君に捧ぐ白昼夢 - To : Daydream -
往雪
君に捧ぐ白昼夢
「──分かるかい、イヴ。君が殺したんだ」
「でも気に病むことはないよ。……人というのはね、一度覚えられてしまえば、その人の記憶の中では永遠に生き続けられる生き物なんだ」
「だから忘れないで。──イヴの目的と、僕のことを」
■
──ぼうっと考えながら、イヴは年端もいかない少女の後頭部を刺した。
手にした銀のナイフで、滅多刺しに。痛さと恐怖に泣き叫ぶ声には耳を塞いで。手が疲れてきたとしても休まずに、何度も、何度も──何度も。
床に少女を押しつけて。抵抗する手を押さえつけて。
涙の混じった悲鳴がぶつりと途絶えてからも、傷口から新しい血が溢れてこなくなるまで。まず間違いなく死んだことを確認するまで。冷たくなるまで。
……感触を、少女のことを。ちゃんと覚えておけるように。
確か少女のことは記憶にある。何度か、同じ部屋で『実験』をしたことがある。その時も少女はずっと泣き叫んでいた。泣き虫だったのかもしれない。
やがて、イヴは手に着いたどろりとした鮮血を、殺した少女の服で拭き取った。
後から固まってこびりつかないよう念入りに、ぐしゃぐしゃと。
完全に殺し切ったあと、イヴは死体から完全に興味を失っていた。
これで何人目だったか。どちらにせよ、お兄さんに報告しないといけない。
そう思い、イヴは元居た檻を目指して真っ白な廊下を歩く。
数日前は赤いランプと警告音の鳴り止まない、騒々しい空間だったけれど、しばらくしたらそれも止んだ。お兄さんが何かしたのかもしれない。
何でもいい。と、イヴは裸足のまま、ぺたぺたと血の足跡をつけていく。
余計なことを考える必要はない。──見つけたら、殺すだけだ。
そうすれば、イヴの望みは叶うのだから。
◇
お兄さんに報告を終えて、イヴはまた檻を出た。
そうして研究所内で見つかった人を、片っ端からナイフで殺した。
大体は子供だった。人懐っこくて、誰の言うことでもちゃんと聞いて。イヴと同じ白いシャツ一枚のみを羽織った、右手首にリングのはめられた子供たち。
イヴともよく一緒に『実験』をして、そんな中で生き残った子たちを。
イヴは殺した。時には友好的に近付いて、時には不意を打って。
あとは研究所内に残っている、左手首に子供の対となるリングを嵌めた大人。
白衣を着た彼らを殺すのは、最初はイヴも苦労した。なにせ子供たちと違って大概が反撃して来るし、武器を持っていることもある。
びりびりと全身が痺れて動かなくなる攻撃を喰らった時は死んだかと思った。動けない振りをして、隙を見て首をかっ裂いてやったが。
いつからかイヴの手元には、肉を断つ感触が残るようになった。
すっとナイフが通って、ぐちゃりと筋繊維が歪み切れて。やっぱり大人よりも子供の方が柔らかくて。でも、全員に個体差があって。
お兄さんの言っていた、忘れないとはこういうことかもしれないと思った。
■
「こっ、殺さないでくれ──! か、家族が……妻と娘がいるんだ……!」
と、ある時。眼球にナイフを振り下ろす直前で、大人が言った。
イヴはぴたりとナイフを止めて、聞き返した。
「……家族?」
「あ、ああ……。とても、とても大切な、ものなんだ。俺が死んだら、二人が悲しむ──あ、ァァ、あ……っ、があァッ……⁉」
大人が喋る。それを聞きながらも、イヴはつぷっとナイフを瞳に突き立てる。血が滲んできて、それをぼーっと眺めながらイヴは言葉を紡ぐ。
「家族……家族。大切なもの、……死んだら、悲しむもの?」
ナイフが脳髄まで届いて、大人の息が絶える。それでも何かに囚われたように、イヴはナイフを押し込み続ける。家族という言葉を咀嚼し続ける。
「死んだら悲しい……なら、お兄さんが私の、家族?」
ふと、馬乗りになった体勢のまま大人に聞く。しかし返事はなかった。
イヴは「……」と無言で立ち上がる。軽やかな足取りで檻へと戻る。
ぶつぶつと呟かれる言葉へ、回答を提示する者は誰もいない。
◇
ある時。初めて、大人と子供が一緒にいるところを発見した。
大人はイヴの血に塗れた服を見るなり、最初の一瞬だけ悲しそうな顏を作って、次いでその手に握られたナイフに気付き、子供の前に立ち塞がった。
手近な机に立てかけてあった鉄の棒を握って、イヴに向けてくる。
「……君がNo.24か。ミオには触れさせない。できれば立ち去ってくれ」
「ミオ? それは、そこの子の名前?」
イヴが視線を大人の後ろにやると、そこには少女が一人蹲っていた。がたがたと肩を震わせながら、机の陰に隠れてこちらを涙ぐんだ眼で見ている。
長い白髪に赤い瞳。穢れのない白いシャツ。やっぱりイヴと同じだ。
「……君には名前はないんだろうな。何のために人を殺し続ける? 機関への復讐なのか? それとも、単なる好奇心からか?」
イヴはむっとする。名前ならお兄さんが付けてくれたものがちゃんとある。
「復讐──がなにかわからないよ。でも、願いを叶えるためだから」
「なら……叶えられるものであれば君の願いを叶えよう。だから、私たちのことは見逃してくれないか。……もう少しで、ここから出られる目途もつく。君も研究所を出られるんだ。なあ、悪い話じゃないだろう?」
──彼は何を言っているんだろう。お兄さんが作った機械は、人をたくさん殺さない限り動かないのに。そうじゃないと、願いが叶うなんてそんなはずないのに。
じゃあ、彼が言っているのは嘘だ。……やっぱり、大人は嘘つきばかりだ。
そもそも、ここから出るってどういうことだろう。思考を巡らす数秒間。どう考えたって、イヴのことを煙に巻こうとしているようにしか思えなかった。
「……何を言ってるか、わからない」
「…………。そうか」
イヴが目を細めたのを見てか、大人は諦めたように棒を構えてきた。
たったの数秒で、攻防は終わった。
どさりと床に倒れ込んだ大人を横目に流して、イヴは机の陰に歩いて行く。
「あ……、あ……っ。うぇぇえええ……っ」
ナイフを振り上げて、そこでふと気付く。『涙の種類』が違うことに。
少女のこれは、恐怖から来るものじゃない。他の子供たちとはどこか違う。なんて考えていると、少女は大人の側に這い寄っていって、背中に覆い被さった。
ぐずる赤ちゃんみたいに、顔中を涙と鼻水でいっぱいにして。
「なん……やだぁあああ……っ。いや、死んじゃ……いやぁぁぁ……っ!」
大人の背中に顔を摺りつけて泣き叫ぶ少女を目にして、イヴは僅かにたじろぐ。
──と。息絶えているはずの大人が、腕を動かした。油断し切っていたイヴはびくっと全身を強張らせて、大きくバックステップを踏む。
しかし、大人はイヴに反撃をしようとしたのではなかった。
「……すま、な……い。み、ナ……。愛して、いる……」
そんな声を発して、大人は手を持ち上げ、少女の手を掴んだ。
少女の泣き声が一層煩くなる。──これ以上、聞くに堪えなかった。
イヴはナイフを握り直して、少女の心臓がある辺りに背中から突き刺した。
少女はイヴに対して何の反応も返さなかった。
代わりに「……これ、で、同じとこ、に……?」と呟いて。
鮮血の中心、大人を抱き締めるように事切れた。
なぜだか、イヴの身体の震えは止まらなかった。『実験』で注射を受けたとき以来だった。その感覚が何か分からなくて、イヴはその場にうずくまった。
そして「う、ぇ……」と、胃液をその場に吐き出した。
なぜだか今すぐ、お兄さんに会いたくなった。
■
「──じゃあ、イヴの望みは。誰かに愛されることなのかもしれないね」
「まだわからない……そっか。なら、わかった時に教えてね」
「全部が終わったら、花を見に行こうね。一面に咲くコスモス畑を」
◇
あれから。自らの望みについて、イヴはずっと考えていた。
イヴが欲しいもの。好きなもの。大切なもの。
真っ先に思い浮かぶのはお兄さんのことだった。イヴに宛がわれた檻の外から、毎日ごはんと甘い言葉をくれた。イヴに『実験』もしなかった。
──もう忘れてしまったけれど。先日、殺した大人と子供も、同じような関係性だったのだろうか。なんて考えると、嘔吐感が喉奥にせり上がってくる。
家族って、何なんだろうか。愛するって、どんな感情なんだろうか?
どれだけ考えたところで、イヴには分からなかった。
……でも、ずっと考えるうちに。イヴはそれが欲しくなってきた。
だから、イヴはその後も殺した。殺し続けた。
■
「──あなたは、私を殺したい?」
そうイヴは問いかける。全く同じ姿をした少女に。
「……先生を殺したのも、あなた?」と少女は無感情に聞いてくる。
そうだよ、と答えるのは簡単だった。多分、そのはずだから。
だけれど、イヴは言葉に詰まった。少女の泣く姿が思い浮かんで。
イヴが黙りこくっていると、「そう」と言って少女は笑った。何もかも諦めたような、終わりを予感させる『実験』の前に子供たちが見せるような。
そんな、作り物めいた笑みだった。
イヴは少女を殺した。少女は息絶える直前、誰かからの抱擁を求めるように虚空に手を伸ばして、「せん、せ……」と呟いた。
その感情にイヴはまた両手を震わせて、ナイフがカランと床に落ちた。
その時だった。右手首に嵌められているリングが割れた。裏側にナンバーの刻まれたそれが壊れたことで、イヴは自分が自由になったことを悟った。
それと同時に、研究所内にいる全員を殺したのだと何となく理解した。
「──全部が終わったら戻っておいで。外に出られる」
確か──そう、お兄さんは言っていた。
お兄さんから貰った大切なナイフを拾うこともせず、イヴは檻に戻った。
もう、今のイヴには必要のないものだった。
腐臭のする檻に戻ると、イヴはまた胃液が空になるまで吐いた。
それから、お兄さんのいる隣の部屋まで這うように向かった。
コンコン、とノックをして声をかける。
「……お兄さん。皆、殺したよ」
「なんだか、途中からはつらかったけど。できたよ」
返事はない。なおも、イヴは続けた。
「私の望みも、決まった。前にお兄さんが言ってた通りだった」
「……私は、お兄さんに愛されたい。『愛』が知りたい」
「ね。──コスモス畑、見に行こう。きっと今なら、外に出られるよ」
ドアノブを握って。きぃ、と鉄でできた重たい扉を押し開ける。
冷房の効いた部屋の奥からは、イヴの檻以上の腐臭が運ばれてきた。
「……お兄さん?」
もう一度呼びかける。返事はない。
イヴがどこを探しても、お兄さんの姿はなかった。
代わりに扉があった。ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていないようだった。
お兄さんがいるかもしれない、と思って開けたが、そこにもいなかった。
「わ──」
そこで初めて、イヴは空を見た。
青くどこまでも高く広がる、外の世界の天井。真っ白な空間に慣れていたイヴからすると新鮮だった。お兄さんにも同じ景色を見せてあげたいと思った。
「ね、お兄さん……外だよ。どこにいるの?」
もう一度、部屋の中に戻った。虱潰しに見回ったけれど、やっぱり誰も居ない。
不思議に思いながら部屋を歩く少女の足に、何かが当たった。
「…………?」
それは、半分に割れたリングだった。
リングを拾い上げる。そこにもう温かさは残っていない。
裏側にNo.が刻まれていない、大人たちが着けていたものだ。
近くには白衣も落ちていた。──ついでに、真っ赤に染まったその中身も。
「……っ、ぁ、あ……?」
それを認識した瞬間、 ズキン、と。耐えがたい頭痛がイヴを苛んだ。
床に頽れる。冷や汗が絶えず額から流れ落ちてくる。
『──分かるかい、イヴ。君が殺したんだ』
『でも気に病むことはないよ。……人というのはね、一度覚えられてしまえば、その人の記憶の中では永遠に生き続けられる生き物なんだ』
『だから忘れないで。──イヴの目的と、僕のことを』
言葉がフラッシュバックする。
その時、お兄さんはどんな顔をしていたっけ。
思い出せない。覚えているはずなのに。
お兄さんは生きているはずなのに。
忘れないで、と言われたのに。
──誰がお兄さんをこんな風にしたのか、イヴは知っていた。その手に残った感触だけが覚えていた。記憶していた。まだ生きていた。
思わず左手を振り上げて、イヴは自らの右手をナイフで刺そうとした。
けれど、ナイフは手元になかった。「あ、ぅ……ぁ」と幼子のような声を漏らして動揺し、お兄さんだった『それ』に縋りつく。
──せっかく、皆殺したのに。せっかく、望みが分かったのに。
お兄さんがいないなら、もう誰も『イヴ』を愛してくれない──?
イヴは泣きじゃくった。
ずっと、泣いた。泣き疲れて、眠ってしまうまで。
◇
──やがて、目を覚ました。目の前にはお兄さんがいた。
こちらの目を検めるように、顏をじっと覗き込んできている。
「……やっと目が合った。汗をかいているけど、悪夢でも見たのかい?」
「わ、たし……、あく、む?」
「……まだ意識が混濁しているみたいだね。よしよし」
そう言って、お兄さんは愛おしむように頭を優しく撫でてきた。
気持ちが落ち着くまでずっと、そうしてくれた。
「怖い夢だったなら、忘れてしまえばいい。全部背負う必要はないんだ。……君の代わりならいくらでもいる。だから、君が頑張らなくてもいいんだ」
お兄さんは、「辛い思いをさせたね」と背中をさすってくれる。
その優しい手つきに、涙がすっと溢れてくる。
「こわい……うん。こわ、かった……」
ずっと、悪夢を見ていた。誰かを殺す夢を。──あなたを殺した夢を。
「……うん」
「──ぎゅってして。もう、ずっと離さないで」
「うん。……ここではそうしよう。終わりの日まで。ずっと」
それは、何より幸せな終わりで。
──これまでで最も、幸せな夢だった。
■
File_No.01~No.24 - 〈通信途絶〉。
File_No.25 - 〈段階推移〉。
File_No.26~No.50 - 〈通信途絶〉。
備考 ── 対象に研究員を宛がうことにより感情の発現を確認。
File_No.24については感情の発現こそあれ対象の人形が起動せず──
君に捧ぐ白昼夢 - To : Daydream - 往雪 @Yuyk
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