剣術スキル≪スラッシュ≫対倭刀術リザードマン

第4話 剣術スキル≪スラッシュ≫対倭刀術リザードマン 1

 ――≪スラッシュ≫は、全ての剣士にとっての基本スキルである。

 ――同時に、全ての剣士にとっての呪いでもある。

                           とある銀級剣士の独り言



 その冒険者は、まだ十を半ば過ぎたところだった。鉄級から銅級に上がり、有望なパーティに誘われ、そしてクエストの帰途半ばで山賊に急襲を受けた。


 既に先輩格の仲間たちは悉く討ち取られている。

 周囲の山賊はニヤニヤと、厭な笑みを浮かべて彼を見やる。


「一騎討ちだ。俺に勝てば見逃してやる」


 だから、その言葉は彼にとって天啓だった。

 その男の言葉に、縋るしかない。


 男は背が高く、逞しく、その上で傷だらけだった。凶悪な面相、濁った瞳、粗末なレザーアーマーには、鉄の板金が急所にあてがわれている。


 剣は、幅広のブロードソード。

 この上なく一般的であるだけに、かえってこの山賊には不釣り合いにも見えた。


「……いくぞ」

「おお!」


 こうなれば身に付けた技を振るうしかない。

 ≪スラッシュ≫。

 銅級に上がった剣士が最初に習うスキルであり、スラッシュと叫ぶだけで体が自動的に斬り上げの態勢に入る。その滑らかな動作は、素人でも熟練剣士の領域へ容易に到達することができる。


 実のところ、こちらの世界グランテイルにおいて、

 剣術スキルと剣術は明確に異なっている。


 剣術は剣士たちが功を練ってその身に染みつけるものであり、

 剣術スキルは、それを魔術式でショートカットしたものである。


 もちろん、剣術スキルを学ぶにも相応の訓練が必要になるが、

 身に付けるのに10年、100年に及ぶという剣術を練り上げるよりは、ずっと短い。


 ただし、剣術スキルには剣術と比較すると幾つかの制約が存在する。

 極めたら強いのは、剣術。一足飛びに、即戦力として使うなら剣術スキル。


 冒険者の大まかな認識はそんな感じであり、鉄級から銅級冒険者までは、最低一つの剣術スキルを身に付けた方がいい、と一般的には教えられている。


 少年は若年ながら、この≪スラッシュ≫を懸命に練習した。

 スキルは使用すればするほど、威力や速度が向上する。

 それは≪スラッシュ≫を教えた訓練所の教官が、思わず止めてしまうほどの意気込みであった。


「≪スラッシュ≫!」


 自信がある。

 この一撃は、今まで放った中でも最高の一撃だという確信がある。


「≪スラッシュ≫」


 山賊のそれは、僅かだが遅かった。

 ゆっくりと、スローモーで時間が流れる中、少年は勝利を確信する。


 だが。

 山賊が倒れることはない。


「え」


 というか、自分の景色が奇妙だった。

 天だ。

 青い空が見える。


 ≪スラッシュ≫を放ったのに、どうして自分は空をぼんやり見上げている?


 そんな疑問で脳が埋め尽くされた。

 もう一秒あれば、それは自分が≪スラッシュ≫を放たれたことで、

 体を左逆袈裟斬り(対面した人間を左から右斜めへと斬る)で両断されたのだと気付いただろうが。


 幸運なことに、少年はそれを理解することなく殺害された。


「悪いな。俺の≪スラッシュ≫は絶対にお前より速いのさ」


 山賊は哄笑する。

 周囲の部下が追従するように笑い出す。


「ダッパ」

「へい」

「いつも通り、身ぐるみ剥いだら例の故買屋に売りに行け」

「また俺ですか……?」

「文句でもあんのか?」

「いえ!」


 山賊たちは冒険者の装備品を基本的にそのほとんどを近場の街で売り飛ばし、金に換えている。

 もちろん真っ当な店で売れるはずもなく、彼らの取引先はそういう、非合法な店である。


 ルールさえ守れば、どれほど出所が怪しい商品であっても彼らは買い上げる。

 もちろん、相応に買いたたかれるのが常であるが。


「高く売れよ」

「……へい」


 そんなことできるはずないだろう、という抗議を飲み込んで、ダッパは死体の身ぐるみを剥ぎにかかった。


§


 これはこちらの世界グランテイルの話であるが。


 とある剣術の流派があった。極めて伝統のある、王国御留流おとめりゅう(一つの国のみで継承され、他国への技術流出を禁じられた剣術)の一派である。

 その流派では技の型を重視していた。


 型をきちんと作ってこその剣術であり、乱れた構えからは乱れた技しか放てない、というのが彼らの主張であった。


 だが、伝統は彼らも気付かぬ内に蝕まれていた。

 型稽古を続ける内に、「受ける側もお約束の流れでしか動けない」という縛りが組み上がってしまったのだ。


 結果どうなったか、というと。

 彼らは奥義の型を新しく国王となった男の前で披露した。


 凄まじい技であった。


 何しろ、周囲を弟子に取り囲まれた師匠が剣を虚空に一振りしただけで、弟子たちがどうと倒れて降参を宣言したのだから。


 新王は呆れて、彼らの流派を王国公認から外すことにした。

 型は重要であり、稽古も重要である。

 しかし、あまりに全てをシステマチックにしてはならない。


 それは、異世界でもよくあることだろう?


§



 蜥蜴人リザードマン(リザードマン)、ガラ・ラ・レッドフォートがテクステリーという街で冒険者登録を済ませて三日が過ぎた。


 元々鉄級冒険者である彼は、最初の依頼で華々しくデビューを飾ったものの、その次に受けた依頼は、近くの森での薬草採取である。


 とはいえ、あのゴブリン、セブル・ボルグを倒したほどの冒険者だ。


 もしかすると、薬草採取に関しても何か特別な――たとえば、薬草の中に稀にある、エリクサーの材料となる星見草を見つけて摘んでくるとか――そういう奇跡を、ギルド受付嬢であるセリスティアは期待したのだが。


「普通ですね」

「君が何を考えていたかは知らないが、普通に決まっているだろう」

「……失礼しました」


 もちろん、そんなことはなかった。

 ついでに言うと、採取した薬草の質もそんなによくなかった。

 セリスティアはしょんぼりして報酬を減額した。

 ガラもしょんぼりした。


「私が住んでいた村と、薬草の種類が違うからだ」

「……どちらにお住みになられていたのです?」

「それはともかく、他に依頼はないか?」

 露骨に話題を変更されたが、セリスティアもそれほど追求する気はない。


「依頼ではないですが、一つだけ受けて戴きたいのが戦闘訓練です」

「む」

「冒険者に登録した人間は、基本的に鉄級から銅級に上がる前に、最低一回の戦闘訓練を受けてもらわないといけないんですよ」


 冒険者とは、戦うための職業である。

 が、冒険者になろうと考えるのは戦闘訓練を受けた者ばかりではない。

 むしろ比重としては、食い詰めた農家の若者のような者がかなり多い。


 彼らはせいぜい、村に迷い込んだ低レベルの魔獣を追い払う程度で、死に物狂いで殺し合う経験など皆無だ。


 それ故に、冒険者ギルドでは新人の冒険者に戦闘訓練を受けることを推奨している。

 数度の訓練を経ることで死傷率が格段に下がるのだから、ギルドとしても必須にせざるを得なかった。

 たとえ相手が王国の名高き元騎士であったとしても、例外はない。


「……分かった。やってみよう」

「訓練所でトレーナーがガラさんをお待ちしています。よろしくお願いしますね」


 なるほど、訓練所ではトレーナーが彼を待っていた。

「ギルドマスターのニコラウスだ」

 中つ人アヴェリアンの男は、ふわりと笑った。


 隻眼であり、刀の鍔を眼帯として使っている。胸元から覗くは明らかに深手の刀傷。

 服を纏っているのに、ガラは把握していた。

 彼の傷は、全身余すところにあり、それは彼の強さを現していると。


「ガラ・ラ・レッドフォート。鉄級冒険者だが」

「ああ、気にするな。戦闘訓練といっても、お前さんと本気でやり合う訳じゃない」


 そう言って、彼は木刀ではなく竹刀を構えた。

 ガラもすぐ傍に刺さっていた竹刀を持ち、正眼に構える。


「北辰一刀流、ニコラウス・ベンデッタ」

「倭刀術、ガラ・ラ・レッドフォート」


 異世界において、北辰一刀流は江戸時代の剣術家である千葉周作が創始した流派であり、特徴の一つとして挙げられるのが竹刀と防具を用いた掛かり稽古を導入したことである。


 結果、日本における嵐のような時代――幕末において、この流派は幾人もの剣客を輩出したとされる。


 こちらの世界においても、冒険者が習うべき流派として広く親しまれている。

 そしてニコラウスの構えは、明らかに達人のものであった。


 ちりちりと、無人の訓練所の空気に火が灯っていく。


 構えて、向かい合っているだけなのに。

 一秒が一時間にも感じられるほどの重圧が、二人の間に漂い始めていた。


「……よし、ここまでだ」


 そして、その重圧があっさり雲散霧消。

 ニコラウスの言葉がなければ、間違いなく殺し合いになっていた。

 自制心の弱い者であれば、最初に重圧を受けた瞬間に飛びかかっていただろう。


「……試されたか」

「まあ、そんな感じだ。いや、悪かったな」


 ここで襲ってくるようでは、冒険者ではなく剣に狂った達人に過ぎない。

 ニコラウスはそれを量るためにわざと殺気をぶつけたし、

 ガラはそれを知った上で動かなかった。


「悪く思うなよ。たまにいるんだ。剣に狂ったくせに、人を救う冒険者になろうなんて考えるヤツがな」

「そういう人間は切り捨てるのか?」

「ああ。そういう人間は、大抵――人を救えない冒険者になっちまうのさ。そんな冒険者を輩出しちまったら、ギルドとしては面目が立たないだろう?」

「…………」


 ガラは無言で返す。


 ニコラウスは肩を竦めて、竹刀を専用ラックに差し込んだ。


「飛び昇級を期待してるか?」

「いや……それは、きちんとした形で受けたい」

「ほう」

「功績を積み上げることは苦ではない」

「そうかい。じゃ、悪いが地道にコツコツやってくれ。戦闘訓練はこれで終わり。文句なし、だな」


 ガラは頷き、無言で訓練所を出て行った。

 彼が遠ざかるのを確認してから、ニコラウスはやれやれとため息をついてしゃがみ込む。


「ギルドマスター、今のが例の……?」


 訓練所の天井から、声が響く。ニコラウスはそちらに目を向けることなく、口を開いた。


「おう。あれが例の蜥蜴人だ。勘弁してくれ、俺は冒険者を引退した身だぞ。なんで、あんな化物と向かい合わなきゃならねえんだ」

「仕方ないでしょう。それがギルドマスターの役割です」

「で、アイツはお前の存在に気付いてたか?」

「……分かりません」

「分からない……?」

 天井裏にいる何者か、は男とも女ともつかない声で答える。


「警戒されているようには見えませんでした。ですが、天井裏から奇襲を仕掛けても、絶対に敗北する。そういうビジョンが見えたんですよ」

「じゃあ気付いてたんじゃないのか?」

「もう一つ可能性があります。彼は、いついかなる時でも警戒しているのです。天井裏から奇襲を受けることも、常に頭の隅で考えている、というような」

「……そりゃすげえな」


 それは、日常を常に災禍たる戦場を捉える考えであった。

 空からは槍が降り注ぎ、路地裏からは何者かが襲いかかり、友人と思った者は突然きびすを返して斬り付けてくる。


 戦場であれば道理の考えも、安全なはずの日常ではそうではない。

 なら、常にその身を戦場と見なしているあの蜥蜴人は。


「そういう事情を抱え込んだ誰か、ということです。引き続き、調査を続行します」

「頼まぁ」


 ふっ、と天井裏の何者かが立ち去ってから、ぼんやりとニコラウスは虚空を見る。

「参ったねぇ。巻き込まれずに済めばいいんだが」

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