第15話 『危殆《D》殺し』ダンジョン決死行 3
――【原初帰り】とは、ごく一部の
人間の中には、極稀にだが極めて優れた、種族特有の技能を持つ者がいる。
それぞれの種族に特有のそれは、神から祝福を与えられた証拠、とか選ばれし者の証明、などと言われるが、原因自体は定かではない。
彼らは自身の職業が何であれ行使可能な魔法を持ち、あらゆる不可能を可能にする。……ただし、ロクに使えない魔法もないではない。
そして
興奮状態によって肌の色が変化する技能である。
――表向きは。
その実は、文字通りの先祖帰り。蜥蜴ではなく竜の力をその身に降ろす、肌の色が変化するのは始祖の竜の違いによるもの。
ガラ・ラ・レッドフォートは
その特徴は肌の赤化と筋力増加、そして何よりも。炎をエネルギーとする、炎を喰らう
§
選ばれし才、選ばれし運を持つ者のみが、生き残る地獄の釜底。
ならばガラ・ラ・レッドフォートには生きる術はあるのだろうか?
是。
これ以上ないほどに、是である。
ふしゅぅぅぅぅ、という蒸気のような呼吸。
普段は丁寧に扱う
ガラと共にこの狩り場へ落ちてきたエレニアムは、唖然とした様子でそれを見ていた。彼の指示で、自分に【
つまりそれは、ガラは背後を気にすることなく暴れ回ることができる、
という事でもある。
技も何もない、力任せの斬撃。
だが、竜の力を降ろした
ダンジョン第一層に出現した先の三匹に加えて、新たに加わったのは足が異様に長い
手は肉切り包丁、足は棍棒を指で挟み込み、振り回して暴れ回っている。
ガラは突進した。足長の方の顔面をしたたかに殴りつけ、二人が離れたところを容赦なく叩き斬った。
エレニアムが見ているそれは、戦闘というよりは暴力に近いものといえた。
モンスターたちは恐怖を知らない。疑似生命体でしかない彼らは、種の繁栄すら本能にない。
ぎちぎちと、容赦なく締め上げる一反木綿。それをガラは引き剥がすことなく、苗刀を手放して両手で一反木綿を掴み、締め上げをむしろ自分から強くして――そのまま、腕力に任せて引き裂いた。
ダンジョンの暗闇の中、彼の肌だけが赤く輝いている。
エレニアムは、呼吸も覚束ないほどに夢中になってそれを見ていた。
幼い頃から、恋い焦がれていた
人外の膂力で敵を蹴散らし、炎のような息を吐き出し、吼え立てる。
人間ではない。
神話に名を刻む英雄そのものだった。
エレニアムは死の恐怖も、未来の絶望も、過去の悔やみも、何もかも全て吹き飛ばされ、後に残ったのは変遷した価値観と理解だけだ。
この先、自分が何百年生きようとも――この光景を忘れることはなく、永遠に胸の内にあり続ける。
エレニアムはそう理解した。胸が弾むのは、英雄の姿を見たからか。
あるいは、より単純に。自分のために命を懸ける男に、ときめいたからか。
ともかくエレニアムの心は今、ドロッドロになっていた。
§
【原初帰り】を行ったガラは、心中に湧き上がる凶暴性を抑制しながらカウントしていた。ダンジョンにおけるモンスターパレードは、一定以上のモンスターを倒した時点で出現するボスを倒せるかどうかが、生死の分かれ目である。
苗刀を研ぎに出していたのが功を奏した。まだ刀身にぶれはなく、曲がりもない。
それでも、このまま戦い続ければどうなるかは火を見るより明らかだ。
加えて、【原初帰り】には時間制限がある。
それを過ぎれば、身体能力は元に戻る。耐久性も、筋力も、敏捷性も、何もかもだ。期間限定の英雄、それがガラ・ラ・レッドフォートの今だ。
残り三分。
新たなモンスターが投入された。頭部が牛……と呼ぶにはあまりに異形。
胴体は蜘蛛のようだが、節足の昆虫ではなく筋骨隆々の動物を思わせる。
牛鬼がその腕……あるいは脚を、ガラ目掛けて振った。
それを苗刀で
「ぐっ……」
「ガラさん!」
牛鬼がニタリと笑う。
ガラは立ち上がり、駆け寄ろうとするエレニアムを制止する。
彼女の出番は、まだもう少し先だ。
突進する牛鬼、暴走したダンプカーのようなそれを紙一重で回避。
そうしながら、ガラは思考する。
牛鬼の脚の一振りは、自身の斬撃に比肩しうるだろう。
ならば、今までの膂力任せでは敵いそうもない。
つまり、ここからは『技』が必要だった。
凶暴性を抑制し、氷のように思考する、されど打倒のために鉄壁の意志を持つ。
さて――あれは誰が言った言葉だったか。
手は綺麗に、心は熱く、頭は冷静に。
今から、自分はそうならなければならない。
残り二分。
§
剣技とは単発ではない、連結するものだ。
何の準備もなく、環境も整えず、突然技を出せば敵が死ぬ。
そんなものではない。
刻一刻と変化する情勢、
自身と相手のコンディション、
時間と共に生じる相手の隙、
あらゆるものが作用する。
状況――
ちっぽけな虫ケラが、自分に立ち向かっているという
状況、もう一点――周囲のモンスターはまだ数匹残っているが、手を出そうとしない。恐らく、牛鬼の一撃に巻き込まれることを怖れている。
喰らったら、彼らは普通に砕け散るであろうことは明白故に。
さて……ガラが技を出すために刀を構えたら牛鬼はどう思うか?
どうも思わない――牛鬼はガラを舐めている。
つまり、構えるに危険はなし。ガラは悠々とその構えを取った。
片足を前に突き出し、体をやや屈める。
左手を刀身に添える。
体全体で三角形を模したような体勢。
そしてその体勢で、ガラは気を張るのではなく、気を抜いた。
その気抜きが牛鬼にも知覚できたのだろう。
彼は猛然とガラに襲いかかろうと右前脚を振り上げた――刹那!
左手で押されるように跳ね上げられた
同時に――ほとんど流れるような動作で――一歩踏み込むと同時に右手で
本来の人体ならば、
牛鬼はその巨大な顔面の、左顎から鼻、そして右眼球を斬られる様になった。
以上、
だがガラは全く容赦しない。
逆袈裟斬りを成功させたガラは斬撃の戻る勢いを殺さずに、腰を基点として
右手に持った刀が戻りきった瞬間、ガラは次の一撃を放った。
俗に左一文字斬りと呼ばれる技だが、倭刀術においては先ほどの
狙いは牛鬼の顔面。先ほど斬り裂いた右眼球から水平に、今度は左眼球。
牛鬼の視覚は完全に消失し、彼はたまらず悲鳴を上げた――大口を、開けた。
その隙を逃すガラ・ラ・レッドフォートではない。
僅かに力を溜めての
全てにおいて致命傷。
牛鬼の動きが停止する。
崩れ去っていく。
「……やりましたーーー!」
エレニアムが歓声を上げるのも無理はない。
本来、牛鬼は銀級クラスでやっと相対すべきモンスターである。いや、もし
エレニアムが見守るしかなかった以上、彼は紛れもない単独討伐を果たしたのだ。
残り一分。
突然、周囲にちらほらと残っていたモンスターがダンジョンに飲み込まれるように消失した。
脅威が増大する。
死の気配が色濃く漂い始める。
モンスターパレードにおける最難関、ボスの登場である。
残り一分。
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