第16話 『危殆《D》殺し』ダンジョン決死行 4

 最初、それを見た時は二人共に冗談だろう、という感想が頭を過った。

 餓鬼ガキ管狐くだぎつね陰摩羅鬼おんもらき手長足長てながあしなが一反木綿いったんもめん牛鬼うしおに


 百鬼夜行ひゃっきやこうに相応しい、いずれ劣らぬ怪物たち。


 だが、今目の前に居たのは中つ人アヴェリアンと思しき人間であった。


 女である。

 ズタズタの着物を着て、素足で歩いている。かつては白い着物だったろうが、赤黒く汚れて、今は見る影もない。

 艶やかな黒髪は腰まで伸びている。

 そして何より二人の目を奪ったのは、女の顔だった。


 爛れていた。

 腐乱しているのではなく、病気――疱瘡ほうそうではないか、と魔術師で多少知識があるエレニアムは見当を付けた。

 赤黒い瘤のようなそれは、膨れ上がっている。

 だが痛みを感じている様子はなく、ただただ胡乱な片目でガラを眺めているだけである。


 彼女が手に持つは打刀。だが、手入れもロクにされていないのか錆でボロボロになっていて、刃もところどころが欠けている。

 まるで不出来な、ノコギリのようだった。


 ……異世界あちらにおいて、むしろ一番異常なのはという部分だろう。


 だが、さすがにガラもエレニアムもそんなことは知らない。

 知らないが――。


 あの牛鬼の方がよほどマシだ。

 そんな想いは共通していた。


「……お名前を」

 ガラは思わず、そう問い質していた。不思議と、応じられると思った。

「――『岩』」


 この幽鬼のような女性にょしょうの名は、『お岩』。

 異世界の怪談、『東海道とうかいどう四谷よつや怪談かいだん』の主役であり、日本最恐の怨霊である。


                  うらみ

              はらさで

                    おくべきか


 その言葉と共に、戦いが始まった。

 胸中の焦燥が、ガラに愚手を生じさせた。


 力任せの一刀両断。

 牛鬼に相対した時ですら冷静さを失わなかったガラが、眼前の己より小さな幽鬼に、心底から恐怖していた。


 躱した――というよりは、すり抜けた。


 そんな風にエレニアムには見えた。

 最小限の動きすぎて、心得のある者以外にはそうとしか見えないのだ。


 ガラには分かった。

 同時に痛烈な後悔を抱く――この一撃は、だと。


 やや前のめりになったガラの体に、『岩』が一振りの斬撃を加えた。

 噛みつかれるような激痛と共に、血が噴き出る。


 何のことはない。無造作に持っていた打刀を下から上に振るった。

 ただそれだけである。

 ただそれだけの、技ともいえぬ一振りが――ガラには痛打となっていた。


 残り五十秒。


 ガラは膝を突きそうになるのを堪えて、必死に後ろへ下がった。

『岩』は追わない。

 ただ変わらず、ガラを眺めているだけである。


 ガラは呼吸を整え、今度はきちんとした剣術の型を使った。

 斬撃の基本技を繰り出し、様子見をする。


『岩』は、構えた刀をほんの少しゆらゆらと動かした。

 ただそれだけで、斬撃が逸れていく。

 最小限の技、最小限の動きでガラの剣技を無効化した。


(悪夢のようだな)


 刀身が衝突した時の、あまりに滑らかな感覚。

 まるで静止した水に剣を振っているような。


 残り三十秒。


 猶予はない。はあるにはあるが、それが通用するかどうかは分からない。ならば、先の連結技でいくべきか。


 あれは敵の攻撃を捌きつつ、懐に入り込む技だ。

 隙を狙うのではなく、隙を作るもの。

 乾坤一擲けんこんいってき――勝機はあるか。

 ……いこう。


 入洞刀勢にゅうとうとうせいに構える。

 それを見た『岩』は隙だらけの左側に向けて、無造作に刺突つきを放った。


(勝機!)


 左手で刀身を跳ね上げ、刺突つきを弾く。

 彼女の刺突には力がまるで入っておらず、激しい勢いで彼女の腕が宙へ逸らされた。ガラは一歩踏み込み、右手の苗刀みょうとうで斬り上げ――


 

 突然やってきた――正体不明の、そして二度目の刺突つき

 ガラの胸に刃が突き刺さった。


背車はいしゃとう

 と、『岩』が呟いた。


 エレニアムは今、『岩』のやや背後に位置する場所に避難している。

 だから、分かった。彼女が何をしたか。


 彼女の、『岩』の腕は弾かれたと同時に背中に向けて自身の刀を

 逆の手が刀を受け止め、即座に二度目の刺突つきを放ったのである。


 ガラも激痛と共にそれを理解し、驚嘆し、絶賛した。

 一撃目を弾いた瞬間、『岩』に微かな動揺があった。

 あれは紛れもなく、自身の技が弾かれたことに対する動揺だったはずだ。

 にもかかわらず、弾かれた次の瞬間に刀を背後に落とし、二撃目を準備した。


 繰り出された技は確かに絶技であった、だがそれ以上にそのが凄い。

 彼女の正体は知らぬ。だが、百鬼夜行ひゃっきやこうの首領である以上、異世界では剣腕けんわん名高き稀人まれびとだったのかもしれない。

 不正解ではあるが。


 残り二十秒。


「……?」


 一方、『岩』は首を傾げていた。敵の心臓を貫通したはずなのに。

 動いているどころかまだ戦おうとしている。

 不可思議である。

 不可思議であるが――動くのであれば、仕方ない。


 殺すか。

 あるいは、■■か。


 ガラ・ラ・レッドフォートが立ち上がる。

 彼女はそれを愚者と嗤うつもりはない。

 その惨めさを蔑むつもりもない。

 むしろ、彼の闘志は未だ衰えることがない。

 さらに言うのであれば。

 その震えは恐怖からというよりは、


「――参る」


 、と呼ばれるものではないだろうか。


§


 残り十秒。

 思考は停止した。もう、やるべきことはそうない。

 あるのはただ、全身全霊の一撃をぶつけるまで。


 ――やってみるか。


 ガラは苗刀みょうとうを腰の帯に差すようにして、立った。

 鞘に刀は納めない。代わりに左手の指で刀身を挟み込んでいる。


 ガラが学び修めた剣術は、言わずと知れた倭刀術わとうじゅつであるが、レッドフォートの名を冠する者は、更なる発展型を手にしている。


 とはいえ、何のことはない。

 要は、倭刀術に彼らが組み上げた独自技を加えているだけ。

 それは基本的に中つ人アヴェリアンしか存在しない異世界にほんと異なり、蜥蜴人リザードマンに合わせた術理が幾つか存在した。

 レッドフォート一族は、それを火天かてん倭刀術わとうじゅつと名付け、日々研鑽に努めていた――ある日、ある瞬間までは。


――なぜ私が死なねばならぬ。何故だ、何故だ、何故だ。


 ……それについてはひとまず置いておいて。

 ガラが今から繰り出そうとしているのは、その火天倭刀術において【秘剣】と呼ばれる類いの技である。


 恐らく、発想元は薬丸やくまる自顕じげん流の抜刀術だろう。

 さながら雷のような――即ち雲耀うんよう(雲が輝く……つまり雷光だ)と謳われるほどの速度による、最速抜刀の斬り上げ。


 だが、刀身の長い苗刀みょうとうを使う倭刀術ではそれは不可能だ。鞘から引き抜くことすら危ういだろう。

 そこでレッドフォート一族は考えた。

 鞘からの抜刀はできないが、あの構えそのものはできる。

 技を練り上げれば、同一でこそないものの近い技には成るだろう。


 その段階までなら、ただの粗悪な真似技に過ぎないが――レッドフォート一族には、【原初帰り】という他種族には模倣できぬ掟破りの要素がある。


「肘にエネルギーを溜めて、させろ。お前なら、お前なら、それができる、否、できなければ話にならない。即ちそれが、それこそが秘剣――」


 火天刀勢かてんとうせい


 模倣から始まった粗悪な斬撃が、宝石が如き秘剣に成り代わった瞬間である。


 斬撃を見た『岩』は失望した。

 薬丸やくまる自顕じげん流の、あまりに粗悪な模倣技である。

 なるほど苗刀みょうとうであるならば、ただの打刀より間合いは広い。けれど、その分だけ抜刀の速度が鈍る。


 ああ、見る影もない拙い斬撃だ。

 多少刀身が長くとも一寸(3cm)単位で見切る自信が、『岩』にはある。

 つまり回避して、今度は首を刎ね飛ばす。

 それで終わりだ。


 通常、どれほど力を籠めようとも放たれた斬撃というものは決して加速しない。

 先にガラと戦ったブライによる魔術付与された≪スラッシュ≫ですら、予め速度が向上しているのであって、中途で加速する訳ではない。


 だが、ガラの一撃はそれら全てを置き去りにした。

 肘から肩にかけて、熱が籠もる。爆発するような感覚と共に肘が加速していく。

 それは筋力ではない、第三の力による唐突なる加速。

 一寸(3cm)単位で斬撃を見切る剣士が相手であればこそ、この秘剣は効果を発揮する。


 見誤った『岩』の顔が引き裂かれる――勝利を掴むまで、後わずか。

 だが。

 激戦の中、ガラもまた僅か一秒を見誤った。


 零秒。


 時間切れ。途端にガラの全身から力が抜け、得られたエネルギーが雲散霧消うんさんむしょうする。


 最後まで斬ることができず、震える手で苗刀みょうとうを取り落とした。

 それで、ガラと『岩』の戦いに決着がついた。

 これは間違いなくガラ・ラ・レッドフォートの敗北である。


 されど『岩』と本来戦うのは、ガラ個人ではない。

 このダンジョンに来訪したのは、『危殆殺し』である。

 が動いた。


「――【結界術シールド】解除」

「……!」


 片手に杖、片手に巻物スクロール

 ダンジョンの法則の一つに、宝箱から得られた巻物は大抵ボスに有用だというものがある。それは罠が仕掛けられていても変わりない。


 先に得られた巻物は【連鎖雷撃チェインライトニング】。

 杖で標的をロックオンし、巻物を解放する。


解放リリース!」


 エレニアムが、魔術を発動した。

 中位ランク魔術の【連鎖雷撃チェインライトニング】。本来、屋内などを飛び回ることで複数の敵へ雷撃ダメージを与える魔術である。


 だが、それでは『岩』にさしたるダメージを与えることはできない。

 彼女の体格は小さく、飛び交う雷撃は一瞬で通過するせいだ。


 いわゆる破壊系統に属する魔術の幾つかは、その練度によって術式の調整が可能となる。


 例えば【火球ファイアボール】の大きさを変化させ、範囲と威力の調整を行うことができる。

 そして【連鎖雷撃チェインライトニング】も練度が上がるにつれて、方向性を操作できるのだ。


 そして、巻物スクロールに封じられていた術式は極めて練度が高い【連鎖雷撃チェインライトニング】。

 エレニアムはそれに気付き、ただ魔術を解放するのではなく『岩』に標的を定めた上で、魔術を解放させた。


「行けぇぇぇ!」


 光の速度で雷撃が『岩』に襲いかかる。

 体を貫いた雷撃は、即座に跳ね返って再び彼女の体を貫いた。


 それは一方的な蹂躙であった。


 本来、複数の標的を穿つ雷撃は『岩』ただ一人に集中している。

 悪意ある自然現象のようなもの。

 最恐の怨霊といえども、これに抗う術はない――


 ≪雷切らいきり


 ――はずだった。


 そのスキルは剣術スキルでも最高峰の一つ。

 自然現象そのものを斬り飛ばす、概念干渉型剣術技能。


 【連鎖雷撃チェインライトニング】が、『岩』に斬られて消えた。


「そん、な……」

 信じられない。目の前でやったことが、あまりに信じられない。

 なんて、あまりにも。

 力尽きたエレニアムがどう、と倒れる。失神したのだ。


 元より中位ランクの魔術を操作するのは、相当な技量が必要だ。少なくとも、銀級クラスでも並大抵の魔術師が到達できるものではない。

 エレニアムでなければ、ものの数秒で潰れていただろう。


 ……ともあれ、『岩』は生きている。


 半死半生――幽鬼にそんなことを言うのも、あまりに奇妙であるが――であっても、倒れていない以上、『岩』の勝ちは揺るがない。


 だが、『岩』はすぐにその音に気付いた。

 ガラも、気絶したエレニアムも今は気付いていないが、すぐにその異変を察知するだろう。

 時間がない。ならば殺すのではなく、怨霊としてのもう一つの技を行使する。


 くしを

    おさがし

        なさいませ


「……くし? 櫛……か?」


 しょうぶは

      その

        あとで


      ぜったいに

 にがさない


 倒れたエレニアムの首筋に、『岩』がそっと指を押し当てた。

 首筋に黒い痣が残る。

呪痕じゅこん※1……!」


 また

   あいま

 すね


 フッ、と『岩』の姿が消えた。それとほぼ同時に、ガラとエレニアムの名を呼ぶ二人の声が聞こえた。


 ――やられた。


 ガラはつくづく思い知った。

 今の戦い、ほんの数秒耐えきることができれば

 いくらこの百鬼夜行ひゃっきやこうのボスといえども、死に物狂いで負わせたダメージの回復もままならないまま、二人の増援が来れば敗北は決定的だった。


 だから彼女は逃げた。

 おまけにエレニアムへ『呪痕じゅこん』を残して。


「いずれにせよ、私は冒険者としては未熟だな……つくづく鉄級に相応しい」


 もし自分が経験豊かな銀級冒険者なら、『岩』の異変に気付くこともできただろう。その上で対策を練り上げ、場合によっては打倒することもできたはずだ。


 とはいえ――とはいえ、だ。

 エレニアムはそれ以外は無事だ。ガラも、体力こそ尽きかけているが百鬼夜行ひゃっきやこうは凌ぎきった。

 加えて、もう一つ。死に物狂いで勝ち取った報酬があった。

 セーフティゾーン。

 フロアの奥に安全な結界と、ダンジョン入り口に戻るための転送穴ワープホールがある。

 つまり、これで依頼は完了だ。


 二人と合流し、直ちにダンジョンから脱出する。

 そしてダンジョン探査の成功をギルドに報告する。


 ついでにモンスターパレードがあったことと、そこに登場するモンスターと、ボスを報告すれば更に追加報酬が期待できるだろう。


 ……まあ、セリスティアの説教も覚悟しなければならないのだが。

 それから当然、エレニアムの『呪痕じゅこん』を消す方法も探さなければならない。恐らく、『岩』の要望――くしを探すことができれば、消すことは可能だろう。あるいは聖剣教会に頼んで呪いを解くか……。


「いた! エレニアム、ガラ、両方共無事か!?」

「ガラせんぱーい! エレニアムせんぱーい!」


 何とも騒々しい、そして頼りになる声。

 それが聞こえると同時、ガラは笑って意識を手放した。


―――――――――――――――――――――――――――――


※1呪痕じゅこん……怨霊などによる、強制依頼。即死することはないが、その依頼を達成するか、聖剣教会で解呪かいじゅの儀式を行わない限り、対象となった人間をいずれ死に至らしめる。


今回出てきたボスキャラ執筆にあたり、

於岩稲荷田宮神社へお参りに行ってまいりました。


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