第2話 口の悪い男
どうしてこうなったのかしら?
私だって強欲悪女と呼ばれているのは知っているわ。
殿下が子爵家のご令嬢を懇意にしていることも。
それでも構わなかった。
殿下と私は家柄、年頃がちょうどいいということで結ばれたただの政略的なものだ。
そこに恋心などない。
殿下の心が離れれば、離れるほど、殿下のお相手も必要なくなり、子爵家のご令嬢の出現は願ったり叶ったりだった。
王妃になれなかったことは誤算だった。
殿下の寵愛は一ミリも望んでいなかったが、王妃の地位は欲しかった。
立太子されてすぐ殿下が進めた政策を見た時、思ったのだ。
この殿下が王になるなら、私は王妃にならねばならないと。
でも、それももう……いい。
もう私も疲れたわ。
みんなが死ねと言うならそれもいいかもしれない。
そう思っていたのに。
「そうか。じゃあ俺が死なせない。そうだな……どうせ死ぬなら、一年間俺の忠実な
かつて奴隷だった男が驚くべきことを言い出した。
「あぁ、首輪は今度買ってやるよ」
どうしてこうなってしまったのでしょう?
私は男の人が怖い。
初めてそう思ったのは、実の父親だ。
小さい頃我が家には兄がいた。
両親はいつも家にいなかったから、私は兄と遊びたかった。
最初兄からは断られたが、何日も何日も突撃して、少しずつ遊んでもらえるようになった。
優しい兄が大好きだった。
あの日は、庭で兄と遊んでいた。
なんの気まぐれか突如父が帰ってきて、私たちが遊んでいるのを目撃したのだ。
それから先の出来事を、私は忘れることはないだろう。
ずんずんと私たちの方に向かってきた父に私は喜んで飛びつこうとした。
けれど父は私の横を通り過ぎ、兄の前まで行くといきなり殴りつけたのだ。
大人の父と子供の兄。
どちらが強いかなど一目瞭然で、兄の体は文字通り吹っ飛んだ。
「汚らわしい分際で、娘に手を出すな」
意味がわからなかった。
だって兄なのだ。
兄弟で遊んで何が悪いというのか。
後から聞くところによると、兄は父が手を出したメイドの子供だった。
父にとっては当然遊び。
当然認知などされていないから兄は平民だった。
平民だと知っても、私は兄が大好きだったし、一緒に遊びたかった。
だから必死に父を説得した。
兄は優しいから、良くしてもらっているから、一緒に遊びたいのだと。
たとえ平民でも半分血を分けた家族じゃないかと。
結局私の懇願は悲劇しか生まなかった。
私には「子供が口答えするな」と言い、兄を呼び出し、鞭打った。
なぜ……、なぜ兄は鞭打たれているの?
私が口答えしたから?
私は怖くなった。
兄が死んでしまうかもしれないという恐怖。
平然と兄を痛めつける父への恐怖。
「お父様、私が間違っておりましたわ! こんな汚い下賎な者ともう遊びません!」
それを聞いて、やっと鞭が止まった。
父の部屋を出ると先に出た兄が倒れていた。
大丈夫かと駆け寄りたかった。
だがここは父の執務室の前。
そんな場面見られたりしたら、今度こそ兄が死んでしまう。
ちょうど通りかかった使用人に命じた。
「こんな汚いもの私の目に入れないでちょうだい。部屋にでも放り込んでおいて」
部屋にさえ戻ればきっと兄の母が手当してくれるはず。
そう祈りながら。
それから何日も兄に会えない日々が続いた。
父はあの日の夜出て行った。
また何ヶ月も帰ってこないだろう。
二週間経った頃、やっと兄の姿をみかけた。
兄の足取りはふらふらだった。
大丈夫? と駆け寄ろうとした私を侍女が止めた。
「なりません。あの子は、お嬢様とは立場が違うのです」
でも……と言い募る私に、尚も侍女は言う。
「なりません。それに、これはあの子と私たちのためでもあります。お嬢様とあの子の関係が旦那様にもし見つかれば、次はありません」
ゾッとした。
確かに今父は家にいない。
だが、先日のようにふらっと帰ってくる場合だってある。
あの父ならやりかねないと思ってしまった。
私は考えた。
子供なりに一生懸命考えた。
関わらない方がいいというのはわかっていたが、広い屋敷で一緒に遊んでくれたのは兄だけだったから、どうしても会いたくなった。
「マルティンを呼んでちょうだい」
しかしお嬢様……と侍女は難色を示すものの今は両親がいない今、私がこの家で一番の身分だ。
「私の言うことが聞けないというの?」
そう言うとすぐに兄がやってきた。
「お呼びでしょうか。お嬢様」と言いながら。
「お前のせいで、私までお父様に怒られてしまったではないの! 一体どうしてくれるの」
「申し訳ありません」
怒りたいのは兄の方だろうに、兄は深く頭を下げた。
「本当に申し訳ないと思うなら、私に仕えなさい。そうね。私の専属執事よ。専属執事ならなんでも言うこと聞いてくれるわよね?」
拙い演技だと思ったが、屋敷の人は咎めなかった。
こうして兄は私の専属執事になった。
だが私の計画は終わらない。
兄が父にまた殴られないように、完璧な執事になってもらわねばならないのだ。
兄は殴られたことで視力が落ちていることに気づいた私は眼鏡を作った。
「私の前でそんなおぞましい目を見せないでちょうだい! それでもつけて目を見せないで」
兄はそれからずっと眼鏡をかけている。
視力が戻った後もずっと伊達眼鏡をかけている。
その後も罵倒という形を取りながら、兄を完璧執事するため奮闘した。
「こんな字汚くて読めやしないわ」
「立ち姿が汚いわ」
「この程度の外国語もわからないの?」
あれやこれやと文句を言う私に、兄は粛々と従い、指摘されたことを必死に直そうとしてくれた。
兄はこんな私を恨んでいるかもしれないと思うと申し訳なくて、市井で人気のお菓子を食べたいとわがままを言っては、毒味しろと言って兄に食べさせたりもした。
それを兄が喜んだかどうかはわからないが……。
そうやって兄はどんどん私が思っていた以上に有能な執事となった。
ある時父が帰ってきた。
私の後ろに立つ兄を一瞥すると「なんだこれは」と言った。
「私もなんでも言うことを聞く専属が欲しかったのですわ。今日も王都で今並ばねば手に入らないというお菓子を買いに行かせたのです」
そう言うと父の興味はあっという間になくなった。
眼鏡をかけて身なりもピシッとさせた兄を兄とも思わなかったようだ。
父にとって私は政略結婚に使うだけのただの道具であり、父にとって平民もまた使い捨てしたって構わないただの道具なのだ。
だから貴族である私と平民の兄が同等に遊ぶのは許せないが、貴族である私が平民をこき使っていようとなんとも思わない。
父がこの日家に戻ってきたのは、私と王太子殿下の婚約を告げるためだった。
それだけ告げると父は帰って行った。
それから殿下とは月に一、二度お茶をした。
殿下はいつも笑顔で、とても優しかった。
だからこそ衝撃だった。
立太子する頃に彼が出した政策は、表向き王都の治安維持、景観美化の政策だが、内容は貧困層を一掃する政策だった。
今まで政治など興味もなかった。
けれど殿下の婚約者となって、その政策の話を伝え聞くと、どうにか止めなくてはと思った。
貧困層の知り合いなどいないが、突然父に殴られた兄と被って見えてしまった。
優しい殿下ならわかってくれる……そう思っていたのが間違いだった。
これでは多くの民が死ぬことになるという私に向かって、殿下は驚くほど冷たい顔で「女の子が口を挟むことじゃないよ」と言った。
その日から急に殿下が父に見えて怖くなった。
この人も平気で人を殺せる人なのだと。
殿下の政策を知らない頃なら笑っていられた。
けれど知ってしまったからには何かしなければ、自分も父や殿下のような人間になりそうで怖かった。
でもただの令嬢に何が出来るというのだろう。
殿下が汚いと称していた孤児院に来てみた。
確かに子供たちは粗末な服を着て、目に光はない。
建物もどことなく薄汚れ、庭は草が伸び放題だった。
来たことを後悔した。
見てしまった。
これから殺される子供たちを。
このまま見過ごせば……わたしも同列だ。
あの人たちと同じになるのが怖くて、兄と二人馬車を降りた。
「なんなの? ここは。こんな汚い場所が王都にあるなんて。あぁ。汚らわしくて嫌だわ。ほら、そこの小さいの草を抜きなさい。ほらお前は窓を、お前は……」
最初は反抗的な目をしていた子もたくさんいたが、最終的に「私の言うことが聞けないの」の一言と中から飛んできた孤児院長の「言うとおりにしなさい」の一言で皆働き始めた。
「次来るまでにせいぜい綺麗にしておくのね」そう言った私は屋敷に帰ってからも子供たちのことが頭から離れなかった。
あの子たちの暗い目、ボロボロの服、痩せ細って骨ばかりの体。
痛々しかった。
その日から私は食事時にわがままを言うようになった。
肉が出されたら魚が食べたいといい、魚が出たら肉が食べたいという。
そしてそのあとは、「こんな食事とも言えないものは下賎なものにこそふさわしいわ。あぁ、あのみすぼらしい子たちなら喜んで食べるのでしょうね」という。
もちろんその後は、我が家の使用人が孤児院に私の手をつけてない
その次は兄に命じ、借金まみれで廃業寸前の服屋を買った。
「今日からこの店は私のものよ。私の言うとおりに働けば、悪いようにはしないわ」
そういうと服屋の母娘は恐ろしくて震えていた。
とりあえず次から次へと子供服を縫わせ、一通り終われば母の方を孤児院に連れて行った。
子供たちには「そんな汚らしい服で、私の前に来ないで」と言って、急いで縫わせた服を渡す。
「お前は今日からここで働いて。アレらは、頭がないから何も言わなければずっと同じ服ばかり着てあっという間にまた汚い小僧に成り果てる。ここに通って、簡単な修繕ができるよう一通り針仕事を教えなさい。筋がいいのがいたら店で雇うから真剣に教えることね」
服屋の母親は、はっと顔を上げ、悔しそうに唇を噛んだ。
娘のリタは、私の服を縫わせることにした。
最初は簡単なワンピースから始めて、あれやこれやと色々わがままを言って、あらゆる服を縫わせた。
縫わせた服には必ずケチをつけ、時には「本当平民はセンスというものがないのだから。これでも見て勉強するのね!」と言って外国製の服や刺繍の図案集などを渡した。
リタは悔しそうに俯きながらも、必死に勉強したようだ。
ドレスが作れるようになると、私のドレスは全てリタに頼むようになった。
外国の服からインスピレーションを受けて作ったリタのドレスは、王都のどこにもなく、名だたる貴族が順番待ちでドレスを頼むようになった。
孤児院で針仕事が上手な子供も下働きに雇い始めた。
雇い始めた子どもはリタがしてきたようにワンピースから始めてありとあらゆる服を縫う。
そうやって練習で作った服は私が買い取り、「やっぱりこんな服いらないわ」と言う。
私の一度も着ていない
ある日、孤児院に行くと皆清潔な服を着て、「ようこそお越しくださいました」と頭を下げた。
建物も綺麗になったし、血色もだいぶ良くなっていた。
最低限とは言え、マナーができているのはきっと兄のおかげだと思う。
その日は、「せっかく私がきてあげたのだから、お前たち私に余興でも見せてみなさい」と言って、子供たちを我が家の護衛と戦わせた。
もちろん子どもだから全く試合にならない。
「次来る時までにもっと私を楽しませられるよう頑張るのね」といい、時折護衛を孤児院に行かせた。
この頃には孤児院で私が子どもを戦わせて楽しんでいると噂がまわっていた。
その度に「犬や牛を戦わせるより面白いではないの。誰にも見せない私だけの最高の娯楽よ」と笑った。
今私の専属護衛のロータスは、この娯楽と称した訓練で一番強くなった男だ。
流儀など何もない、反則技もなんでもありの訓練で強くなったから武闘会のような大会には向かないが、実戦は一等強い。
殿下の政策は問題なく議会を通った。
スラムの住人や道で寝るホームレスが問答無用で処罰されたと聞いたが、私の娯楽だと言いふらしたからか、スラムやホームレスの方が汚いからか、なんとか孤児院は一掃計画の中に入らなかった。
ほっと胸を撫で下ろした頃、街で一人の男がひったくりしてきた。
この男はバカなのだろうか。
こんなボロ切れで、こんな大通りを歩けば、見つかり次第治安維持、景観美化の名の下に即刻切り捨てられるだろうに。
ロータスがすぐさま取り押さえたので、罰を与えると言って、そのまま我が家に連れてきた。
「うるせぇ! 不敬罪ってか。殺すならさっさと殺せばいいだろ!」
この男は死にたいのか。
それなら見ないふりをした方がいいのか?
いや、それではやっぱり父や殿下と同じなのではないだろうか。
やはり私は同じになりたくない。
死にたいという男を僕にして、無理矢理一年生かした。
この男は思っていた以上に有能で、何でも指摘すればできるようになった。
本当に驚いたものだ。
約束の一年を前に私はこの男を王宮に放り込んだ。
平民は薄給だが、これでこの先衣食住に困らない。
その上で死ぬというならあの男の勝手だと言い聞かせて。
それから二年以上経って、私は王宮のパーティで婚約破棄された。
その時私が最初に感じたのは、やっと恐ろしい殿下と離れられる安堵だった。
空白の地へ追放を言い渡された私は、まず家に戻り、準備を整える。
そんな私の元に来たのがあの男だ。
私を
それはすなわち、空白の地に共に行くということなのだろか?
そう思い、そんなことは許さないと言ったのだけど、「もう奴隷じゃないんだ。俺の勝手だろ?」と言い切られてしまった。
あとは空白の地へ行って死ぬばかりだと思っていたのに、どうしてこうなったのか。
私の主になったという男は、今までの仕返しのつもりなのか本当に口うるさい。
そして口が悪い。
まず王都を出る前に、食料品や服など買い込んで行こうというので、まずは服屋に行った。
中に入ろうとする私の腕を掴んで、「馬鹿なのか。こんな馬鹿高いヒラヒラした服買ってどうするんだ。パーティにでも行く気か!?」といい、市場では「きょろきょろ、ふらふらすんじゃねぇ。迷子になったらどうすんだ。アホ女」そう言って手を引く。
支払いしようとする私を見るや否や、ギョッとした顔をして、ものすごいスピードで私の手を掴み、私が出しかけた金貨を中に押し込んだ。
その後はもう何もしてくれるなとばかりに男が払った。
ちなみに2人になると「誘拐されたいのか。このアホ」と罵られた。
あと、「俺の時はなんで眼鏡執事がいないんだ。俺もあの眼鏡に丸投げしたい……」とぶつぶつ言っていた。
意味がわからない。
串焼きというものを食べた。
焼いた肉が串に刺さっているだけだ。
皿もカトラリーもなく、どう食べるのかと思案していると「これの食べ方も知らないのか。ふっ。本当お嬢様ってやつは……」と言いながら男はかぶりついた。
驚いたが、周りを見渡せば男と同じように食べている人がいた為、恐る恐るかぶりつく。
あ、美味しい。
意外にも美味しく、一口、また一口と食べる私に、男は「まだまだ食べ方が下手くそだなぁ」と言って私の口を指で拭った。
初めて食べたものとはいえ、私がマナーを指摘されるなんて。
羞恥から顔に熱が集まる。
もうっ……嫌だ。
乗り合い馬車というものに乗った時は、毎回「邪魔だ」と言って端に追いやられ、私は壁とこの男の間に収まる。
時々こちらを見ている男性がいるので、端に座りたい人もいるのではないかと思う。
私は座る場所にこだわりはないので、一度代わってあげようとしたが、男に止められた。
その後男はその男性を射殺さんばかりに睨んでいたので申し訳なくなった。
「困っているんだ。ちょっと助けてくれ」と言ってきた男性がいた。
男はちょうどいなかったのだが、私で助けになれるならと男性の後をついて行こうとした瞬間。
肩を掴まれた。
男だった。
「勝手に動くな。知らない人について行こうとするな。わかったな。俺の言葉は絶対だぞ!」と私に凄い剣幕で怒り、男性には、「困っているなら警邏を呼んでやろう」と冷えた声で話していた。
男性は男が怖かったのか青い顔して逃げていった。
王都から離れた海辺の小さな街で男はやっと首輪をくれた。
「
そう言ってくれた首輪についていた石は、大きく、見たことのない緑色のとても綺麗な石だった。
「ねぇ。言ったことあったかしら」
「なんだ」
「私、貴方が来てくれて嬉しかったわ。ありがとう」
そう言って笑った。
兄と遊んでいた頃のように自然と笑えた自分にびっくりした。
そういえばこの男は優しそうな殿下とは逆に、最初私を憎々しげに睨んでいたものだが、今も昔も不思議と怖くない。
一緒に旅をするのがこの男で、本当に良かった。
空白の地へ行けと言われたあの時、私は皆が私に死ねと言っているのだと思った。
私自身もそれでいいかと思った。
でもこの男と旅をして心から楽しいと、死にたくないと思っている私がいる。
もしも無事に空白の地に着けたなら、そこで思うままに生きてみようと思う。
貴族だとか、平民だとか関係ない。
皆でこうして笑って生きていきたいと思う私は、未だ生にしぶとくしがみついている私は、皆の言うよう強欲な女だったのかもしれない。
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