第23話 いと昏き道 2


 大会は台無しになった。

 決勝は無効試合とされ、同時にゴル・ラ・レッドフォートは反則負け。

 更に大会からの永久追放処分と永久記録剥奪を宣告された。


 ゴル・ラ・レッドフォートなどという蜥蜴人リザードマンはこの世に存在せず、そして同時に彼が剣術大会の決勝まで辿り着いたという記録もない。


 と言わんばかりに、あらゆる情報が抹消された。

 凄惨な記憶が残る観客たちも、その異様な雰囲気に押し流され――結果、ヴァルデア共和国において剣術大会は二度と行われることはなかった。


 だが、ゴル・ラ・レッドフォートは満足げだった。

 積年の――あまりに積年の恨み、妬み、劣等感、正当な憤怒、それらが全て解放されたのだ。

 並大抵のカタルシスではなかった。


「私はこのために生きてきた」


 そう言って、ゴルはにんまりと笑った。

 一方、ガラは全く笑えなかった。シュート・バルデカインを件についてゴルを幾度となく詰問した。


 あそこまで、する必要はあったのか。

 なぜ刃引きではないと承知の上で立ち会ったのか。


「あったとも」


 あったとは思えない。

 ゴルは爛々と目を輝かせ、竜人ドラゴニュートがいかに蜥蜴人リザードマンを排斥していたかを力説した。


 なるほどそれは正しい。竜が蜥蜴を迫害していたことは、正しく真実であろう。

 だが。

 それは、目の前の男を殺してしまうほどの憎悪だったのか?


 ガラにはそう思えない。ゴルは大人になるまで、村落を出たことはほとんどなかったはずだ。

 全てがあのレッドフォートという村落で完結していた。


 故に、その怨みは仮初かりそめのもの。

 恐らく、ゴルの真意は――


「……表舞台にいる彼らが、羨ましかっただけでしょう」


 結局のところ、それしかない。

 世界の主役としての灯火で照らされる彼らが、ただただ羨ましかった。

 だから、

 正当な報復だと自分に言い聞かせ、彼を殴り殺した。


「黙りなさいッ!」


 ゴルがガラを叩いた。だがガラは黙然としたまま、ゴルと向き合う。

 やがてすぐに、ゴルは気まずげに目を逸らした。


 ガラは重苦しい雰囲気を払いのけるように、足を踏み出した。

 止めるべきだった。

 止めるべきだったのに止められなかった。

 ……自分もまた、剣士として失格なのかもしれない。


 ガラは一つ、ため息をつく。その呼吸は天まで登り、消えていった。


§


 村落レッドフォートは変わりなく穏やかだった。

 今度は安堵の息を吐く。やっと到着した。父はいそいそと自身の庵に帰るが、ガラは同世代や年下の子供たちに絡まれた。

 土産話を期待しているらしい。


「街ってどんなだった?」

「他の人間たちがいた?」

「数は多かった?」

「何かお土産とかない?」

「大会はどうなった?」


 大会はどうなったのか、の質問のみ茶を濁しつつガラは答えた。

 建物はとても頑丈そうだった。

 他の種族の人間たちがたくさんいた。

 数え切れないほど。

 お土産は買ってこられなかった。


 行ってみたいなぁ、という声が上がる。当然だ、無理もない。

 彼らは生まれてずっと、この村落にいるのだから。


 ガラもまた、異なる世界に触れたことで自分の中の何かが広がるのを感じていた。

 元より、剣士ではなく冒険者を志す身である。

 ……とはいえ、それはまず火天倭刀術を修めてからでないと始まらない。

 そしてそれは、自分の人生を費やすものになるだろう。

 夢は所詮、夢でしかなく。

 ただ、ガラは捨てることもできずにその夢を後生大事に抱えていた。


§


 一週間後の話である。

御免ごめん

 と、一人の男がレッドフォート村落へと来訪した。


 中つ人アヴェリアンの男である。行商人のようで、大きなはこを担いでいた。


「ゴル・ラ・レッドフォート殿はおられるか?」

 ガラにそう尋ねてきたので、彼は「どちら様でしょうか」と尋ね返した。


 やや痩身、年齢は四十代だろうか。豊かな髭が印象的だった。


「私の名はルーファス・アクィナス。一介の金級冒険者だ」


 この当時のガラは、他の種族と関わり合いになることはなかったが、それでも剣士として、相手の力量を推察する程度の観察眼は有していた。

 所作、表情、持つ刀、あらゆる情報が彼の力を指し示している。


 紛れもない、父に匹敵する達人だった。


「父は庵にいます。ご案内いたしますが」

「かたじけない」


 ルーファスは頭を下げた。

 ガラは何が目的なのか、と尋ねた。

「火天倭刀術……いや、倭刀術について。一つ、書物を手に入れてね。それが正しいかどうか、専門家であるゴル殿に尋ねてみようと」

「倭刀術の書物、ですか」

「これだ」


 差し出された書物は、『單刀法選たんとうほうせん・改』と記されていた。ガラが目を見張る。

「それは……」

倭刀術わとうじゅつの教本、單刀法選たんとうほうせんの続編、という触れ込みでね。冒険の戦利品だ。君はこれを読んだことが?」

「いえ……我々に伝わっているのは、『單刀法選』のみです」

「では、稀人まれびとがもたらしたものかもしれませんな。重畳ちょうじょう、重畳」

「冒険の戦利品、と仰いましたが。一体どこから……?」

絡新婦じょろうぐもの巣から」


 絡新婦じょろうぐもとは、いわゆる巨大蜘蛛が階位ランクを向上させた魔物の一種だ。

 糸を防御だけでなく、攻撃にも使うようになり、さらに合わせて幻惑魔術を行使する、極めて危険なモンスターである。


「それは凄い」


 やはり一流の冒険者らしい。僅かに、集落の子供たちのようにあらゆることを問い質したい想いに駆られたが、さすがにそれは迷惑だと抑制する。

 代わりに、根本的な疑問を投げかけた。


「冒険は楽しいですか?」

「冒険は楽しいもの、と期待しているのかね?」

「……かもしれません」


 ルーファスは少し沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。


「辛い事の方が多いように思える。長期に渡る探索の末、手に入れたものが石ころ二つということもあるし、下らないしがらみに囚われることもある。村を占拠したオーガ退治を引き受けたら、凄惨な光景を見るハメになる――下手をすると、そこに自分が加わることすらも」


「旅は過酷だ。道無き道を踏破し、ヤブ蚊や小妖精ピクシーを払いのけ、巨大蛭に血を吸われ、少し失敗すれば即死に至る崖を登らなければならない」


「陰惨な戦いもある。私が殺した山賊は本当に悪だったのか? 税金を搾り取る領主を殺すべきだったのではないか? 弱者であるはずの村人が報酬の減額を要求し、それが通らなければ秘密裏に殺そうとする。あらゆる最悪の事態を想定し、然してそれすらもまだマシだったと思うような体験。それが冒険というものだ」


 そこまで言い切って、ルーファスは穏やかな瞳でガラを見た。

 ガラは問い掛ける。


「なのに、なぜあなたは冒険者を?」


。それでも、冒険には価値がある。それは体感した己にしか理解できない、他者に誇ることもできないものだが。全ての冒険には、命を賭けるだけの価値があるのだ」


 様々な出来事があったが、ガラ・ラ・レッドフォートが冒険者を本気で志したのは、間違いなくこの瞬間だった。


§


 ガラとゴルが住む庵は村の外れであった。ゴルはあの剣術大会以来、修行に打ち込みながらも、どこか魂が抜けたように日常を過ごしていた。

 そして時折、発作のように笑い出す。

 そんな父とガラは少し距離を置いていた。


「こちらです」

「ありがとう。ああ、そうそう。これは駄賃だ。取っておきなさい」

 ルーファスがガラに渡したものは、菓子のようだった。村落ではまず手に入らない、砂糖菓子だ。とはいえ、それに感激する年齢ではない。


「ありがとうございます。村の子供たちに分け与えてもいいですか?」

「ああ、そうしてくれ」


 ――後になって考えると。ルーファスはガラの性格を見抜き、的確なものを与えることで、庵からしばらく追い払ったのではないか。そう思わざるを得なかった。


 ガラが村の子供たちに砂糖菓子を分け与えると、彼らは喜んで受け取った。

 全て配ると、そもそもどうしてこんなものが手に入ったのか、と子供に尋ねられ、それに答えている内に、時間が過ぎていく。


「ガラ君」

「ルーファス殿。これは失礼を」

「いや……。用件は済んだ。残念ながら、これは『單刀法選たんとうほうせん』の偽書だそうだ。価値はない、と」

 ルーファスは少し悲しげに、そう言った。


「そうでしたか。……これもまた、冒険ということでしょうか?」

「ハハハ、そうだな。これもまた、冒険だ。ガラ殿、偽書ではあるが倭刀術を修める者にとっては、価値があるかもしれない。よければ、これを」


 差し出された『單刀法選たんとうほうせん・改』をガラは困惑しながら受け取った。


「いいのですか? これではただ働きどころか、丸損では?」

「何。君という剣士と出会えたことに価値があろう」

「ありがとうございます」


 ガラは頭を下げた。

 ルーファスは彼こそが砂糖菓子を持ってきたギョーショーニンだ、と看破した子供たちによって、わいわいと包囲されていた。それをはっはっはもう持ってない持ってないマジで持ってないってばポケット探っても何にも出てこないからね? とルーファスは笑いながらいなした。


「ではさようなら」

「また会えますか?」

 ガラの問い掛けに、ルーファスは首を横に振った。

「会わない方がいいだろうな。次に会うときは――」


 後になって、ガラはその言葉の続きを考えたことがある。

 あの時は曖昧に誤魔化されてしまったが……。


 ――殺し合いになるだろう。


 そんなことを言いたかったのではないか、とガラは思った。


§


 レッドフォート村落は今日も明日も、穏やかに日々が過ぎていく。

 牧歌的に、緩々ゆるゆると、淡々と。


 だが、それも今日までの事。


 突如来襲したによって村人は全て殺害された。

 

 道案内を務めたのは天下五剣てんかごけんが一人、中つ人アヴェリアンにして最高峰の技量を持つ剣士。

 流派、不明。刀、最上大業刀さいじょうおおわざとう改剱蜻蛉切かいけんとんぼきり』。





 名をルーファス・アクィナス。





 ガラ・ラ・レッドフォートにとって冒険者とは何かを教えてくれた、素晴らしき男であり――

 ガラ・ラ・レッドフォートにとってレッドフォート村落の虐殺者の一人である。




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竜斬りの蜥蜴人(リザードマン) 東出祐一郎 @Higashide_Yu

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