第9話 闇に伏せて虎視眈々 3

 ガラはテントに潜り込み、適当な荷物を毛布でくるんだ。それから自分は、テントの裏に穴を掘ってそっと抜け出した。

 もちろん、鍋の食事は飲み込まずに吐き捨てている。念のため、解毒用の薬草も口の中に放り込んだ。


 今夜襲ってくるとすれば、奇襲。そして奇襲のアドバンテージを守るために、魔術を使うことも自明の理であった。

 案の定、しばらくすると森の音が突然断ち切られるように消えた。


 眠っている人間にとって、【静寂サイレンス】は絶大な効果を発揮する。だが、起きている人間にとって、【静寂】は突然の異常を知らせる魔術でしかない。


 奇襲を免れたガラが選んだのは、クラウノスだった。

 彼は握っていた砂を彼の目へぶつけた。通常、【静寂サイレンス】のような持続する魔術は精神の集中が必要となる。

 精神が乱れ、奇跡へと繋がる魔力の糸が断ち切られると、【静寂】は打ち破られ、たちまち音が戻ってきてしまう。


 そのため、魔術師たちは生半可なことで精神集中を乱されまいと鍛錬を積む。

 クラウノスは、よく鍛錬していた。

 砂で視界が塞がれた程度で、【静寂サイレンス】が破られることはない。


 つまり逆に考えると。

 彼は反射的に、魔術の解除ではなく維持を選択してしまった。

 これが例えば仲間への支援バフならば、維持が望ましいが、今行っているのは敵味方関係なく発動する、【静寂サイレンス】である。


 竜人の男女が二人、首を刈られた。

(……!)


 それにアエストロが気付いたのは、本当に幸運だった。刎ね飛ばされた女の血が、彼の顔に付着したのだ。


 アエストロは即座に二人の死を受け入れ、囮に突き刺していた太刀を抜いた。

 その一点に、微かな感心がガラに生まれる。

 粗暴であり、こちらを罵り、命を狙うような輩であったが。

 それでも、戦士としての姿勢は整っている。


 アエストロが太刀を正眼に構えた。同時にわずかに背中を丸め、め付けるようにこちらを睨む。


 知っている。この構えは知っている。

 多くの人間が、北辰一刀流や天然理心流といった稀人まれびとから伝わった流派をそのまま基盤に置くのに対して、竜人は彼らの手で作り上げた流派を好んだ。


 あらゆる流派の長所を取り入れ、我が剣こそ最強の流派と称する。


 それは天から落ちる裁きの雷。

 即ち、天雷てんらい流……彼らはその流派を、そう名付けた。

 他種族からは、何とまあ大層な名前だ――と若干物笑いの種になるが、それだけの強さはあった。


 アエストロは天雷流の目録持ちであるが、その目録は黒・赤・青の三段階に分かれており、彼はその一番下の黒……黒目録持ち、と呼ばれる立場である。


 しかし実戦経験においては、黒はおろか赤目録持ちすら凌駕するとアエストロは嘯いている。

 正眼の構えから繰り出すは、伸びやかな刺突つき

 稲妻と名付けられた技である。


 稲妻という技そのものに、他の流派の刺突つきと大きな差異はない。せいぜい本来狙うべき喉元ではなく縦隔じゅうかくと呼ばれる喉の下あたりを狙うくらいだろうか。


 稲妻は、技の鍛錬に工夫を凝らした。


 この稲妻は間合いに入った瞬間に相手に向けて飛び込み、同時に刺突つきを放つ。

 その飛び込みの距離を道場にて測定し、最速最大の一撃となるように修練を繰り返す。たとえ夜であろうが、目視できるなら相手との間合いが狂うことはない。


 加えて、稲妻は間合いの微細な調節についても一家言を持つ。

 相手が一歩間合いを踏み出したなら、その分を省略できるように飛び込みにわずかな制動をかけるし、逆に一歩後退したのなら飛び込みに一歩分の勢いをつける。

 その冷徹な計算こそが、稲妻という技の肝である。


 ガラは動かない。だが、剣の構えを変えた。


 倭刀術を世に伝えた『單刀法選たんとうほうせん』の技の構成は、その多くが『いかにして相手の攻撃を誘い、捌くか』に重きを置いており、先の先……つまり、相手が仕掛けるより先に仕掛けることについては、然程注力していない。

 だが、ガラは構えを攻撃的なものへと変えた。


 蜥蜴人式倭刀術――蜂針刀勢(ほうしんとうせい)。


 虫や獣の攻撃の多くは、いわゆる軌道を持つ斬撃系である。たとえば羆の爪、あるいは狼の牙のように。

 が、直進的な攻撃もない訳ではない。たとえば蜂の針。

 零距離まで近付いての刺殺は、軌道が極めて少ない。


 倭刀術のこれもまた、蜂の針のようなもの。

 最短距離を詰めて刺す。


 互いに必殺を決め、互いに手段も定めた。

 後はどのタイミングで仕掛けるか。最悪なのは敗北であり、次に回避したいのは相討ちだ。


 だが……もう構えを変更する余裕はない。

 一秒早く、相手を殺す。今はそれだけが必要だ。


 アエストロは五秒後に仕掛けることを決めた。

 ガラはまだ決めていない。


 アエストロは一秒を見送った。

 ガラはそろそろか、と考えた。


 アエストロは一秒を見送った。

 ガラはもうすぐ仕掛けるべきだ、と考えた。


 アエストロは一秒を見送った。

 クラウノスがようやく気付いて、【静寂サイレンス】を解除した。


 アエストロは突然、周囲の環境音が復活したことに気付いた。


 虫の鳴く声がする。

 草木が揺れて擦れる音がする。

 クラウノスの呻き声がする。


 そうか、【静寂サイレンス】を解除したのか。当然だ、もう意味はないものな。当然だ、だから音が襲いかかってきたのだな。


 脳の処理に、一瞬その音の処理が差し込まれた。

 ほんの刹那、アエストロはその音に気を散らしてしまったのだ。


 一方、ガラは【静寂サイレンス】がすぐに打ち破られる魔術だと知っていた。

 目に砂を浴びせて混乱させただけなのだから、最初は魔術を維持することにしがみつく。でも、数秒も経たない内に「いや、違うだろ。この【静寂】を維持してどうするんだ?」と思考が纏まって解除する。


 アエストロは仲間を忘れた。

 ガラ・ラ・レッドフォートは敵を忘れなかった。


 刺突の差、ここに極まりき。

 ガラが即座にクラウノスに突進して、彼が魔術を使うより先に斬ろうとする中、アエストロはゆっくりゆっくりと、大地に倒れ込んでいった。


§


 最後に残ったクラウノスに対処するのは簡単だった。

 元より彼は魔術師、刀が接近してきた時の体捌きなど習うはずもない。


 こうして『赤牙連盟』はここに潰えた。

 後に残るは、ガラと汗みずくになった依頼人……商人ブレキンドンのみである。


「……お許しください!」


 がばり、とブレキンドンが地面に両膝を突いた。伏して拝む様は、とてもではないが依頼人の姿とは言えなかった。

 暗闇の中でも、彼が平伏している様は判別できる。


「アエストロの父親は、私の有力な支援者です。逆らうことはできませんでした……」

「私を雇うように圧力をかけたのも、『赤牙連盟』か?」


 こくりと、ブレキンドンが頷く。

 焚火は既に消えており、闇が周囲を覆い尽くしている。


 外の闇とは、中とは段違いに恐ろしいものである。

 家の中に生じる闇は、ただ見えないだけだ。おまけに範囲があり、慣れた者ならば中の闇を怖れない。


 外の闇は、違う。

 そこには目に見えぬ圧力があり、微かな環境音や風が世界の広さを自覚させる。


 ガラですらも、闇の重圧によって周囲の把握が遅れる。

 そろそろと、ブレキンドンが服の両袖口から棒を取り出す。そしてそれを、音もなくつなぎ合わせた。


 魔術による仕込み刀である。

 分離された刀身は、鞘が結合した途端に分子的に結合。一本の刀となった。

 このためだけに、この刀には何と【復活の奇跡リザレクション】という術式を付与している。


 本来、人にしか与えてはならぬ奇跡を、

 この刀は与えられている。


 平凡な商人ブレキンドン、

 裏世界においては、闇伏やみぶせの二つ名を持つ。


「平にご容赦を。……見えないかもしれませんが、平伏しております」


 そう言いつつ鯉口を切る。その音すら、聞こえない。

 渺々びょうびょうと吹く風の音が、鯉口を切る音を塗り潰した。


 返忠作法へんちゅうさほう 野火のび※1 という、

 平伏した状態より繰り出す一刀がある。


 ブレキンドンが使うのは、それとは似て非なる技。

 まず平伏する。そして相手が近付くのを待つ。

 近付いてきたかどうかは、気配と音で察知できる。

 体格は既に観察を重ねたことで、一分いちぶ(3mm)単位で計測可能だ。


「どうか、どうか、お慈悲を――」


 ざっ、という微かな音。いる。自分の目の前にいる。武器を構えてはいない。だが、鞘に納めてもいない。

 ……そうか、まだ伏兵がいるかもしれない、と考えているのか。

 それなら仕方ない。自分が安全だと言っても、信用はしてくれまい。


 闇に紛れて幾星霜いくせいそう

  地に伏して苦汁を呑み

   ただただ我こそが魔の域に至らんとす


 完全ではないが、賭けに出るべきだ。

 ブレキンドンの今の姿を、日の当たる場所で見たある人間は笑って言った。


「蛙のようだ」


 ブレキンドンはそれを否定しない。というよりも、的を射た感想だ。

 次の瞬間、ブレキンドンは宙に浮きながら刀を抜いて、笑った男を斬り捨てた。

 幾つかの流派にある、座ったまま刀を抜いて攻撃する……いわゆる座りわざをブレキンドンは自身の特異体質によって、更に発達させた。

 特異体質とは、両脚の異常な筋量。彼はこの状態から、全く自然に何の前触れもなく跳躍する。

 己の特異性から生じる一撃だけに、魔剣の領域に達したと自惚れる必殺の奇襲。


 即ち、闇夜剣あんやけん蝦蟇がま


 平伏した状態で跳躍し、宙空での抜き打ち。

 その跳躍は、伏せた身でありながら2m弱。更にその跳躍と同時に鞘から刀を抜く様は、芸術的ともいえた。


 だが。

(手応えが……ない!)

 間合いを見誤った訳ではない。天雷流の稲妻以上に、死に物狂いで練習を積み重ねたブレキンドンの秘剣である。


 ではなぜ手応えがないのか? その疑問を考えようとした瞬間、腹部にどろりと熱いものがこみ上げた。


「な、に――?」


 それは己のはらわたが出す、肉の温かさであった。

 ブレキンドンが跳躍すると同時、合わせるようにガラは大地に伏せると、苗刀でブレキンドンがいると思しき場所目掛けて縦の振り下ろしを行った。

 それは跳躍の頂点に達したブレキンドンの顎こそ外したもの、鳩尾から腹部までをずぶりと斬り裂いた。


「バカな……! なぜ、なぜ、なぜ……!? 私の、剣を、どうやって……! まさか、知っていたのか……!?」

「剣技は知らぬ。だが、お前が刺客であることは感付いていたし、『赤牙連盟』を焚きつけたことも理解している。私は山賊に襲われた後、真っ先にお前に視線をやった。お前は、冷然とした表情から自分は混乱している、と言いたげな素振りを見せた。それが怪しかった。それが警戒に足る一因となった」

「た……たった……それだけの……事で……!?」


 たったそれだけの事で、ガラはブレキンドンを疑った。

 日常から時折はみ出てくる異常なサイン、それを見逃すなという教えを受けた。

 そういう意味で、ブレキンドンはひたすら異常だった。


 商人としての顔を持つ彼を疑うものは、今の今まで居なかった。

 ……いや、居なかったがためか。

 誇りが慢心を生み、慢心が油断を招いた。

 自分が踏みしめている場所は、しっかりとした大地ではない。

 不安定な木板の上だった。


 そんな大事なことを忘れていたために、こうして失墜している。


「なぜ、私を狙った?」

 ガラの問い掛け。


「私はただ、貴方を殺して欲しいという依頼を受けただけです。失敗してしまいましたが」

「『赤牙連盟』は知っていたのか?」

「知りませんよ。吼えるだけの駄犬に教える事でもないでしょう。唆す程度はやりましたが」

「誰が依頼した?」

「……仲介業者を入れているので、そこは何とも……」


 一流の刺客といえども、所詮は下請けの身である。


「その仲介業者は?」

「それを教える代わりに、私も聞きたいことがあるんです。あなたは一体、誰に狙われているんです?」

 ガラは暗闇の中で沈黙する。


「なに、興味本位の質問ですよ。その代わりに仲介業者をお教えしましょう。首都でワイン販売を営んでいるシュニーバーガーという中つ人アヴェリアンです」


 ガラはその答えを聞いて、沈黙を破ることにした。


天下五剣てんかごけん※2」

「――――――それは、何と」


 ガラの答えに、ブレキンドンは息を呑んだ。

 そして同時に気付く。


「あなたは天下五剣を……?」

「討つつもりだ。少なくとも一人は」

「……それを聞いて……よかったですね」

「なぜ?」


「何故って。私が殺されたのは、天下五剣に牙を剥いた男なんですよ。どうせ死ぬなら、そういう大物に殺されたかったので」


 路地裏で小銭目当てのチンピラに刺されて不意に死ぬよりは、強者に立ち向かって死んだ方がずっとよかったのだ。少なくとも、ブレキンドンにとっては。


 素晴らしい。私は、天下五剣に牙を剥く男に殺されたのだ。


「貴方を殺せば、次の刺客がすぐにやってくるか?」

「ああ、それはありません。実のところ、この王国では近々動乱が起きます。恐らく、貴方に関わり合っている余裕が仲介業者には無くなるのではないか、と」

「動乱?」

「……ただの予測ですが……ね……ああ、いけない。痛みが戻ってきた。どうか介錯をお願いできますか?」

「…………」

 刀を構える際、微かに金属の擦れる音がした。


「お手間を取らせます」


 ブレキンドンは最後にそう言って、首を刎ねられた。


§


 ガラ・ラ・レッドフォートはテクステリーに戻ることにした。

 さて……今から、でっち上げの報告をしなければならない。ただ、依頼失敗は失敗なので、銅級昇格が遠のいてしまうのは間違いない。


 それからもちろん、セリスティアには怒られるだろう。

 この依頼を受けなければ、そもそもこういう事態にはならなかったのだから。

 依頼を断れば、警戒するべき状況がずっと続く。それを回避するため、絶対に襲われるであろう状況を作り出したのだから。

 そしてそれを、セリスティアに説明できるはずもない。


 ガラ・ラ・レッドフォートはため息をつく。

 いつのまにか冒険者として物を考えるようになったな、などと思いながら。




※1 とある友人が書いた、とある短編に記載があるのみ


※2 異世界では数ある刀の中から最高傑作と謳われる五本の刀を指す。こちらの世界では、を指す。

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