第20話 『怨霊櫛』を手に入れろ! 4

 当主であるラクティス・ブロキオンは、一人息子であるアルロー・ブロキオンを溺愛している。彼は100年の伝統を誇るブロキオン家の跡取りであり、出産の際に妻を失ってからは、その溺愛ぶりにも拍車が掛かっていた。


 だが、愛されたからといって子供が歪まないとは限らない。

 愛し方によっては、真っ直ぐどころか曲がりくねる可能性があるのが、子育てというものだ。


 アルローは溺愛され、我が侭放題に育てられ、やがて彼の残酷な本性が年を経るにつれて露わになり始めた。


 アルローは当初、家のない子供、あるいは老人を好んで殺害していた。

 愛されていない人間が、愛されている自分に殺される理不尽が好みだった。


 ラクティスはもちろん、そんな平民の命など塵芥の価値すらもないと考えている。

 故に、彼が困るのは死体処理だけであり、下水道へ直接死体を始末できるようになってからは、その問題も解消した。


 この蛮行を使用人はもちろん、警備兵たちも黙殺した。


 止めに入ったところで無駄だったし、何より――

 アルローは、止めた侍女に対して激昂した。


「この平民如きが! 僕に、意見するなんて!!」


 侯爵家に仕えている侍女は、決して平民だけとは限らない。

 現に、アルローが拷問で殺した侍女はブロキオン侯爵家に連なる男爵の娘だ。

 だが、アルローにとって竜人ドラゴニュートでない貴族など、貴族ではない。


 高貴な身分に加えて、種族の優位性を理解した人間というものは、どこまでも残酷に、下衆になる。


 アルローはその体現者のようなものであり、父であるラクティスはそのブースターのようなものだった。


 ――さて。先ほどの悲鳴は、使用人部屋で啜り泣いていた侍女のものである。


 夜だというのに起きていたアルローは、たまたまその啜り泣きを聞きつけた。

 一瞬で不快感がリミットを突破し、彼は使用人を厳罰に――つまり、殺害に至る明白な理由を手に入れた。


 夜、啜り泣くような侍女は殺して然るべき。


 そんな結論と共に、アルローは使用人部屋に踏み込み、泣き叫ぶ侍女の髪の毛を掴んで引き摺り回した。


 警備兵たちは、その悲鳴とアルローの怒鳴り声で何が起きたかを悟った。

 それ故に、関わり合いになることを怖れて全員が目を背けた。


 侯爵邸の大広間で、アルローは灯りをつけると何度も何度も侍女を蹴る。

「おやめくだ……さい! お願い! 痛い! やめ……!」

「うるさい! 夜に泣き喚くなんて、無礼にも程がある!」


 床に転がった侍女を、16歳にしてはやや肥満気味のアルローが足で踏みしめた。

 彼女は殺された侍女の同僚であり、やはりブロキオン侯爵家に連なる準男爵の娘である。


 真面目に、正しく生きていれば理不尽に襲われることはない。

 そう信じて生きてきた彼女にとって、昨夜の蛮行はあまりに耐え難いものだった。


 肋骨が折れている。髪の毛を強い力で掴まれたせいで、頭から血が流れていた。

 激痛のせいで、自分の懇願がアルローに一層の怒りを湧かせるものだと理解できていない。


「助、けて……誰、か……!」

「だからうるさ――」


 どぶん、とアルローの腹部が揺れた。突然現れた何者かが、彼の弛んだ腹部を思い切り蹴り飛ばしたのである。


 二十七貫(100kg)の重さを持つアルローの体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。


「……ア、ガ……!?」


 さて、魔術が籠められた魔導具には冗談としか思えない馬鹿馬鹿しいものも存在する。例えば、ブロキオン邸に備え付けられたこの魔導具がそうだ。


 アルローは肥満体であり運動不足でもあるため、よく転んで泣き喚いた。それを憂いた父ラクティスは、アルローの悲鳴を敏感に感知する警報装置を邸内に取り付けたのだ。


「イィィィィ……!」


 低く呻くその鳴き声に、装置が反応した。


§


「……悲鳴を上げた途端に警報が鳴りましたね」

「……不思議な警報もあったもんだねぇ」

 シャダイは気の毒そうにガラを見やる。ガラは気を失った侍女を抱えると、一旦使用人部屋に向かった。


 そして戻った時には、恐らく保管庫から手に入れたのだろう。一振りの太刀を抱えていた。


「アルロー! アルロー、どうした!」


 警備兵たちも、さすがにこの警報には反応する。

 詰めていた警備兵たちが殺到。シャダイ、エレニアム、そしてガラを取り囲む。


 ラクティスが階段を降りて、アルローのもとへと駆け寄った。


「しっかりしろ、アルロー!」

「ち、父上。あいつ、あいつがっ、がっ、僕を蹴ったんだ!」


 ゲロを吐きながら、ガラを指差すアルロー。

 ラクティスの顔は激昂に染まっている。

蜥蜴人リザードマン……蜥蜴如きが、私の息子を蹴ったのか!?」

「緊急措置だ」


 ガラは彼の怒りを全く気にしていないように告げた。

「ふざけるな! ……殺せ! いや、生かして捕らえろ! アルローの気が晴れるまで、拷問に掛けてやる! 貴様も! 貴様、も……!?」


 ラクティスがガラとシャダイを指差し、それから普段の快活さが抜けたように冷たい表情の、エレニアムを見てぎょっとした。


「エレニアム……!? なぜ、こんな場所に……!」


「……警告します。貴方の子、アルローは何の罪もない侍女を殺そうとしていました。どうあれ見逃す訳にはいきません」


 凄い、とシャダイは心の中で呟く。冷静に考えると我々盗みに来たのに、何かこう、オーラで誤魔化しきった。


 混乱していたラクティスは、その言葉にすっと表情を消した。

 何故、ここに彼女がいるのか。何をしていたのか。そんな事を考えるより先に、まずするべき事を見出した。


「……殺せ。絶対に生きて返すな。誰一人だ」

「父上! ダメだ! あの蜥蜴人リザードマンは! いや、あの妖精人エルフも僕が貰う!」

「アルロー。お前にはまた別のヤツを飼ってやる。だから、我が侭はよしなさい」


 ラクティスはそう言って、アルローを慰める。

 だが、アルローは泣いて地団駄を踏む。

 シャダイは不快そうにそれを睨んだ。


 警備兵たちは安心して――殺せ、という命令は非常に簡潔で楽だったので――三人に殺到する。


 ガラは目を閉じている。


 覚悟を決めたのか、とそれを見た警備兵は考える。

 否である。


 カッと目を見開いたガラは突かれた槍を躱し様、槍を掴んで片手で警備兵の首を斬った。


 良い太刀だ、とガラは切れ味に満足する。

 長さは異なるが、愛用の苗刀みょうとうのように、違和感なく扱える。



 ――さて。

 異世界にほんでの話。それも真偽定かならぬはなしであるが。

 その世界にかつて、荒木あらき又右衛門またえもんという剣豪がいた。


 親戚である渡辺数馬という男の敵討ちに参加した荒木は、伊賀国上野の鍵屋の辻という場所で、敵対する侍おおよそ10名を斬り捨てたという。


 ……いや、10名どころではなく。36名を斬ったという噂もある。

 もしも36名ならば、それはもう人智を超えた怪物と言えるだろう。


 そして36名をただ一人で斬ることが可能なのであれば。

 それは即ち、侯爵邸に詰めた16名の警備兵をも斬ることが可能だろう。


 昔、父に教えられたあらゆる知識の内の一つが、ガラの脳裏に過っていた。


§


 薄暗がりの中、ガラは次々と警備兵を斬っていく。

 ブロキオン侯爵はテクステリーを中心に1万の兵士を動員できる、王国における権力者の中でも頂点に近い存在である。


「何をやっている! 囲め! 殺せ! 後ろから刺せ!」


 だが。この侯爵邸に詰めているのは僅か16名。

 それは、ラクティスがアルローの暴虐を咎められない故だった。


 いくら子煩悩といえども、アルローのが尋常ならないものであることくらいは理解している。

 一般民衆に広く知られれば、危険だと考える程度には。


 だから、自分の領地である侯爵邸にはそれほど兵をつめさせていなかった。

 テクステリーという領地が地理上、他国が突然攻め込んでくることもほぼ無い、という安全地域であることも理由だった。


 だが、今夜ばかりはそれら全ての選択が牙を剥いていた。


 応援を呼ぼうにも、16名の兵士たちは既に全員集合している。いや、一人逃げようとした兵士を、シャダイが投石器スリングでしっかり仕留めていた。


 では、侍女や使用人たちに声を掛け――ようとして、誰一人として出てこないことに気付く。


 当然だ。同僚が拷問されているのかもしれないのに、出てくる人間はいない。


 ラクティスは運が悪かった。アルローが一日大人しくしていれば、何事もなく日々は過ぎ去ったに違いない。


 アルローは運が良かった。生まれついて親が権力者で、溺愛され、自分の思い通りにならないことは何一つとしてない16年を過ごした。


 つまり溜まりに溜まったその人生のツケを、アルローは今から支払うことになる。


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