をかけられていましたが……これほど優秀だったとは思いもしませんでした。
まぁ、決して本人には言いませんがね。
隣国との道が出来た頃、あの男がエリーゼに提示した一年がたちました。
あの男は首輪の代わりにと指輪をあげたようです。
石の大きさは小さいながら、あの男の瞳と同じ緑の石の指輪です。
なぜ知っているかと申しますと、翌日からエリーゼが指輪を見ながら、ほぅっとため息をついたり、不意に赤くなったりするので、誰だってわかるというものです。
案の定、街中がお祭り騒ぎになりました。
ちなみにエリーゼは奴隷の首輪を返しておりません。
さすがに外交の時は外していますが、普段は毎日首から下げています。
もらった頃はエリーゼも知らなかったようですが、今はそれがただのガラスだと知っています。
それでも「波にもまれて、もまれて、綺麗になったこの緑のガラスが好きなのです」と言って、毎日つけているのです。
幸せそうでよろしいことです。
えぇ。本当に。
そうですね。
王国の話も私が伝え聞いた話を語りましょうか。
聞いた話によりますと、王国はエリーゼを追放してから衰退の一途をたどっていると聞いております。
あれだけの人が一気に王国を去ったのです。
混乱し、衰退するのは致し方ないことかもしれません。
光の王子の呼び名も今は聞きません。
当たり前ですね。
貧困率の改善も、王都がどんどん栄えていったのもエリーゼの強欲のおかげなのですから。
エリーゼがいなくなれば、悪化するに決まっています。
そうなれば王太子殿下に残るのは、輝くばかりの金髪と聖女と言う子爵令嬢だけ。
陛下は空白の地が独立を果たした頃、ようやく自分たちが追放した女がまだ生きており、そしてこの王都の衰退をもたらしたことに気が付いたようです。
早速抗議をしていましたが、落ち目の王国に追従する国などありません。
ついには元光の王子こと王太子殿下にエリーゼを連れ戻せと命じたとか。
しかし王太子殿下は魔の森を越えられず、隣国から入国しようとするも、あの男はそちらにも手を回しておりましたから、王太子殿下が入国することはかないませんでした。
その後もエリーゼとあの男が隣国へ結婚の報告に行った際、王子は隣国までやってきて、すべては聖女のせいだと責任を全てなすりつけ、何を血迷ったのか、「王都に戻ってきてもいい」「婚約破棄はなかったことにしてやる」「こんな平民の男と結婚なんてかわいそうに」などと喚いていたので、あの男が静かにキレていましたよ。
終始怖いくらいの笑顔でしたから、きっと王太子殿下は気づいていなかったでしょうね。
もうあの国は終わりでしょう。
最終的に「今は国のトップ同士の会談の場です。王でもない、ただの王子様が口をはさむことではなくてよ」と言うエリーゼの一言で、王太子殿下はつまみ出されました。
その後王国各地で反乱がおきました。
今まで溜まっていた貴族へのうっぷんが突然噴出したのです。
貴族階級は怖くて外を歩けないといいます。
全く誰が煽ったことやら。
強欲悪女と奴隷従者 南の月 @minaminotuki
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