第二十六話「あなたに与える世界」

 ハッとアマキに視線を戻して、目を剥いた。

 ナイフとフォークはそこらに散らばり、止血のために裂いて押さえつけていたシャツも無くなっている。

「血が……ッ」

 慌てて衣服を探り、色が同じすぎて探しづらい合わせを掻き毟る。早く傷を見つけて、

「っ!」

 手を押さえられて、跳び上がりそうになった。

 服を引ったくる手をそれぞれに握る、指の長い、熱い手。

「アマ、」

 腹筋だけで軽々と身を起こしたアマキが、上着の前を解いて、大きく開いてみせた。

 胸にも腹にもこびりついている乾いた血を、慌ててこすって傷を探す。

「ッ、おい、くすぐってーンだけど」

「……そんな、」

 いや、傷を見たわけではなかったが、と、愚かな現実主義の頭が、おかしな方へ回る。

 自分の指がこすって拡げ、あるいはこすり落としてしまった血の跡に触れたまま、アマキの顔を見た。

「やるじゃん」

 ニィッと、深く両目をたわませ、肉厚の唇を大きく横に引いて、龍使いが笑った。



 モズが命令してたから、まだ誰も来ないだけだ。と、アマキに促され、入ってきた玄関を通らず裏口から脱出した。

 確かに、和諒会のボスを殺してしまって、もう、できる限り誰にも見つからずに逃げるしかない。

 山道を走って下りて、ひとまず淦門アカトのいかがわしい宿に身を隠した。

 血が目立たないことが幸いな、アマキの上着を借り、彼が風呂で汚れを落としている間に、できるだけ地味で目立たない店で二人分の衣服を何着か買い入れ。

 交替した風呂から上がって、閉じたカーテンの隙間から外を覗いているアマキを見ながら、深々とつい、ため息をついた。

 さて、これからどうしたものか。

 気は進まないが祖父を頼って本家に匿ってもらうか、もういっそ、海外に高飛びでもしようか。

 額を押さえる腕の隙間に挿し込むよう、手が伸びてきて。

 うん? と、顔を上げ。身をすり寄せてくるアマキを、当然のように抱き寄せた。

 長い腕が首からうなじへこすりつけ、絡まるように頭を抱かれる。

「なあ、」

 可愛い。ニャーンって言ったのかと思った。

「うん?」

「もしかして、あんたが人殺し相手でも勃起できンのか、試してみてもいいか?」

 思わず、目を丸くして瞬く。

「ビックリするほど図太いね、きみ」

 ポカン、と、途端に丸くなる目と口に、えっと知らず声が出た。

 ふはッは! と、笑う吐息が首筋に掛かる。

「あんたに言われたくねえな~」

「……」

 そうだろうか、どうだろうかと考え、まあそうかもなと雑に結論づけておいた。

「けど、そうだな……。アマキには勃てられそうだけど、状況に萎えそう」

「そうなんだ?」

 首を傾げる可愛い顔に、苦笑いが浮かんだ。

「うーん。どうしても、二人とも全裸で真っ最中に、踏み込まれないか気になるかな」

 少し長い沈黙の後、確かに、と、低い声でアマキがうなずいた。

「ごめんな」

 胸を押しつけてくる割に声は渋く、ポツリと言った顔を見つめる。

「あんたの人生ダメにしちまった。そうしないでおきたかったのに」

 彼の、言葉と思いが、単純なくらい胸に染みて。

 腕を狭めて、小さな頭と細い背を抱き締めた。

「どういたしまして。……でも、願いは叶った」

 願い? と、耳のそばで声がくぐもっている。

「きみが俺の部屋に泊まった日、ずっと、もっと一緒にいたくて、君を帰らせたくなくて。子供みたいに地団駄踏んで泣き喚きたいくらいだった」

 ぎゅう、と、声の代わりに強く抱き返されて、頬をこする癖毛に、こめかみをすり寄せた。

「……。すっげえシてええんだけどぉぉォ……」

「ごめんね。無理です」

 いや、僕もしたいかな。いややっぱ無理だな、と。

 暴れるアマキを抱き締めて押さえつけながら、少しは自問自答もした。



 それからたった二日後に、アマキは臥竜城に、自分は八百石ヤオイシに戻ることになった。

 アマキの先生だという、いつか会った小柄な女性が探しに来たのだ。

 ものすごく探したと怒りながらアマキを何発か蹴りつけ、モズが生きているというニュースを伝えてくれた。

 医者に診せたところ、診断は全身打撲で、銃弾はすべて床に転がっていたそうだ。

 身体のどこにも弾痕などなく、運び込まれて間もなく目を覚ましたモズは、この大騒動について「親子喧嘩」の一言で済ませたらしい。

 正直、心情的には死んでくれていた方がよかったが、間違いなく、生きていてくれて助かった。

 アマキは、「あんたがあんなデカいの呼ぶからだ」と笑った。



「えっ、そうなの?」

 臥竜城の子供たちが空気の足りないボールを蹴って遊んでいるのを見ながら、アマキと並んで日陰に座り、龍使いの話を少し詳しく教えてもらう。

「うん。マジで知らなかった」

 モズが龍使いだと知らなかったというアマキに、嫌なやつだ……と、思わず半眼になる。

 幼くして未知の力に目覚めたアマキに、共感してやるとか、励ますとかあっただろうに、と。

「で、モズが呼んだのが五番目の“地の龍”で、あんたが呼んだのが最後の七番目で“木龍”」

「きのりゅう、じゃなくて、ぼくりゅう、なんだね」

「アー、まあ。たぶん語呂の問題かな。きのりゅう、とも言うよ」

「あっ言うんだ?」

 一番目が火の龍、二番目が風、と指を折って教えてくれるのを、なるほど、と他人事のようにうなずいて聞く。

 あれから何度か勧請を試みたが、一度も龍は現れていない。

 アマキが、もしかしたらモズも、近くに龍使いがいたせいとか、単に奇跡だったのかもしれない。

「そうかあ。でも、龍使いでもどれかの龍が呼べないってこともあるんだね」

「いや、逆」

「逆?」

「ほとんどの龍使いは、一種類の龍しか呼べないらしい」

 少し長い間を置いて、え!? と、声を上げてしまった。

「えっ、でもアマキ、木龍だけが呼んでもこないって言ってなかった?」

「言った」

「普通は一種類しか来ないのに、逆って、他の龍はぜんぶ、え、きみだけ呼べるってこと?」

「そう」

「すごいな! え、もしかしてきみ、ものすごい龍使いなの?」

「うんそう」

 あっさりと答えた後、横顔で噴き出して笑っている。

 自慢してみせるというジョークなのは理解できるが、実際に自慢になりすぎて成立していない。

「きみは本当になんでもかんでもすごい人だね……」

「なんだ、なんでもかんでもって」

 フハハ、と気の抜けた笑いをしている顔を、眺めた。

 子供たちの笑い声の向こうで、遠く、蝉の声がこだましている。

 だけど、本当に何をしても飛び抜けている彼の才能は、この場所に閉じ込められたままだ。

「そういえばアマキ、きみと話をした後にさ。考えてたんだけど」

「ン?」

 振り向く顔が、眉を上げて続きをうながず。

 彼自身は、許されるとしたら、どんな道に進みたいと思うのだろうか。

「臥竜城に図書館を作るのはどうかな」

「えっ、……いや。いや、俺は嬉しいし欲しいけど、……誰がやって、誰が来んの、それ」

 あの本屋一軒も別にもうかってねーぞ、と、笑われてしまった。

「うん。自由に本を読めるのがメインだけど。大人でも子供でも、したい人は勉強を教えてもらえる場所にして、とか」

「や。いいよ、いいんだけど、俺が聞いたこと、なんも解決してねーじゃん」

 うーん、と、少しうなって考えてみる。

 今の状況からいえば、和諒会で運営、というのがありそうだが、できれば避けたい。

「場所はどこか考えるとして、お金は臥竜城の全員がちょっとずつ出して……。司書はきみと本屋とか……」

 そうしてそこから、和諒会に依存し、搾取される状況から立ち直る力を生み出せたら。

「シショってなに?」

 唇をとがらせるアマキに、ああとうなずく。

「図書館の店員さんだね。本の管理をしたり、置いてある本について教えてくれる人。なんとなくしかイメージしてない時に、おすすめの本を教えてくれたり」

 ふーん、と、アマキの声が笑っている。

「たしかに面白そうだな」

 だよね、と。少なくともまだ、妄想だと認める意でうなずいた辺りで、離れた場所から声が掛けられた。

「タイガー! タイガーたすけて! 負ける、このままだと負ける!」

 タイガータイガーと賑やかに声を上げる子供たちに向けて、今行くーと、アマキが声を張って応えた。

 立ち上がって身体を解している彼を、いってらっしゃい、と、見送る。

「シメイ、」

 柔軟のついでのように振り返るアマキに、うん、と相槌を打った。

「あんたって、ロマンチストだよな」

 頭を掴まれ、こめかみに押しつけられた派手な音つきのキスに、目を丸くして彼を見上げてしまう。

 すぐに踵を返し、美しいフォームでアマキが駆けていく。

 陽射しの中に走っていく背に、そうだね、と、届かない声を返した。




   終わり

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臥竜城に棲む虎のこと 種田遠雷 @yen_rai

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