闇に伏せて虎視眈々

第7話 闇に伏せて虎視眈々 1

 これは異世界の話だけれど。

 柳生宗矩って剣士がいてな。出世して殿様の腹心になった、それはそれはとんでもねえ人なんだが……剣の腕も並大抵じゃなくてな。

 合戦の時に襲いかかってきた兵士七人、あっという間に斬り倒したんだと。

 多人数相手の斬り合いは、一対一とはまた違う技量が必要になるからなァ。

 ……アンタは、一度にどのくらい斬れる?


§


 テクステリー在住の冒険者、種族は蜥蜴人リザードマンであるガラ・ラ・レッドフォートに軽口を叩く人間など、そうはいない。

 遠巻きに観察されているのが常であった。


「そういえばガラさん、少々よろしいですか?」

 セリスティアが彼の持ち込んできたクエスト依頼書を確認しながら、ふと思い出したように呟いた。


「何か?」

「いえ……お泊まりはどこでされているのかな、と」

「木賃宿だが」

「……このテクステリーに一年以上常駐するおつもりであれば、格安でもう少し高い宿をご紹介できますよ?」


 テクステリーはセレフィア王国に所属する、首都に一番近い街である。

 一番近くはあるが、その半端な位置に加えて、テクステリーを除いた形で首都と商業流通が確立しているため、見捨てられがちなのが街の弱点でもあった。


 寂れている、というほどにはならないが王国首都と比べると、どうしても格差が生じるため、一攫千金を狙う冒険者は首都に向かうのが常だった。

 という訳でセリスティアは何が何でもガラを手放したくないのである。


「……結構だ。宿がそれなりに気に入っている。宿自体も狭いだけで不衛生さとは無縁だからな」

 その木賃宿には定期的に魔術師がバイトで、生活魔法の【浄化クリーン】を行ってくれる。清潔感はあまりないが、不衛生という訳でもなく、ベッドに虫が出てくることもない。

「それならまあ……。護衛クエストですね。こちら、護衛対象である商人の方と面接があるのですが、よろしいですか?」

「問題ない」


 淡々と答えるガラに、周囲の冒険者も少しずつ馴染み始めていた。朴訥で、物静かで、淡々としていて、依頼に対しては真摯で、そして強い。


 さらに剣士というだけではなく、斥候としての能力も持っている。

 それはつまり、良い冒険者というものである。


「斥候系のスキル、獲得しないんですか? 近接戦闘もできる斥候、となるとだいぶパーティ募集の幅が広がると思いますけど」


 セリスティアの提案に、ガラはしばし考え込む。


 この世界には『スキル』という概念が存在する。先の≪スラッシュ≫のような剣術スキルのように、唱えるなどの動作を伴う「発動型」と獲得しただけで使用可能な「自動型」に分類される。


 ≪スラッシュ≫が剣士の発動型スキルなら、斥候の≪地形把握≫(どんな状況でも、周囲の地形を俯瞰的に把握できる)が自動型スキルと呼ばれる。


 無論、これらは努力して身に付ける技術でもあるのだが――スキルとして昇華された場合、二つのメリットがある。


 一つは≪スラッシュ≫のように発動した状態を繰り返すことができること。

(先の山賊退治の時のようにデメリットでもあるのだが)


 そしてもう一つは、冒険者証に獲得したスキルを表示することができるので、信頼が置けるということだ。


 冒険証に「斥候」と書かれていても、本当に何ができるかは冒険証のスキル一覧を確認しなければ分からないのだ。

 ……向こうの異世界の話でいうなれば、資格や取り扱い免許のようなもの。


 ガラは剣術スキルの幾つかを獲得しているが、斥候が主に取得する探索スキルについてはほぼ皆無だった。

 これは実に勿体ないことである。≪薬草採取≫のスキルがあれば、それなりに質の良い薬草を探し当てることができる(しかも世界中どこの薬草も均一に探し出すことができる)し、≪隠密行動≫があれば音も立てず歩くことができる。


 無論、斥候としても優れているガラは≪隠密行動≫と同じ事ができる。

 ≪薬草採取≫はできないが。

 だが、「できる」のと「スキル一覧に記載されている」のとでは、パーティにおける信頼関係にどうしても差が出る……というのが冒険者たちの認識だった。


 ただ、スキルを獲得すると一言で言っても難しい。言うなれば、スキルは魔術と根源の部分を同じくするものだからだ。


 スキルを獲得するためには儀式が必要であり、儀式には魔術が必要であり、その魔術を行使するには資格を持つ魔術師が要る。そして、魔術師に対してはそれ相応の金銭が代価として必要だ。


 とはいえ、ガラが獲得しようとしている鉄級から銅級向けのスキルはそれほど高額なものではない。

 まだ未熟な冒険者向けのスキル獲得の障害となっても仕方がない、というのがギルドの見解であるため、意図的に安価に抑えられている。


「いや、悪いが……当分はその気はない」

「そうですか……いえ、現状でも申し分ないですから、それは問題ありませんが」


 だが、ガラは断った。

 先ほど利点といったスキル獲得だが、その利点には裏がある。


 そう、スキルを獲得するとギルドが提供する冒険証にそのスキルが表示される。

 そしてそれは、自分がどんなスキルを保有しているか。第三者にも伝わるということなのだ。


 ガラにとって、それは懸念すべき事態だった。


§


 さて、蜥蜴人リザードマンが自身の生まれた土地からほとんど離れない、極めて保守的な種族だったのには、正当な理由がある。


 竜人ドラゴニュートの存在である。


 彼らは中つ人アヴェリアンと似た体格、似た風貌であるが、かつてドラゴンの子孫だった証に首筋に鱗、瞳が赤い、などの痕跡、あるいはを所有している。


 そして、彼らは中つ人や妖精人エルフよりも更に栄華を極めた、貴族階級が多い。


 このセレフィア王国も国王こそ中つ人だが、貴族階級に竜人が多数食い込んでおり、その影響は計り知れない。


 そんな彼らはガラのような蜥蜴人リザードマンとは、露骨に対立関係にある。

 竜人にとって彼らはあくまで蜥蜴であり、竜の系譜に連なる存在ではない。

 一方、蜥蜴人にとっては竜人も蜥蜴人も同一種の系譜であり源流は同じドラゴン、という認識だ。


 当然、双方の認識がここまで異なれば、殺し合いに至るのもあっという間だった。


 他種族の調停も効果がないばかりか、竜人の暴言により種族間での戦争が起きる寸前だったほどだ。

 これがどうにか収まったのが、せいぜい100年前程度。

 蜥蜴人が自身の出身地に籠もりがちなのは、竜人との対立を回避するためという説もある。


 いずれにせよ、竜人ドラゴニュート蜥蜴人リザードマンはここしばらく交わることはなかった。

 だが――


「何だと。そこにいるのはクソトカゲじゃねえか!」


 ざらついた声に、セリスティアが微かに表情を歪め、ガラは何も感じさせない顔で、ギルドの入り口を見やった。


 四人の冒険者パーティ。いずれも竜人、冒険証の階級は銀。即ち、銀級冒険者。

 銀級に到達した冒険者は、おおむねギルドのエース格として扱われる。

 彼らもその一団、という訳だ。

 パーティネームは『赤牙連盟せきがれんめい』。竜人のみで構成された、テクステリーきっての一流冒険者たちである。


「アエストロさん、その物言いは――」

「うるせえよセリスティア。そら、依頼は終了した。これが証明だ」


 セリスティアの言葉を無視して、アエストロは血に染まった革袋を彼女に向けて勢いよく放り投げる。

 勢いよく。

 顔にぶつかれば、怪我では済まない勢いのそれを、

 ガラ・ラ・レッドフォートが受け止めた。


「……何手を出してんだよ」

「……ぶつかると思っただけだ」


 もっとも、セリスティアはあの程度なら造作もなく受け止めるだろう。彼女も元がつくとはいえ、銀級冒険者なのだから。


「アエストロさん、証明であるミノタウロスの首を確認しました。取り扱いが雑ですので、報酬は減額の可能性がありますがよろしいですね?」

 セリスティアがそう言うと、アエストロと呼ばれた男が突っかかる。

「おいふざけるなよ。その程度で報酬を減額?」

「ええ。もっとも、判断するのは私ではなく依頼主――この頭部で剥製を作る予定の、ジャラシダン伯爵ですが」

「……クソが」


 セリスティアが出した名前に、突っかかろうとしていたアエストロが引いた。

 竜人ドラゴニュートといえども、貴族階級の人間に対しては弱い。


「ではガラさん。面接は本日のお昼です」

「ああ」


 セリスティアの言葉に、ガラが頷いて歩き出す。

 すれ違い様、竜人の四人から強烈な敵意が籠もった視線が投げかけられた。


「おい、クソ蜥蜴。二度とギルドに顔を出すなよ?」

「…………」


 ガラは平然とそれを受け流し、ギルドの外へと出る。

 そんな彼の後を、そっと一人の斥候スカウトが追跡を開始した。


§


 蜥蜴は見つけ次第ぶちのめせ、が若い竜人ドラゴニュートの間で密かに流行り始めているらしい、とスルガー・スプーキーは噂で聞いていた。


 しかし、仮にも銀級にまで上り詰めた冒険者がああまで露骨に誰かを罵るとは!


「銀級も堕ちたものさねぇ」

 エレニアムが忌々しそうに呟いた。


「二人とも知らんのか? 竜人の昇級は他種族より優先されてるぜ」

「え、それマジ話だったの?」


 片足が義足の老人が、へらりと笑った。


「もちろん、マジ話さ。ただ……連中の腕は確かだがな。品位と道徳性に欠けているってだけで」

「一番欠けちゃいけないものでしょ、それ」

「にしても、まだ鉄級冒険者のガラに突っかかるかねえ」


蜥蜴人リザードマンというだけで許せないんだろうさ。何しろ竜人ドラゴニュートに言わせりゃ、連中は歴史の改竄者だからな……。正義は我にありなんだから、そりゃまあ罵るだろうさ。ただ……」

「ただ?」


「ただ、セラフィア王国の竜人は蜥蜴人に対する苛烈さが他国より一段階増しているらしいがね。この国の蜥蜴人は、だから街に姿を滅多に見せることがない。他所の国じゃあ、ある程度の交流はあるはずなんだが……」

「何か理由はあるのかね」

「そこまで分かっていれば、俺は神だよ」

 義足の冒険者はそう言って、苦笑いを浮かべた。


§


 木賃宿に戻ったガラ・ラ・レッドフォートは、自分の部屋の床の板を外し、手を差し込んだ。そこにあったバックパックを引きずり出すと、中身を確認する。

 中には幾つかの斥候用道具、それに誰かが書いたと思しき日記、『單刀法選たんとうほうせん・改』という書、そしてこれまでの依頼報酬である銀貨と銅貨。全てを確認して異常ないと結論付けて戻すと、板をはめ直した。


 結跏趺坐けっかふざの姿勢になって、目を閉じる。

 外界の刺激は遮断しているが、唯一こちらへの気……つまり、たとえば視線や声がけなどには反応するように自身を『調節』した。


 あちらの世界でいうところの、電源を落とした機械のように。

 ガラはその状態で、眠り始めた。


§


 三時間ほどの仮眠の後、昼の少し前に目を覚ましたガラは、面接のために冒険者ギルドへと向かう。

 それと入れ違いに、斥候スカウトが彼の宿泊している部屋に忍び込んだ。


 ギルドに到着したガラはセリスティアの案内で、応接室へと向かった。


「あなたが鉄級冒険者の――」

「ガラ・ラ・レッドフォート。あなたが護衛対象の……」

「ブレキンドンだ。よろしく」

 50歳ほどの、白髪交じりの中つ人アヴェリアンだ。足が悪いのか、片手に杖を持っている。


「首都までの道のりを、あなたたちに護送してほしい」

「あなた個人を? それともあなたを含めた財産を?」

「もちろん後者だとも。ただ、今回は金額がいつもより多くてね。普段、護衛として雇っているパーティに追加メンバーという形で加わってもらいたい」

「いつも雇っているパーティとは?」

「『赤牙連盟』、聞いた事はあるかな?」

「…………」


 もちろん、聞いたことはある。つい先ほどの話だが。


「どうかな? 報酬は弾ませてもらうよ」

「構いません」


 ガラは些かの逡巡もなく、その提案を受け入れた。


§


「あのう」

 受付嬢であるセリスティアが、不安そうにガラに尋ねた。

「大丈夫なんですか? その……合同での護衛は」

「問題ない」

「問題おおありだと思いますが」

「まったく、問題ない」


 セリスティアはため息をつく。彼らとの合同なら、間違いなく断るだろうと油断したのがマズかった。

 まさか普通に受けてしまうとは。


「護衛の途中、何が起きるか分かりませんよ。……正直、事故という形の謀殺も可能性はあるんですから」

「問題ない」

 ……ひたすら問題ない、を繰り返すガラ。

 ますます訝しむセリスティア。


「まあまあ、セリスさん。私たちも護衛に参加するよ」

「なんか、このままダラダラとパーティになりそうな予感がする」


 エレニアムとスルガーが二人に声を掛けた。確かに、何があるにせよ他人の目が増えれば、それだけ安全性は高まるだろう。


 しかし、ガラは無言で首を横に振った。


「いや、護衛は五人が限界だろう。二人とも、今回は退いてほしい」

「だけどさぁ――」「でもよぉ」


「頼む」


 ガラが頭を下げた。かつて異世界から伝わった、剣士としての礼である。

 三人が虚を突かれて、無言で顔を見合わせた。

 その隙を突くかのように、ガラはさっさとギルドから立ち去ってしまう。


「……頼むって言われるとは思わなかったー」

「信じられねぇー」

「……」


 驚きがあったが、それ以上に不安がある。

 どう考えても、あの『赤牙同盟』がガラの敵意を抑えるとは思えない。

 プロとして自分を律して、護衛として上手くパーティを組む?


 ……その可能性は、低い。


 セリスティアはそう結論付けた。彼らのこれまでの横暴を鑑みるに、そう結論せざるを得なかった。

 それをガラが分かっていないはずはない。ないのに、なぜ彼は護衛任務を引き受けたのだろうか?

 なぜ……一体、なぜ……?

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