第19話 『怨霊櫛』を手に入れろ! 3
ブロキオン侯爵邸そばの下水道にて。
シャダイ、ガラ、エレニアムの三人はモンスターと向かい合っていた。
ガラは予備の武器として脇差を持っている。
エレニアムも魔術詠唱補助のための
シャダイは通常通り、短めの直刀と
相対するモンスターは、体長16尺5寸(約5m)。
赤色の、まるで城壁のようにざらついた肌。ただ獲物を見定める無機質な瞳。無数の牙は亀の甲羅はおろか、鋼すら噛み砕きそう。
巨大な、赤色のワニ。通称マグマダイル。それが侯爵邸下水道の門番だった。
「マグマダイルか……」
「また高レベルのモンスターだなぁ、どうしよガラ君」
「向こうが見逃してくれないのでは?」
「だよね」
やるしかないか、とシャダイは笑った。
予備の武器とはいえ、扱い慣れた脇差である。ガラは引き抜いて、ゆるりと前に出た。元より戦士職である彼はこういう場合、常に前線へ出張る。
マグマダイルが吼えて、飛びかかった。
ワニとは思えない跳躍力。しかし、さすがに俊敏なモンスターには劣る。
普段、音を超えるような斬撃に慣れているガラは、容易にそれを回避した。
横に回避しつつ、ガラは脇差で皮膚を斬り裂いた。
が、堅い。
マグマダイルは皮一枚を斬り裂かれただけで、血が出ることもない。
ならば、突くしかない。
ガラがワニの小さな脳を狙うが、マグマダイルは尾の一撃を放った。
咄嗟に左腕で
柔らかい鋼鉄の鞭、矛盾しているが最初に受けた感覚はそんなものだった。
「ガラさん!」
エレニアムの叫びに、ガラは頷きを返して無事であることを示す。
彼女は
狙いは頭部。
純然たる物理エネルギーであるこの矢は、狙った場所へ真っ直ぐ飛んで行く。
だが、マグマダイルの頭部は想像を超える頑丈さだった。
低く呻き、エレニアムを睨む。
「直撃したのに……!」
「思ったより頑丈だねえ」
ずい、とエレニアムを庇うようにシャダイが前へ出た。
「折角の強敵だし。こちらもとっておきを出すか」
ベルトにぶら下げていた革袋から、シャダイは石を取り出した。
「んー。『爆』系はマズそうだし、『毒』系も効果なさそう……ワニって寒さに弱いんだっけ。なら、『氷』でいいか」
……いや、ただの石ではない。
黒く輝く石は紋様が刻まれている。
ガラはそれに気付いて、目を見張った。
シャダイが
「せえのっと!」
投擲。
反射的に、だろうか。威嚇するために大口を開けていたマグマダイルは投げ込まれたその石をごくりと飲み込んだ。
「げ」
瞬間、マグマダイルの喉が膨れ上がったかと思うと氷の塊が突き出た。
ワニはぐるんと眼を回し、何が起きたのか不思議そうな顔でそのまま倒れ込む。
……死んでいた。
「はい、門番倒したー」
「終わってみれば、呆気ない……」
「金級を舐めてもらっちゃ困るね」
ガラは革袋に詰まった石を盗み見て、目を見張った。
全ての石に漢字が彫り込まれている。恐らくは先ほどの『氷』のような石なのだろう。縛、煙、毒、爆……彫り込まれた漢字の分だけ、シャダイは擬似的な魔術を行使できる、ということか。
その汎用性の高さは並大抵のものではない。恐らくほぼ全ての敵に優位性を保つことができるだろう。
それが――金級冒険者の領域、ということか。
ガラは背筋にゾクゾクと興奮めいたものを感じた。それを感じたのか、シャダイは彼を振り返って、にんまりと笑った。
§
……さて。
「ははは。侵入する前なら、まだ言い訳ができたけどマグマダイルを殺したせいで、もう言い訳が通用しないぞぅ」
シャダイが胸を張って言う。
「ま、まだ大丈夫ですよ。ほら、下水道にモンスターを置いた方が悪いので」
エレニアムの励ましに、シャダイは肩を竦める。
「ブロキオン侯爵家が罪ある存在かどうかは問題じゃないよ。彼の意にそぐわないことをやったかどうかが問題なのだし」
「はい質問。ブロキオン侯爵とはどのような人間ですか?」
「程ほどに悪く、程ほどに優秀、
「なるほど。捕まれば情け容赦はなさそうですな」
下水道の端に辿り着いた。ブロキオン侯爵邸の内側であり、鉄製の梯子が付けられている。
そして、その傍には人骨らしきものが散乱していた。
恐らくマグマダイルが喰らった人間だろう。侯爵にとって望ましくない人間や、あるいは迷い込んだ下水道の『
「……しっ。少し退がって」
シャダイが聞きつけた。
ガラとエレニアムが慌てて後ろに下がると、下水道から地上へと続く扉が開かれ、そこから勢いよく何かが転げ落ちてきた。
「……!」
死体である。
恐らく侍女か誰かだろう。体格と耳から察するに
「あーあ。ったく。気分悪い仕事だ」
「黙ってろ。侯爵様に聞かれたらややこしいことになる」
「分かってるよ、クソが」
そんな兵士たちの言葉は最後まで聞こえることなく、再び扉が閉じられた。
「……ふむ」
死体の傍に、ガラはそっと屈み込んだ。
まだ若い。
恐怖に顔が歪んでいる。見開かれた眼は、これ以上ないくらいに絶望していた。
拷問を受けた形跡――爪が全て剥がされている。
「あの――」
エレニアムが声を掛けようとしたが、ガラはそっと指を口に当てる。
「悪いとは思っていたが、ここまでとはね」
シャダイの乾いた声。
「どうします?」
ガラの問い掛け。
「君はどうしたい? ガラ・ラ・レッドフォート」
質問を返され、ガラは即座に回答した。
「侯爵家におかれましては」
「うん」
「次代へ期待しましょう」
その言葉がどういう意味を持っているのかは、シャダイは聞かないことにした。
ただ、一つ指摘するとすれば。
「次代も期待しない方がいいかもしれないよ?」
「ではお家断絶で」
ガラは即答した。
§
地上へと繋がる扉をそっと開く。
ゴミ捨て場と死体捨て場を兼ねたここは、警備兵たちもあまり寄りつかない、邸の片隅に作られた場所だった。
深夜。灯りは警備兵の持つ松明のみ。
「君たち暗視は得意?」
エレニアムは問題ありません、と答えた。
彼女もその類いの人間で、闇夜もそれほど苦にはならない。
「私は無理です」
ガラは生まれついて、
不自由さはないが、闇夜では分が悪い。
「じゃ、慣れて。あと音を出さないで」
「それは問題ありません」
月の輝きもない、新月。
【
こうして三人はブロキオン侯爵邸へと侵入した。
§
(保管庫は地下にある)
シャダイは革袋に石を詰め込み、他にも装備があるにもかかわらず、全く音を立てていない。声も風に紛れるほどに小さかった。
エレニアムは自分が思っていた以上に音を出す存在であることを自覚し、怯えつつ歩く。
そしてガラは、その
色んなことができる人だな、とエレニアムは思う。
なぜできるのかは少し謎だな、とも思う。
一つだけ確実なのは、彼が善良だということだけだ。
少なくとも、あの侍女の死体を見てガラが感じていたのは、恐怖でも嘲りでもなく。ただ、彼女を哀れむ心と――やった相手に対しての、純粋な怒りだった……とエレニアムは考える。
侯爵はもちろん、警備兵ですら眠っているのではないか、と思うほどの重たい沈黙と暗闇。
(恐らく、警備兵も『就寝中は音を立てるな』と言い含められているな)
シャダイの推測は合っている。
眠っているブロキオン侯爵に、少しでも騒ぎが聞こえたら解雇では済まないだろう。間違いなくゴミ捨て場行きをすることになる。
逆に言うと、侵入には絶好の好機であった。
使用人部屋をそっと通り過ぎていく――灯りはない。気付かれたような気配もない。……微かに啜り泣きが聞こえる。だが、今の三人にできることはなかった。
地下室への階段に辿り着いた。
階段の奥にある扉の先が保管庫だ。
エレニアムはそっと、首筋の
これは、『櫛』が近いという印だろうか? そうであって欲しいけれど。
保管庫の扉は、もちろん厳重に封印されていた。
だが、シャダイ・ビアイスキーは斥候・盗賊としてほぼ完璧だった。
キーピックを手にした彼は、しばらく鍵を弄っただけであっさりと鍵を開けてしまった。
「私にできるのは、ここまでかな? エレニアム」
「はい。……感じます。とても近くに」
シャダイが一歩退がり、エレニアムは保管庫へと足を踏み入れた。
もし彼女が盗賊であったなら、否応なく心をときめかすような光景だった。
黄金、宝石、刀剣、その他あらゆる価値あるものが山と積まれている。
エレニアムは黄金や宝石に興味はないが、名刀と思しきもの、あるいは伝説に名を残した魔術師が使った
だが、まずは『櫛』だ。彼女は首筋の
黄金の山に隠された宝箱。それを開くと、背骨を冷たい手で握られたような悪寒が走った。
血が付着した、真っ黒い櫛。あまり清潔とは言い難い。何しろ、長い髪の毛もまとわりついている。木箱にしまっていたあたり、何らかの呪物だと考えられていたのかもしれない。
「これが……怨霊櫛……」
意外にあっさりと、エレニアムはその櫛を手に入れた。同時に、首筋にあった熱が消えていくのを実感する。
「ガラさん、私の
「いや、まだ消えてはいない。だが、悪化する恐れはないようだ。後は……ダンジョンに戻って、彼女に櫛を渡せばいいだろう」
ガラの言葉に、エレニアムはようやく肩の力が抜けていくのを感じた。
助かるという実感が、今さらながらに湧いて出る。もう一つ、エレニアムはそれにも気付いたが、今は見て見ぬ振りをするべきだと考えた。
シャダイが「じゃあ帰ろうか」と声を掛けた。
二人が頷く直前だった。
女性の、甲高い悲鳴が響き渡った。
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