いと昏き道

第22話 いと昏き道 1


 ――少し、時間を巻き戻そう。


 ガラ・ラ・レッドフォートが火天かてん倭刀わとう術を学び始めたのは、五歳の時であった。

 最初は軽い竹刀を持たされ、それに慣れれば重い木刀を、刃引き(刃を潰して斬れなくした刀)の真剣を持たされたのは八歳で、刃がついた刀を持たされたのは十歳。

 そして、苗刀みょうとうを使えるのは十一歳からである。


 レッドフォート一族の集落は、人口100人にも満たない小さな村であった。

 十代の、子供と呼べる人間はその内、十四名。

 村の全員と顔見知りだし、村の全員と人間関係が構築されている。

 そんな村である。


 母は自身を出産した直後に、そのまま亡くなったという。

 父は剣術以外は朴訥な男であった。

 近所の――つまり、村全体でガラは育てられた。


 大人しい、引っ込み思案の、温和な少年。

 ただし、剣の腕は立つ。


 それが村におけるガラの評価だった。父親はガラにとって何というか、機械のような存在だった。

 ボタンを押すと、こちらが根を上げるまでひたすら剣術を教え続ける。

 そういう類いの存在だった。


 夢はない、と父は言った。


「夢を見るほどの目映さは、もう私にはないよ」


 希望はない、と父は言った。


「私はただ父から継承した火天倭刀術を研鑽し、君に伝えるだけの存在だ」


 そういうものなのか、とガラは素直に父の言うことを信じた。

 後になってみれば、それはただの強がりにしか過ぎなく。

 ないものが、突然現れれば砕けて消えるだけの主義でしかなかったと。


§


 父の名はゴル・ラ・レッドフォートという。

 剣の腕を磨き上げて幾星霜、だがその剣を披露する機会はついぞなく。

 そのまま、星が消えて終わるはずだった。


 ……運命は変転するものである。

 そして突然、進む先に出現した穴のようなものでもある。


「火天倭刀術を、この度ヴァルデア共和国で執り行われる剣術大会にて推挙します」


 村落に訪れた竜人ドラゴニュートの男はそう言った。

 そも、倭刀術は扱う人間自体が珍しい。道場などなく、教えを乞いたければ蜥蜴人リザードマンの村落に行くしかない。

 無論、蜥蜴人リザードマン以外も倭刀術を使う者はいる。だが、系統立てて剣術として教えられる者、となるとやはり蜥蜴人リザードマン以外にはいなかった。


 さて、火天倭刀術はレッドフォート一族(言うまでもないが、村落の人間は全員レッドフォート姓である)に代々受け継がれてきた剣術である。


 ――いつか、■を斬るために。


 そのために、何代にも亘って技を継いできたのだ。

 それ故に、村落では反対意見も多かった。


 火天倭刀術は披露するものではない、と。


 父ゴルは反論した。

 剣術は、敵と戦って昇華するモノ。

 奥にしまっていては、技が腐るだけである。


 十五歳のガラはその意見に賛同していた。内側に秘め続けた剣は、いつか腐る。

 その実例を、彼は書物で幾つも目にしていたからだ。


 ゴルとガラは、二人でヴァルデア共和国の首都オルドスへと向かった。

 慣れない旅路であり、ゴルはサバイバルに関してはであったが、ガラがそれを支えた。


「驚いた」

 ゴルは言う。その眼には、僅かではあるが非難の色がある。

「ガラは、冒険者になりたかったのか?」

「冒険者も剣術家も――さほど変わりはないかと」

「愚劣」


 ゴルはそう断言した。で、あろうなとガラは思う。ゴルにとって、剣術以外の全ては些事。

 何とすれば、母親――つまりゴルの妻――のことすらも些事であったろう。

 彼にしてみれば、性交すら邪魔だったに違いない。

 ガラに剣術を教えることは、無駄ではなかった。剣術は教えることで、また己に足りぬものを悟ることがある。ゴルにとって、ガラとの剣術はつまりそういうものだった。


 ガラはそれは違う、と考えている。

 ではどうするべきか、それはまだ十五歳の蜥蜴人リザードマンには一つの結論があった。

 だが、それを父に語る訳にはいかなかった。


 禁欲的に、あまりに禁欲的に剣術を求めた父。

 なのに名誉栄達を求めて剣を振るおうとしている。矛盾、大いなる矛盾である。


 しかし、ガラはもちろんゴル自身ですらそれに気付いていた節はない。

 剣術の研鑽、という表向きの目的がゴルに目を背けさせている。


 二人の蜥蜴人リザードマンはヴァルデア共和国の首都オルドスに到着した。

 物珍しい、不躾な視線が投げかけられる。だが、剣術大会の出場者であることも理解できたのか、奇異の視線で眺められるだけで済んだ。


 ガラは居心地が悪かったが、ゴルは平然と――ただ剣術の大会のことのみを考えていた。


§


 剣術大会は大盛況だった。ガラは自分であれば、実力の半分も出せないだろうな、と観衆の数に圧倒されていた。

 村落の全員を集めても、大会の舞台となる闘技場の半分も埋められない。人、人、人の群れ。


 剣術大会は刃引きの真剣で行われる、と予め通達されていたため、刃引きの苗刀みょうとうを手に、ゴルは戦いの舞台に立つ。


 正体不明、謎の種族蜥蜴人リザードマン、謎の剣術火天かてん倭刀術わとうじゅつ

 司会者によれば、そういう売り文句らしい。


「大会に一人はいる謎枠だよ」

「優勝候補とじゃなく、色物扱いってやつさ」

 誰かがそう言っていたのを、ガラはしっかり聞いていた。


 なるほど、物笑いの種にされるためか。

 もっとも、ゴルはそれを聞いても何とも思わなかったに違いない。


 名誉栄達を求める彼の渇望は、その程度の妨害に屈するものではなかったのである。


 大会には幾つもの、名の有る流派があった。

 天然理心流てんねんりしんりゅう柳生新影流やぎゅうしんかげりゅう北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうなどの、名高き、そして国にまたがる道場がある流派。


 あるいは竜人ドラゴニュートのみが使う天雷流てんらいりゅうまで。


 流派の看板を背負った達人たちが、意気揚々と出場していた。


 ――さて。父ゴル・ラ・レッドフォートははたして。


「そこまで! 勝者ゴル・ラ・レッドフォート」


 大歓声。

 ゴルは全身を震わせていた。恐怖ではなく、歓喜によって。覚えた技を思う様振るう心地よさに。

 それはある意味、性交などよりも圧倒的な快感だったろう。


 ガラはそれを見守っている。

 微かに――喜びに打ち震える父に、嫌な予感を抱きながら。


§


 大会はトーナメント方式を採用しており、ゴルは遂に準決勝の剣客を打ち破った。

 決勝の相手は天雷流てんらいりゅうの若きエース、竜人ドラゴニュートのシュート・バルデカイン。


 彼とその取り巻きは、ハッキリとゴルとガラを敵視していた。


「気色悪い蜥蜴め」


 種族間の対立がある。ゴルとガラとて、竜人ドラゴニュートに含む感情がないではない。

 ガラはそれを抑制する術を心得ていたが、ゴルはあえてそれを踏みにじった。


欠落者ラッカーが何を言うか」


 ゴルの言葉は、彼ら竜人にとって禁忌中の禁忌だった。

 竜の血を引き、竜の力を持ちながら、決してその姿は竜ではない。あまりにも中つ人アヴェリアンに近い――それ故に、竜としての素養なき者。

 即ち欠落者ラッカーとは、竜人ドラゴニュートに対する最大の侮辱である。


 ガラがゴルを押さえつける。

 シュートは身内に押さえつけられた。


 だが、対立は不可避であり和解も彼方より遠い。

 従って、決勝戦は殺し合いでしかなかった。


 シュートは天雷流てんらいりゅうの赤目録持ちであるが、それは蜥蜴人リザードマンに対して公平に戦う意志を持つ、という訳ではない。

 彼は刃引きではない、自身の愛刀を用いることにした。元々審判はとうに買収済みであり、彼の優勝は決まっていたようなものであるが、ゴルの挑発が彼には我慢ならなかった。


 あの糞蜥蜴は、で殺す。

 シュートはそう決めていた。


 ゴル・ラ・レッドフォートは絶対に油断しない。

 故に、決勝の舞台に立ったシュートが持つ刀が刃引きしていない真剣であることを即座に見抜いた。


 見抜いた上で指摘をすることはなかった。

 元より不利なことも、審判が買収――あるいは竜人ドラゴニュートの強権の前に屈することは、想定済みであった。


 ならばシュートを対戦相手ではなく、真の意味での敵対者だと考えるべきだ。

 ゴルはそう認識している。


 故に、同じく刃引きしていない真剣であることに気付いたガラを押し留めた。

 抗議する必要はない、と。

 抗議したところで、彼は刃引きの真剣に取り替えるだけだ。

 ならば、己の愛刀を使わせた上で負かす。


「始め!」


 空気が凝固したかと、錯覚するほどの重圧が二人を包んだ。

 シュートは瞬時に、自分が刃引きの真剣ではなく愛刀を使っていることが露呈した、と感付いた。

 侮辱された怒りは抑えられ、代わりに剣士としての魂が剥き出しになる。


 互いに目の前にいる者を蔑む対象ではなく、殺意を以て殺すべき敵だと認識した。


 シュートは冷徹に思考する。

 自分の有利さは変わらない。名刀『五郎鬼ごろうおに』の間合いは一寸(3cm)どころか一分(3mm)単位で把握している。

 決勝に至るまで、彼は封印していた技を解放することにした。


 伯耆流ほうきりゅうの奥伝、磯波いそなみが基礎となったこの技は、刀を正眼せいがんにて相対しながらゆっくりと刀を下げていき、相手の注意がその刀に向いた時点で逆袈裟さかげさ斬り――敵の右脇腹から左肩への斬撃。そして、そのまま間髪かんぱつ容れずに袈裟けさ斬り――左肩から右脇腹への斬撃。


 あるいはその逆。袈裟斬りからの逆袈裟斬り。


 弛まぬ修練と才能によって、ただの二連撃でしかないものを奥義とする。

 天雷流≪狼顎ろうがく≫。


 シュートはこの技をもっとも得意としていた。

 彼に穴……即ち弱みがあったとすれば、己が天雷流てんらいりゅうであったこと。

 そして相手が火天かてん倭刀術わとうじゅつであったこと。


 ゴルは、その技がどのようなものであるかを

 理由?



 蜥蜴人リザードマンは、竜人ドラゴニュートを知っているから。

 それが何よりの理由であった。


§


 ――貴様は知らぬだろう。

 天雷てんらい流の創始者である竜人ドラゴニュートと、蜥蜴人リザードマンはかつて交流があった。

 だが、袂を分かつ何かがあった。

 竜人ドラゴニュート蜥蜴人リザードマンを敵と見定め――迫害した。


 それを我らが受け入れたと思ったか?

 大人しく世界の片隅で粛清を待つだけの種族と見なしたか?

 馬鹿め。我らは牙を研いでいた。

 天雷てんらい流の奥義――≪狼顎ろうがく≫。

 知っている、知っているとも。

 そしてその破り方も知っている。


 ゴルはわざと、刀に注意を向けた。それが発動条件であることを知っているが故に。

 ヒュッ、と風を切る音。

 逆袈裟斬り……ここから間髪かんぱつ容れずの袈裟けさ斬りを放つが、≪狼顎ろうがく≫の奥義たる所以。


 そう。相手の力量が高い場合、一撃目の逆袈裟は回避される可能性が高い。あるいは浅手で済むことが多い。故に次の袈裟斬りが重要なのである。

 拳闘ボクシングでいうところの、ワンツーに近い。

 最初のジャブは当たろうが当たるまいが、本命は次のストレート。


 だが≪狼顎ろうがく≫を知る者であれば、≪狼顎≫を破ろうとする者であれば。

 その一撃……一斬目こそが重要だと理解している。

 ≪狼顎≫とは即ち、獣の噛みつき。

 噛みつかれたくないのであれば、その一斬目を打破することこそが――


 ゴルは踏み込んだ。そこは袈裟懸けの間合い、即ち死の領域である。

 そして右脇腹を狙って迫り来る刃に、刃引きの倭刀を向けた。

 名刀『五郎鬼ごろうおに』の刃なら、の倭刀など断ち切ることは可能だろう。しかし、鉄を斬るのだ。

 どうしたって刃は痛む。ゴルは更に、倭刀へ自身の腕を当てた。胴体を斬らせぬために、腕一本を犠牲にする。

 そのように周囲には見えた。


 だが、ガラは知っている。

 決勝前夜、ゴルは自身の服に仕込みを入れていた。どこで手に入れたのか、精霊銀の糸を袖口に縫い込んでいたのだ。

 鋼の刃といえども、精霊銀を斬ることは不可能に近い。

 腕の骨が折れたが、シュートの≪狼顎ろうがく≫は防ぎきった。


 驚愕するシュート。腕が折れることを覚悟していたゴル。

 勝敗の分かれ目は、そこだった。


 ゴルは呆気に取られるシュートが立ち直るより早く、拳をシュートの顔面に打った。

 仰向けに倒れ込んだ彼に追い打ちを掛けるように、更に一発、二発、三発。


 審判が慌ててゴルを止めるべく、彼を羽交い締めにしたがそれでもゴルは止まらなかった。

「やめろ……父さん! やめろッ!」

 ガラがゴルを殴りつけて、ようやく彼は停止した。

 だが――


「シュート! しっかりしろ、シュート!」

「担架……いや、動かしちゃダメだ! 医者を呼べ!! 早く!!」


「殺した……私は殺したよ、ガラ……君とは違う……君とは……」

 譫言うわごとを呟くゴル。

 ガラは、祈るような気持ちで駆けつけた医者に希望を託す。




 無論、その祈りはどこにも届かず。

 シュート・バルデカインは儚く散った。



 愛する孫を殺害されたセラフィア王国の重鎮、バルデカインは、直ちに報復を開始。

 天下五剣てんかごけんの一人を雇い、レッドフォート一族の村落へと送り込むことにした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る