第21話 『怨霊櫛』を手に入れろ! 5


 アルロー・ブロキオンは激昂していた。

 あの下等種族蜥蜴人リザードマンが、自分の腹部を蹴った。蹴ったせいで、気持ち悪くなって夕食だったものを吐いた。腹部は未だに痛い。


 それだけでも、トカゲ男の一族全て拷問にかけても許されるであろう所業である。


 おまけに、父は拷問より先に殺すことを命じた。

 泣いても喚いても、父の表情は厳しかった。


 それで、自分の思い通りにいかないと理解してまた泣いた。


「ひどい、ひどいよ父上。どうして、どうして……」

「すまない。だが、どうしても殺す必要があるのだよ」


 何て理不尽な世の中なのだろう、とアルローは思う。

 第三者には破綻しているとしか思えない論理も、彼にとっては正常そのものだ。


「殺す必要が……殺す、殺す、殺……」


 ラクティスの声が、兵士が一人命を散らせる度に小さくなっていく。

 16名。16名が一斉に襲いかかった。そのはずなのに、なぜか、心なしか、人数が、少なくなっているような、ような、ような。


「父上ぇ」

「うるさい!」


 満身創痍まんしんそういという言葉が似つかわしいほどに、蜥蜴人リザードマンの全身は血塗れで、発汗し、更には持っている刀までボロボロだった。


 なのに、殺せない。まさに人の限度を超えた奮戦である。心なしか、肌が赤い気がする。だが、アルローはそれに気付かない。焦燥に駆られているとかそういう理由ではなく、単に感受性が鈍いためであるが。


 シャダイは王女を守ることに全力を費やしている。だから、戦いに積極的に参加はせず、実質はほぼほぼ一人で蜥蜴人リザードマンが警備兵たちを相手取っていた。


 悲鳴をあげて、血塗れの警備兵が地面を転がる。動脈を裂かれたらしい。まもなく死に至るだろう。


 残り、7名。

 既に8名がガラによって斬り殺され、1名がシャダイの石で仕留められている。


 半分を下回っているのだ。


「な、何をやっている……! 囲め、囲んで一斉に!」

「バカか、そんな事はやっているんだよ!!」


 警備兵の一人が、生まれて初めて侯爵を罵った。

 そう。取り囲んで集団で一斉に攻撃する。ただそれだけで事足りるはずなのに、紙一重で斬撃と刺突を回避され、返り討ちに遭った。


 三度それをやって、三度迎撃されれば数で圧そうとしていた警備兵たちも怖じ気づく。かといって撤退もできず、彼らは攻めあぐねていた。


「来ないのか」

「……」

「なら、こちらから攻める」


 ガラがそう言って、刀を投げた。

 油断していた訳ではなくとも、意表を突かれた兵の胸板に刃が埋もれる。


 だが、生き残った警備兵たちは好機と見なした。ボロボロとはいえ刀を捨てるとは、剣士失格だ。


 そんなことを思って、二人が襲いかかる。

 残り四人は、それでも動けなかった。


「そら、受け取れ!」


 いつのまにか。シャダイが保管庫からもう一振り、刀を取っていた。

 放り投げられた刀は、当然ながら新品そのもの。


 鞘から抜かれた刃は、銀の糸のように輝く軌道を描き。

 ――一瞬遅れて、血の雨が降った。


 残り四人。ガラの一挙手一投足に釘付けになっている。

 逃げたかった。脇目も振らず、逃げたかった。


 シャダイはその気配を敏感に察知した。

 ……さて。今、顔を見られた三人にとって逃げられてしまうのは、少々不味い事態である。


 だから、シャダイは言葉で彼らに楔を打つことにした。


「逃げたら、戻って来ない方がいい。だって、戻ってきたら誰が侯爵の代わりを務めるのであれ、


「……!」

 その言葉は、警備兵たちに一筋の光明をもたらした。逃亡して戻ってきたら罪に問われる。だが、逃亡して罪に問われない。

 シャダイの話術に、死への絶望に包まれていた兵士たちはあっさりと引っ掛かった。もっとも、ガラが敗北しないという前提であれば間違いなくシャダイのは真実であり、光明に違いはなかったのだが。


 逃げる、そしてここに戻らない。

 そうすれば、この蜥蜴人リザードマンに立ち向かわずに済む。

 シャダイの言葉に合わせるように、ガラが一歩退いた。


「俺は……もう……嫌だ……嫌だ!!」

「俺も嫌だ俺も! 死んでたまるか!」

「こんなクソ野郎たちのために、死んでたまるもんか!」


 三人が叫んで、侯爵邸の扉から飛び出していった。

 遅れた一人も、ガラが威嚇しただけで這々の体で逃げ出していった。


「――は?」


 ラクティスは自分の目が信じられなかった。

 まだ数が多いはずの、自分の兵士たちが一目散に逃げた。


 しかも、自分を罵倒して。

 侯爵たる自分をクソ野郎、などと言い残して。


「え、父上。これは一体……?」


 当然ながら、警備兵たちはアルローの暴虐たる振る舞いにうんざりしていたのである。辞めたくて辞めたくて仕方がなかったが、生命の危機が訪れている訳ではなかったので、だらだらと続けていた人間でしかない。


 だから、こんな命の危機が訪れれば逃げるのは当然だった。


 精神が破綻した子供とそれを溺愛する親の下で、誰が命懸けで働きたいだろうか?


 ラクティスもまた、侯爵家の看板を背負っているが故に見逃していたのだ。

 彼らは思っている以上に、人望がなかったという事実に。


「……」


 沈黙する。父上、と何度も言うアルローが煩わしい。

 殴りたくて仕方がない。……いや、殴るべきだ。の一環として。


「父う……ぶぎ!?」

「うるさいぞアルロー! 貴様の……貴様のせいで! 貴様のせいだ!」

「……ちち……うえが……なぐ……なぐった……ぼく……を……」


 交渉だ。交渉するしかない。

 媚びたような笑みを浮かべ、ラクティスは告げた。


「エレニアム王女。お話……お話があるのです」

「殺せ、と言ったのは貴方です。貴方は責任を取らなければなりません」


 ぬるぬるとした汗がじとりと、ラクティスの全身を冷やす。

 ここから先は這いつくばって、全員の靴を舐めてでも生き残るつもりだった。

 それがたとえ蔑む対象である蜥蜴人リザードマンといえどもだ。


 だが、それをアルローが邪魔をした。


「僕を殴ったなァァァァァ!!」

「な……アルロー! 何をする!」


 思い通りにならない状況。蹴られた痛み。吐いた不快感。そして、自分を愛しているはずの父親に殴られた衝撃。

 ストレスが頂点に達したアルローは、自分を愛し続けた父を殴り出した。

 ラクティスは既に年齢50。まだまだ健勝とはいえ16の若い、そして暴力に慣れた男の本気の拳(手加減などアルローの辞書には存在しない)を喰らって、無事であるはずがない。


「やめ……やめろ、アルロー!」

「殺してやる! 殺してやる! 僕の言うことに逆らいやがって!!」


 三人はその光景を冷徹に眺めている。

 助けなどはしない。三人とも既に理解している。


 目の前のこの子供が悪鬼となったのは、間違いなく父親の責任だ。

 しつけをするべきだった。教えるべきだった。諭すべきだった。


 それを全くせずに、ただ愛した。

 だから怪物が生まれてしまった。


 その責任を、彼は払おうとしているのだ。

 殴られながら、ラクティスは誰も止めないことに絶望する。

 使用人すら、部屋から一歩も出てこない。


 やめろ、やめてくれ、頼むからやめてくれ、息子に――血を分けた男に、そう懇願する。


 だが、アルローの怒りは収まらない。

 。結局のところ、彼が信奉するのはそれが全てだ。


 愛し方を間違えた。育て方を誤った。

 アルローの共犯者である男、ラクティス侯爵は絶望のまま頭蓋を砕かれた。


§


 呼吸は荒いが、アルローが立ち上がる。

「へへ……へへへ……僕に逆らうから……こうなるんだ……!」


「では、次は私が逆らおう」

「え?」


 立ち上がったアルローは突然ごっそりとした喪失感に襲われた。

 ぼとりと、床に転がる見慣れた何か。


 自分の左腕だった。


「あ……え……僕の……うで、うでぇぇぇぇぇ!?」

「落ち着け。今、止血する」


 左腕を斬り落とした張本人であるガラは、警備兵の遺体から布を剥がすと適当に縛り付けた。噴き出していた血が止まる。


「聞かずとも分かる。お前はきっと、何十人もの命を無為に散らし続けたのだろう。だから、そのツケを今から支払え」


「うるさい! そんな事より僕の腕を何とかし――」

「悪竜は、ただ斬るのみ」


 閃光。

 凄まじい痛みに、アルローは悲鳴を上げる。今、自分が何をされたか分からない。

 蹲って泣き喚くしかない。


「……では、逃げますか」

「ほいほい。ちょっと待って。この刀は……こちらが持って……」


 シャダイが先ほどガラが投げた刀を死体から引き抜いて、ラクティスに握らせた。

 泣き喚くアルローの傍にガラも使った刀を置く。


「使用人はどうする?」

「何も」

「喋るとは思わないのかい?」

「喋ったなら、そこまでです。エレニアム、帰ろうか」

「……はい!」


 ガラは帰路の途中、一度もエレニアムについて尋ねようとしなかった。

 その気遣いが心地よいと同時、彼女に覚悟を決めさせた。


 ともあれ、怨霊櫛は手に入った。後は、この櫛を返すだけだ。


§


 ――さて、ブロキオン侯爵家及びアルロー・ブロキオンの末路について少し語るとしよう。


 とある冒険者の通報で慌ててやってきた侯爵の傘下の騎士たちは、その凄惨な光景に息を呑んだ。


 腕を切断され、刀を手にして喚き散らすアルロー。

 殺されてから何度も何度も突き刺された当主ラクティスの残骸。


 そして警備兵たちの死体の山。

 騎士と、知らせを受けた王家はこう考えざるを得なかった。


 アルロー・ブロキオンが乱心した。

 彼は警備兵たちを斬り殺し、自分の父親すらも手に掛けた。


 何故かというと、アルローは異常者であったからだ。

 侍女の証言により、彼が些細なことで使用人を拷問し殺していたことが明らかになった。


 だから、今回の一件は全てアルロー・ブロキオンの仕業である。


 もちろん、矛盾が発生する。

 左腕を止血したのはアルロー本人なのか? 訓練を受けた訳でもないアルローが、なぜ16名の警備兵を斬殺できたのか? なぜ、アルローは目を斬られて失明しているのか?


 だが、そんなことはどうでもよい。

 今は一刻も早く、この事件に決着をつけるべきだ。


 そもそも――謎があったからといって、追求する者はいない。

 侯爵の後釜を狙う貴族は山ほどいる。

 侯爵の死の謎を解いて仇を取ろう、と考える者などそもそも誰もいない。


 侯爵が治めていたテクステリーにおいても、それは変わらなかった。


 アルロー・ブロキオンは幽閉され、あらゆる罪を着せられて斬首に追い込まれた。

 その首は三日間王都で晒され、平民による石投げの対象となったという。


 彼は視覚を失ってから、自分が触れたありとあらゆるモノに怯えていた。

 最後の言葉は、「助けてくれメアリー、許してくれ。殺さないでくれ。痛いことをしないでくれ」だったという。






 彼が最後に殴り殺した侍女の名は、メアリーと言った。




―――――――――――――――――――――――――――――

次回、久しぶりに剣術の予定。……予定。

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