第18話 『怨霊櫛』を手に入れろ! 2



 魔術師ギルドの内装は、ガラが想像していたような煌びやかなものではなかった。

 黒く塗られた石壁。ところどころにある魔術式の失敗痕。唯一、天井で緩やかな光を絶えず放つ光球だけが、いかにも魔術師らしいと言えた。


「ただいま戻りました」

 エレニアムの姿を認めると、ギルドに詰めていた魔術師たちは一瞬、凝固したように彼女を眺めるが、すぐに自身の作業に戻っていく。

 エレニアムの後に続くガラを見ても、それほど変わりはない。深奥の知識を探求することのみを目的とするギルド――通称『賢者の塔』。


 エレニアムは脇目も振らずガラを連れて、真っ直ぐギルドの一室へと向かった。

 ドアをノック。

「戻りました。エレニアムです」

「ああ、戻ってきましたか。どうでした、か―――」

 ドアが開かれる。

 痩せた中つ人アヴェリアンが、応対した。

 年齢は五十代。髪は真っ白。困ったような眼差し――けれど、何物にも揺るがされぬ強い意志を感じさせる紅の目。『ルビー・アイズ』の異名を持つクレインという魔術師である。

「すみません、クレイン師匠。冒険で失敗して、呪痕じゅこんを受けました。あ、こちらは付き添いのガラさんです」

 あまりにさらりと、エレニアムがそう言うと、

「……それはまた」


 困ったように笑って、クレインと呼ばれた男は二人を部屋へ案内した。


「なるほど。呪痕じゅこんの追跡ですか」

「はい。クレイン師匠なら、いけるかなと思ったんですが」

「では、傷跡を拝見……する前に、第三者の立ち会いをお願いしなければいけませんね。そちらの方、よろしいですか?」


 ガラはクレインの問い掛けに、首をひねる。

 立ち会い? どういうこと?


「あ、何も考えずに見守ってくだされば。あと、最後に書類に『治療行為の一環であり、不適切な行為は何もありませんでした』という書類にサインしてくだされば」

 エレニアムの言葉に、ガラはそんな簡単なことならと頷いた。

 なるほど、師匠と弟子とはいえ仮にも男女の触れ合いだ。エレニアムに気を遣っているのだろう。


 クレインがエレニアムの首筋、呪痕じゅこんにそっと二本の指を当てた。


呪痕追跡・糸wrkgt・achgen・drd


 人間の舌では不可能なはずの発音を、クレインはさらりと口に出す。

 呪痕じゅこんから、薄ぼんやりと赤い糸が現れてふわふわと塔を突き抜けていく。


 クレインは瞼を閉じて、糸が引っ張られる方向へと精神を集中する。

 糸は貴族区サーブルクレスト――の、一際大きく立派な建物へと向かい、そしてその一室の貴重品保管庫のような場所に辿り着いたところで、繋がった。


「どうでした?」

「ははは。なるほどこりゃマズいですね」

「マズい?」


「このテクステリーを統括するブロキオン侯爵……要するに、ご領主様の建物。その保管庫に、求める櫛があります。……どうしましょうか」


 どうしよう、と言われても。

 ガラには一つしか作戦がない。


「……盗みに行くしかないですな」

「ないですかー」「頑張りましょう!」


 ガラの言葉にクレインは肩を落とし、エレニアムは拳を掲げた。


§


 翌日の冒険者ギルド。応接室。

 危殆殺しの四人と、セリスティアが再び集まっていた。


「……という訳で、ブロキオン侯爵が居住する館に櫛があることが判明。噂を聞く限り、交渉で櫛が手に入る可能性はほぼ零なので、盗みます」


「聞きたくなーい! 聞きたくなーい!」

 ガラの結論を聞いた冒険者ギルドの受付嬢であるセリスティアが耳を手で押さえてイヤッイヤッと可愛い小動物みたいな声で暴れた。


「ははは。セリスティア、一蓮托生いちれんたくしょうだ」

「くっ……と言っても、何もできませんよ……。盗賊職の紹介なら可能ですけど、信頼が置けるかというとまず無理です」

 セリスティアの言葉も当然である。


 突然「我々と一緒に組まないか? 最初の冒険はダンジョンではなく、地元の領主様の館だ。そこで櫛を一つ盗むぞ。あ、身内のために必要なんで報酬とかはあまり提示できないよ、ごめんね」


 と言われてよーしやるかと仲間になってくれる人間は、少々頭が壊れている。


「いや。別にセリスティアに手伝ってもらう必要はない。秘密の共有をしたかっただけだ。ブロキオン侯爵邸に侵入するのは――」


 ガラ・ラ・レッドフォート。

 エレニアム。

 スルガー・スプーキー。

 そしてもう一人。


「ボクですね!」

 トラン・ボルグがわきわき指を震えさせた。

「いや違う」

「なぜ!?」

「向いてないから。トラン……厳重な警備に守られた侯爵邸、どうやって入る?」

「正門前で頼もう! と叫んで突破します!」

「ダメだろ」「ダメですね」「ダメだなー」


 侯爵邸の門前に立って「頼もう!」と叫ぶのは、おおよそ侵入するという態度ではない。


「だからトラン・ボルグの代わりに、とある知り合いを入れる」

「ガラの知り合い?」

「ああ。シャダイ・ビアイスキーという忍者シノビだ」

「ぶほっ」


 セリスティアが落ち着こうとして口にした茶を吹き出し、スプーキーの顔面に茶が降り注いだ。


「……いきなり何しやがるんですかセリスティア」


「も、申し訳ありません! ……あの、ビアイスキーさんは……ちょっと……。というか、いつお知り合いになったのですか?」


「つい先日。赤牙連盟せきがれんめいに大変不幸な事故が遭ったあたりに」

「あー……」


「はい質問。ビアイスキーさんって、誰ですか?」

 トランが手を掲げた。

 セリスティアは嘆息しつつ、口を開いた。


「シャダイ・ビアイスキーさんはこのギルド唯一の金級ランクの冒険者です」

「おおー、金級……金級!?」


「金級ともなると、その一挙手一投足に品格が求められます。侯爵邸に侵入して櫛を取ってこい、などと提案できるはずもありません。ガラさん、下手をするとその場で斬り殺されますよ?」

「斬り殺さない斬り殺さない。っていうか、面白い話だし。いいよ」

「そうは言っても――――――は?」


 冒険者ギルド応接室のドアには鍵が掛けられている。防音の魔術により声が漏れることはない。天井も床下も壁も、あらゆる場所に侵入防止の結界が張り巡らされている。


 つまり。

 そこに、突然誰かの声が聞こえるのは異常事態である。


 セリスティアが座っていた椅子の隣に、いつのまにか兎人(メドラビット)の男が座っていた。

 セリスティアとエレニアムはもちろん、斥候であるスプーキーやトランすらも、思考が数瞬ほど停止した。


「あ。セリスティア以外はお初。私がシャダイ・ビアイスキーだよ。よろしくね」

「心臓に悪いので、いきなり出てこないでください……」

「しょうがないでしょー。気配消すのクセになってンだから」

「クセにするな。もとい、おクセになさらないでください」


 唯一驚かなかったガラが尋ねる。


「では、手伝っていただけるので?」


 ニヤリとシャダイが不敵な笑みを浮かべる。


「もちろん。ただし、私は怨霊櫛とやらを知らない。だから当然、君も侵入の共犯者として同行してもらいたい」

「当然です。頼んで何もかも任せるほど、お互いに信頼はない」

「あはははは! 言うねえ!」

 あっという間にガラとシャダイの話が纏まった。


「スプーキー。フォロー頼めるか?」

「直接侵入じゃないなら任せろ! いざという時は全力で逃げるけどね!」


「幸い、一ヶ月の時間がある。まず、侯爵邸の見取り図を手に入れるところから始めよう」

「あ、それなら私が手に入れられますよ」

 エレニアムが手を掲げる。

「あー……そうか、

 シャダイの呟きに、エレニアムは満面の笑顔で頷いた。


§


 二週間後。同じく冒険者ギルドの応接室。

 エレニアムが侯爵邸の見取り図を全員の前に差し出した。セリスティアは絶対に見てはいけないものだ、と全力で逃げた。


「皆さん覚えてくださいね。覚えたらすぐに焼き捨てるので」

「よく手に入ったな……」

「コネがありまして♪」


 エレニアムのに興味はないでもなかったが、ガラはひとまず置いておくことにした。


「どこから忍び込む?」

 ガラの問い掛け。シャダイは肩を竦めて答えた。

「正門、裏門。どちらも見張りが厳重すぎて無理だね。となると……上からかな。スプーキー君はどう思う?」

「や、上も無理だと思う。この二週間、警備員としてバイトしつつ侯爵邸を確認してみたけどさあ……」


 スプーキーの言葉に依れば、邸の上部には明らかに魔術行使がされており、たまたま傍を飛んでいた鳩が、塵のように消えていくのを見たという。


「おー、さすが腐っても侯爵家。しっかりしてらあ」

「お知り合いですか?」

「金級だからね。一応、彼らから発注される業務もあるんだよ」


「……暗殺的な?」

 ガラの問い掛け――シャダイはホイホイと応じる。

「あったあった。手八丁口八丁でどうにか断ったけど。基本的には情報聞き取り、あるいは特定の物品をナイナイする感じの仕事を請け負ってた」

「なるほど。……冒険者ギルド側からは、特定の国家に強い影響を与える依頼は基本的に禁止されているはずですが」

「権力者が守ると思う、それ? 今言った仕事、全部私のってことになってるもん」


 トランがこてんと首を傾げた。


「どういうことです?」

「例によって君もしくは君のパーティが捕らえられ、あるいは殺されても依頼者である侯爵家は一切関知しないからそのつもりで」

「大人は汚いなぁ!」


「……話を元に戻しましょうか。どうやって潜入しましょう」

「門はダメ。空からもダメ。となれば、答えは一つだよ」


 シャダイがつま先でとん、とん、と石床を蹴った。


「地下からだ。テクステリーに張り巡らされた下水道を通って潜入する。そう、つまり――アンダーグラウンド・アドベンチャーだ」


§


 テクステリー下水道の清掃は、鉄級冒険者たちにとって過酷な仕事であるが、月に最低一回は絶対にやらなければならない義務的なものでもある。なお下水道で足を滑らせると、普通に死ぬ。


 セリスティアはガラたち危殆殺しが請け負ってくれたことに嫌な予感を抱きつつも、依頼を託さざるを得なかった。


「あの……ガラさん?」

「はい」

「下水道の清掃任務。受けてくださってありがとうございます。でも、よろしいんですか? 残り二週間ほどですが」

「もちろんです」


「……」

「何やるか、聞きたいですか?」

「いーえ、まったく! 聞きたく! ないです! あーあー聞こえなーい!」


 ガラは残念、と呟いて依頼受領書を受け取ると立ち去った。

 セリスティアは胃薬と頭痛薬をまとめて飲んだ。


 それはともかく、エレニアムが無事でありますように、とも祈った。

 ここらへん、ドライに徹しきれない受付嬢である。


「それじゃもう一度確認。潜入するのは私シャダイ、ガラ、そしてエレニアム」

「スプーキー君はエレニアムの【念話テレパシー】経由で、侯爵邸を見張って異変があったら知らせること」

「トランはスプーキー君のアシスタントね」


 ガラはしばらく迷った末、さすがに苗刀みょうとうとクロスボウは置いておくことにした。侵入任務に剣術が必要になるとは思えない。


「トラン。君に刀を預けてもいいか?」

「……いいの?」

「君ならいいさ」


 ガラはそう言って、刀を渡した。

 剣術家同士で刀を預けるということは、その命を託すということ。

 刀を盗まず、壊さず、侵さないという信義を感じているということである。


 トランは微かに震えつつ、ガラの苗刀みょうとうを受け取った。


「確かに預かりました。粉骨砕身のてい守護まもらせていただきます」


「よし。それじゃ、後は……エレニアム」

「はい!」

「動きやすい服に着替えてね。何しろ、下水道の清掃だから」

「……ですよね。杖とかもダメですか?」

「予備に小杖ワンド持ってるだろ? 今回はそれにして」

「了解でーす」


「よし。では、侯爵邸ミッション。開始だ!」

「おー!」


§


 普段の鎧やローブも全て預け、ガラ、エレニアム、そしてシャダイは下水道入口へと飛び込んだ。シャダイはいつも通りの格好であるが、ガラとエレニアムは動きやすい、黒に染めた簡素な服に身を包んでいた。


 清掃用のスライムが多数いるせいか、悪臭は思っていた程ではない。

 スライムは下水道に流されたあらゆるものを捕食し、膨れ上がる。あまりに巨大化すると下水道を詰まらせる原因となるため、大きさが一定以上を超えたスライムは核を砕かれる。何匹かのスライムは自光作用があり、ぴかぴかと淡い光を放つせいかランタンを使わずとも、進むことができた。


「スライムの這った痕は滑りやすいから気を付けてね」

 シャダイの言葉に、エレニアムはそっとガラの服を摘まんだ。

 ガラは頷き、しっかり掴まるようにと告げる。


「すみません……」

「気にするな。ここを歩くのは、常人には厳しい」

「そだねー。でも、『怨霊櫛おんりょうぐし』だっけ? それを手に入れるためには、呪痕じゅこん持ちの君が必要だと思うし」


 怨霊『岩』が、欲しい櫛に呪いをかけていないとは限らない。

 呪痕を刻まれた人間がクエスト用のアイテムを持つことは、必要不可欠だ。


 そうでなくとも、エレニアムは自分に刻まれた呪いである以上、自分が関わるのは当然だと認識していた。ただ、ガラの意見は違う。エレニアムが呪われたのは、半分以上が自分の責任だ。


「……あの時、負けていなければな……」

「ふふ。まあまあガラさん。落ち込むのはないですよ」


 エレニアムは悄然とするガラの肩をぽんと叩いて慰める。

 この蜥蜴人リザードマンが落ち込むのは希少なので、ちょっと嬉しいエレニアムである。


「ここからはサーブルクレスト区か。貴族も平民も、排泄は同じだな。……おっと。下品で失礼」

 シャダイがしんみりとそんな事を呟く。


「ああ、でも。うっかり落とす物は毛色が異なるらしいよ。グルームゲート区のヨハウ翁にそう聞いたことがある。金貨や宝石が落ちている、とか――」

「いわゆる『拾い屋トッシャー』ですか?」

「そうそう。王都にはもっといるらしいけど……ってい」


 前を塞いでいたスライムを、軽く蹴ってどかしていく。


「そういえばさガラ君。行ってきたよ、君の故郷。何もなかったけど」

「それはそうでしょうね」

 何気ないやりとりに、エレニアムは身を強張らせた。


 ――そのせいで、私の集落は滅んだからな。


 そんな言葉を思い出す。

 私に秘密があるように、この蜥蜴人リザードマンにも秘密がある。


「あれ、山賊にでも襲われたのかと思ったけど違うね。あの徹底的な破壊ぶりは、統率された――」

「そこまでで」

「そうだね。いずれ聞かせて貰うけど、今は櫛に集中しようか……待った」


 ピタリとシャダイの言葉が止まり、足が止まった。手の合図にエレニアムは慌ててランタンを消した。


(ブロキオン侯爵邸の敷地内まではもう少しなんだけど。何か居る)

(モンスターですか?)

(恐らく。でも、なんでこんなところに)

(……多分、ブロキオン家の門番ゲートキーパーじゃないかと思います)


 エレニアムの指摘に、二人が苦い表情を浮かべた。


 下水道にモンスターの門番を置くなど、割と正気の沙汰ではない。

 つまり、侯爵家は予想以上にイカれているという結論が出てしまうのだ。

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