第3話 野太刀自顕流ゴブリン対倭刀術リザードマン 3

 これは異世界ちきゅうの話であるが。


 小さな島国で生まれた武器である「日本刀」は、その威力を評価され、当時中国大陸の覇者であった明(みん)国に観賞用として大量に輸入されたことがあったそうな。


 やがて明国ではその中にあった大太刀を参考に一つの武器が作られた。


 日本の太刀より遙かに長く、刃渡り三尺八寸(115cm)、柄は一尺二寸(36cm)合わせて五尺(151cm)ばかり。


 明国の刀と違って、稲の苗のように細いことから、苗刀もしくは倭刀とも呼ばれるそれは、明軍に導入されて相応の効果を及ばしたという。


 さて、明国のある武術家。名を程宗猷ていそうゆうは自国の武術と「日本刀」を掛け合わせて、新たな実践的剣術を編纂した。


 中国武術独特の伸びやかな動きと、陰流(上泉秀綱が創成した新陰流は、この陰流の系譜である)がミックスされた極めて独自色の強い剣術。


 本編二十二勢、続編十二勢、合わせて三十四勢の技法から成る剣術。

 時代の狭間に遺され消えた技法。

 即ち、倭刀術わとうじゅつと人は呼ぶ。


§


 野太刀自顕流――セブル・ボルグ。種族ゴブリン。

 倭刀術――ガラ・ラ・レッドフォート。種族リザードマン。


 体格は大人と子供、いやあるいはそれ以上か。


 しかし、野太刀と倭刀の長さはそれほど違いがあるようには見受けられない。


 互いに回復役など存在しない以上、相手を仕留めるに足る一撃が、そのまま致命傷となる。

 ぞわぞわと、蟲が這い回るような悪寒……いや、興奮をボルグは覚える。


 これだ。

 これのためだけに生きている。


 ボルグはつくづくそう思う。四十年生きて、この興奮を味わってから離れることはついぞできなかった。


 眼前の誰かを叩き斬る。

 そのために生きてきた。


 互いに刀は抜いている。

 ボルグは鞘を捨てる。刀を納めるときは生き残った時と決めている。


 レッドフォートは鞘を捨てない。元より腰に鞘があるのを前提として訓練を積んできたのだ。

 手足の延長上のようなもの、駆けるに支障なし。


 空気が重くなっていく。森の小さな小さな空間に、殺意が満ち満ちていく。


 数秒後、溜まりに溜まった殺意を吸い込んだどちらかが、

 相手を殺しにかかるだろう。


 数秒。

 その数秒の間に、ボルグは何故だか不意に過去を思い出した。


 ゴブリンという種族は、かつて亜人(人間に次ぐ生物、あるいは人間のできそこないくらいの意味)のカテゴリに属していた。


 人間のような、複雑な思考回路が存在しない、野蛮で凶暴な生物という認識だったのである。


 ボルグはそれでいい、と思っていた。

 実際に難しいことは分からないし、分かりたくもない。

 それで生活が変わる訳でもなし。


 ボルグがやるべきことは日々を暮らすことと、教わった剣術を決して捨て去ることのなきように、と鍛錬すること。


 ……結果的に、彼らが必死になって繋いでいた野太刀自顕流こそが、ゴブリンを亜人から人間へと昇格させる架け橋になった。


 異世界の野太刀自顕流と祖を同じくする示現流もまた、こちらの世界に伝わっており、剣術を修める者がいるならば、それはまた人間と呼ぶべきではないか、と。

 誰かがそう言ったのだ。


 ゴブリンたちは退治されるべき亜人から、集落に暮らす人間として認められた。


 二十年ほど前の出来事である。


 ボルグは日々の暮らしがゆっくりと変わっていくのを感じていた。


 ゴブリンたちは人に交じって暮らし始めた。

 共通語を覚え始めた。

 半裸の状態でいるのを止めて、衣服を着るようになった。


 いいことだ。

 とてもいいことだ、たぶん。


 だから、森から出て行って欲しいと言われたときも従うのが正しかったのだろう。


 他のゴブリンたちは、弟子に至るまで全員があっさりと出て行ったのだから。


 そもそも、この森に愛着がある訳でもなし。

 暮らすのに便利という訳でもなし。


 なのにボルグはただ一人、それを拒んだ。

 自分でも不思議だった。何故、そうしたのか。何故、そうせざるを得なかったのか。


 先祖代々伝わる野太刀を片手に、森から追い出そうとする人間を斬る。


 四十年生きてきて、結局一度も使うことのなかった技を、こうして振るうことこそが、生への実感だった。


 ボルグは曖昧な思考のまま、ふと思う。

 己を亜人と決めたのは、人間だった。

 己を人間と決めたのも、また人間だった。

 もしかすると、もしかするが。単純に、それが腹立たしかったのか。


 愚にも付かない思考は数秒で停止した。


    剣を取りては斬ることを

    悦びなりては修羅と果てよ


 ボルグは叫ぶと同時に、野太刀を天に掲げる。剣術の基本である八相よりなお高々と。左足を前、右足を後ろに。瞬間、蜥蜴人リザードマンの眼に映るゴブリンが、膨れ上がった。


 蜻蛉とんぼの構えである。


 そして、ここから繰り出される剛剣を懸かり打ち、と呼ぶ。

 速かった。とてつもない速度だった。

 だが、実のところ。野太刀自顕流の初太刀が、ただ速いだけならば、多少腕に覚えのある剣士であれば回避は容易だったかもしれない。


 この初太刀が、数多の剣士を屠ってきたのにはきちんとした三つの論理がある。


 一つは状況。

 この初太刀を回避できれば、あるいはそれより速く技を繰り出すことができれば生き残る。

 回避できねば死ぬ。

 人生でこれ以上ないほど凄絶な二択である。

 その状況が、対手たちの精神を追い込んでいく。


 一つは恐怖。

 この薩摩の初太刀を打ち込もうとする剣士は、そのことごとくが吼えた。

 その叫びは相手の精神の余裕を容赦なく削り取る。

 結果、この初太刀を以て突進してくる薩摩の剣士たちに狼狽して隙を見せることになる。


 一つは跳躍。

 走り出した野太刀自顕流の剣士に、狼狽することなく迎撃態勢を整えた剣士もいるだろう。

 迎撃をするために敵の速度を計り、技を繰り出す機を伺う者も、必ずいる。

 だが、最後の最後。届くか届かないかの間合いで、野太刀自顕流の剣士たちは跳ぶのだ。

 その跳躍が機を狂わせる。


 以上三つの論理により、この野太刀自顕流の蜻蛉からの初太刀は、魔剣にも似た破壊力で敵を切り捨てる。


 さらに加えて最後、四つ目の論理。そう、ゴブリンたちはここからさらに一つの論理を加えた。

 彼らの種族としての特性がここで輝く。


 彼らは確かに矮躯であるが、腕力はそれなりに強い。人間の女子供と同等だと考えると、その時点で痛い目を見る。

 だが、何よりも彼らが戦闘種族として優れている点は、

痛覚が鈍い、ということだ。


 彼らは痛みを恐れない。死を恐れない。彼らにとって死は当たり前のような存在であり、痛みというのは肌の違和感程度のものでしかない。


 腕を切断されようが、全身を切り刻まれようが、骨を折られようが、痛みはない。せいぜい、人間でいうならば拍手……手を合わせるときの軽い衝撃程度のものである。


 だから、殺されるまで止まらない。

 否――殺されなければ、ゴブリンは止まらないのだ。


 先の三人はいずれもこの論理に屈服した。

 最後の一人は、かろうじて迎撃しようとする気概があったが、それもボルグの尋常ならざる跳躍で目算が狂ったところを、斬り捨てられた。


 ボルグは蜥蜴人リザードマンを見ている。彼が動き出す。その一歩を踏み出そうとしている。


 珍しい、とボルグは思う。


 迎え撃つではなく、慌てふためくでもなく、決然と走り出すことを、蜥蜴人リザードマンは選んだのだ。


 その歩法は力強い。片手にあの長さの刀を持ちながら、全く揺らぐことなく走る姿は驚嘆に値した。


 ボルグは賢くはないが、愚かでもない。

 希望的観測、たとえば蜥蜴人リザードマンが狼狽したり技を失敗したり、あるいは転倒したりするかもしれない、という可能性は頭の隅に追いやった。

 そうなったら、なった時に考えればいいだけだ。


 ボルグが考えることは一つ。

 相手より速く、速く、速くこの初太刀を振るう。

 相手がどんな技を繰り出そうとも、どんな奇剣魔剣を披露しようとも、たとえ飛び道具を使われたとしても。


 ボルグはひた走る。

 間合いは見る見る内に縮まり、跳躍の時間が来た。ボルグは跳躍と同時に初太刀を解放、振り下ろす。


 蜥蜴人リザードマン防御うけることも間に合わず、脳天から引き裂かれる――



 はずであった。



 だが、ここで蜥蜴人リザードマンが驚嘆する行動に出た。

 今の今まで、相対した敵がしなかった行動。


 蜥蜴人リザードマンは刀を手放した。

 放り投げたのだ。しかもボルグ目掛けて投げたのではなく、宙へとだ。

 その、あまりの意外性に一瞬意識が削がれた。予想外の出来事に、思考が乱入した。


 立て続けの驚愕。

 蜥蜴人リザードマンの姿がない。

 消えてしまった。視界からふっ、と瞬の間に消失していた。これまで幾度も幾度も繰り返した初太刀に、初めて怯みが生じた。


 ボルグは茫然自失しかかった意識を強引に繋ぎ止め、唯一可能性のある方へと目を向けた。

 目を向けざるを得なかった。


 宙を、

 蜥蜴人リザードマンが、

 舞っていた。


 倭刀術の技を記録した書物、「單刀法選たんとうほうせん」。続刀勢図より。

 名を「丢刀接刀勢(ちゅうとうせっとうせい)」。

 投げた刀が下向きに落ちていくところを右の順手で掴む。


 本来の流れであれば次勢の「按虎刀勢(あんことうせい)」に繋げる。

 刀を掴んだ手をブレさせず、滑らかに武器を構えて斬り込むのが、本来の技の流れである。

 だが。

 レッドフォートはそうしなかった。

 彼が選んだのは、投げた刀に合わせるような自身の跳躍である。


 傍にあった大木を勢いよく蹴る。

 その反動を活かした彼は宙を舞った己の刀をしっかと両手で握り締めた。


 本来の倭刀術に無き技が披露される。

 宙に浮いた刀を追いかけるように跳んで、宙空で刀を捕獲。続けざまに、地にいる敵を斬るために振り下ろす。


 蜥蜴人リザードマンの間では、この名称が伝わっている。


「落鳳刀勢(らくほうとうせい)」


 大地を割るような勢いで振り下ろす野太刀自顕流の初太刀も、天を引き裂くこと能わず。


 かくして決着。

 肩口から心臓にかけて斬り裂かれたボルグは、呆気に取られたような顔でどうと倒れ込んだ。


 一瞬であった。

 まさに刹那の出来事であった。


 だが、この達人二人はその刹那に全てを捧げた。

 その刹那に全ての生命力を出し切った。

 故にこその決着。


 倒れたボルグはただ、納得したかのように頷いた。


§


 決着はついた。

 両断されたボルグはぼんやりと、木々の隙間から見える空を眺めている。

 じわりじわりと生命が流れ出していくのを感じられる。


 ゴブリンの痛覚は鈍い。

 こうして空を眺めるのは、いつ以来のことだろうか。


 ゴブリンの痛覚は鈍い。

 遙か昔、父に剣術を習ったときにひどく打ち倒された頃だったように思える。


 四十年生きてきたが。

 冒険者たちを斬り倒したこの一ヶ月間の密度には敵わない。


 凝縮した生の充実した時間だった。


 それがたとえ、他の者から見れば破綻しているとしか言いようのないものであれ。

 たった一つ学んだ技を、思う様に繰り出した。

 正々堂々と。


 ゴブリンの痛覚は、鈍い。

 風、風が吹いている。

 何と冷たく骨身に沁みるような風だろう。

 これが死というものか。

 恐ろしくはない。それよりも今は、死ぬまで最後の一撃を反芻することに、思考を費やしたかった。


 人生最後にして最高の初太刀を、あの蜥蜴人リザードマンは迎撃した。

 だが、決して容易くではない。予めああすると決めていたとしても、蜥蜴人リザードマンもまた命を賭けたはずだ。


 次、次があるとしたら……いや、それは未練に過ぎないか。

 それでもボルグは次を考える。

 次の一撃は、もっと速くもっと強く、と。


 それだけを練り上げた人生に、悔いなどあってたまるものか。

 悔いなど遺しては――悔いがあったであろう、斬り殺した冒険者に対して、侮辱にあたろう。


 故に悔いなどない。

 悔いなどないのだ。


 ゴブリンの痛覚は鈍い。

 故に、ふと気付いたらボルグは死んでいた。


§


「……生きてたのか」

「証拠はこれで良かったか」


 一際大振りの耳を、レッドフォートが差し出した。

 切り取ったボルグの耳である。


「ああ。この耳を魔術鑑定に回して問題なければ、依頼達成だ」


 スプーキーは耳を革袋にしまい込んだ。


 レッドフォートと入れ違うように森に入って、ボルグの死を確認したエレニアムは不思議そうに言った。


「こちらも死体を確認しました。……それにしても、何でこんなことをしたんでしょうか……。だって、何の意味もないのに」


「さあな」


 スプーキーは肩を竦める。精神が破綻した人間は、何をするか分かったものではない。少なくとも彼には、正気の沙汰とは思えなかった。


 そもそも、この依頼はロクソルの森に住んでいたゴブリンたちにより提示されたものだと聞く。


 彼らはただ一人残った老ゴブリンを危惧したのだ。


 王国との関係が不味くなるだけではなく、種族全体にとって致命的なことをやらかすのではないか、と。


 故にゴブリンたちは街で稼いだ金を掻き集めて、依頼料とした。


 それは、あるいは残してしまった老人への罪悪感と恐怖があったのかもしれない。


「……使わぬ剣は、時に狂うのだ」

「使わぬ剣?」


「長い間、剣術を学び修め……しかして一度も振るう機会がないと、人は狂う」

「実感籠もってんな」


「そのせいで、私の集落は滅んだからな」

「……は?」


 レッドフォートはそれきり、沈黙を保った。


 森の一角にセブル・ボルグは埋葬され、その墓には彼の愛刀であった野太刀が突き刺さっている。最後まで彼の供回りをするように――墓に突き刺さっている。


 ガラ・ラ・レッドフォート。年齢不詳、性別不詳、過去不詳。

 以後は冒険者として、テクステリーの街に滞在する。

 種族、蜥蜴人リザードマン。現在の冒険者等級、鉄。




 後に、『竜斬りの蜥蜴人リザードマン』として名を馳せることになる。

 あるいは、最強を謳われる天下五剣てんかごけんの一振りとも。


§


 いいかい? いいかい、聞いてくれ。

 これはこちらの世界の話だけど。


 異世界の伝説的な剣士、沖田総司の三段突き。それを再現した竜人ドラゴニュートがいるらしい。


 隻腕にして最強を謳う、人格篤実な中つ人アヴェリアンの国王がいるらしい。


 500年、剣術を練り上げ続ける妖精人エルフが世界のどこかにいるらしい。


 飛び兎、という異名を得たある兎人メドラビットは巨人の首を斬り倒したことがあるらしい。


 平伏した状態から人を斬り殺す、闇伏やみぶせという正体不明の刺客がいるらしい。


 稀少種族である蜥蜴人リザードマン、その中の一人は、伝説の幻獣ドラゴンを斬ったことがあるらしい。


 異世界からやってきた剣豪、剣聖、無名の剣士たちは、こちらの世界にそういうものを運んできた。


 そしてそれを餌として、この世界の人間は歪な進化を遂げたのだ。


 これはそういう物語だ。

 これはそういう剣士たちだ。


 ようこそ、こちらの世界グランテイルに。さあ、ぼくの話を聞いてくれ。


 吟遊詩人は歌い続ける。

 吟遊詩人は歌い続ける。


―――――――――――――――――――――――――――――

・カクヨムでは皆様初めまして。本作は友人のシナリオライターである奈良原一鉄が19年前に書いた「刃鳴散らす」というゲームに、強烈な影響を受けております。多分、かつてプレイした方なら分かる部分が多々あるかもです。


・それから、昔書いた自分の作品もかなりの比重で影響を受けています。スターシステムとまではいかないですが、見覚えのあるキャラは見覚えのあるヤツみたいなもんです。


・剣術関係は正しくないこといっぱい書いている気がします。申し訳ない。


・1章「野太刀自顕流ゴブリンVS倭刀術リザードマン」の後は、六日間連続更新で3章まで上げる予定です。後は、まあ、ふわっとした流れに任せる感じで。一週間に二話、最低でも一話更新を目指したいと思います。


・……という訳で、よろしければ☆評価やフォローなどの応援、よろしくお願いいたします!


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