第32話ㅤ君が勝てるわけない。


ㅤ洋菓子屋の周囲の家に火が燃え移り、ヘレネスの住民たちは慌てて屋外へ避難した。


ㅤ鼻につく火災臭が辺りに立ちこめる中──青年の発言で、オリビア達の間に緊迫した空気が流れている。


舗装ほそうすらされていない土続きの街路で、人々は戸惑うようにざわめき、燃えていく家屋を見つめていた。


ㅤ青年と相対して、立ち尽くしているオリビア達の事情など知る由もなく──口々に、町の外まで避難するべきか、と話し合っているようだった。


ㅤ赤髪の若者が発した言葉の意味を、瞬時に理解した者たちだけが、どうに答えるべきなのか──慎重しんちょうに、頭を回転させている。



ㅤ見た目は、この場で最年少のナナくらい若く見える彼から、全身が逆立つ程の強者のオーラを感じた。


ㅤ目の前にいる男が只者ではない事は、冒険者として経験の浅いオリビアでも見て取れる。


ㅤそれは、セドリックも同じようだった。


ㅤこちらの状況と目の前の敵の強さを天秤てんびんにかけ、どうに動くのが最善なのか、考えているように見える。



──彼はおそらく、……私達の敵だ。でも、どうして……。私達は狙われているんだろう。


ㅤ戸惑いを帯びた眼差しで、オリビアは青年に視線を向けていた。


ㅤ誰も返事を返さない事に苛立ったのか、青年は眉間にしわを寄せて声を上げる。



「あーのーさぁー!ㅤじっくり考えるのは勝手だけど、誰も返事しないとか有り得ないんだけど!ㅤ僕が優しく選択肢を与えてやってるのに、その声帯は何の為に付いてるんだよ。ただのお飾りなの?ㅤ……言葉が通じない、馬鹿なの?ㅤ」


「一つ、お聞きしたいのですが──」


ㅤオリビアが芯の通った声で問い掛ける。



「──貴方の目的が知りたいのです。貴方はヘレネスで、何がしたいのですか?」


「やっと話せると思ったら、質問に質問で返すなんて……。人間って学がなくて、ほんと可哀想な生き物だね。だけど、僕は優しいから。冥土めいどの土産に、教えてあげるよ」


ㅤ彼は悪態をつきながら──宙を


ㅤ背中から生えた赤黒い両翼で、青年は洋菓子屋の屋根に降り立つと、しゃがみ込んでオリビア達を見下ろしている。


ㅤ彼の翼はドラゴンのような、悪魔のような骨ばった見た目で、禍々まがまがしい威圧感を放っていた。



「僕は、アモン。馬鹿でも分かるように伝えるなら、君達を殺しに来たんだよ。意味分かる?」


ㅤ白い腕で頬杖ほおづえをつきながら、黒煙と炎に臆する様子も見せずに、アモンは言った。


ㅤその細い腕には、黒いいばら模様の刺青いれずみが、這うようにられている。



──この状況はまずい。……主に戦えるのは、私とセドリック。ナナの実力は、まだ未知数。


──後は魔物スライムのスーと、民間人が三人。いざとなれば、走る事は出来そうなドリスと、ボロボロのミャーリオ、気絶してる男が一人。


ㅤ……守る対象が多すぎる。



「……オリビアさん、おそらく彼は魔族です」

ㅤアモンから目を離さずに、セドリックが小声で言った。


ㅤ『魔族』とは──魔物よりも知性があり、意思の疎通が取れる種族の事である。個体差はあるが、魔法を扱えるのだとか。


──彼が、魔族……。


ㅤオリビア自身、魔族を見るのは初めてであったが、セドリックはそうではないようだ。


ㅤ青年を見つめる彼の顔つきは険しく、恐怖は浮かばずとも、良い印象はないように見える。


ㅤそんなセドリックは、更に言葉を続けた。



「……どうにかして、退却しましょう。魔族と戦って生き残る者は、数少ない。まず民間人を、避難させる事を最優先に──」


「僕の質問にも答えずに、ごちゃごちゃとッ……聞こえないんだよッ!!」


ㅤ苛立ったアモンは両手を前に、交差するように突き出すと、洋菓子屋から立ち上った炎が蛇のようにうねり、オリビア達に迫る!



「危ないッ……!!」


ㅤオリビアは咄嗟とっさにミャーリオの脇に手を回し、迫り来る炎から逃れるために地面を踏み込み、瞬発的に回避!


ㅤ非常事態に気付いたヘレネスの人々も、青年の炎魔法に恐れを抱き、悲鳴をあげながら四方八方に逃げ始めた。


ㅤ突然仕掛けられた攻撃にオリビアは脈拍が急上昇し、炎の熱波も相まって体がすごく暑く感じる。



ㅤセドリック達とオリビア達は、炎の壁で分断され、お互いの姿が見えなくなった。



「……オリビアさんッ!!」


「リヴィッ!!」


ㅤ炎壁の向こう側から、焦ったセドリックの声とナナの声がする。


ㅤその声に反応して、アモンが口角を吊り上げて笑う。



「オリビアッ……!ㅤ君がオリビアッ!?」


「え……はい……」


──思わず、魔族相手に反応してしまったが……何故私の事を知っているんだろう。


ㅤそんなオリビアの疑問は置き去りで、アモンは嬉しそうに笑っている。


「──君を探す手間が省けたよ。数々の魔物を葬り去ってきた、冒険者オリビア。……なんだか、楽しい時間を過ごせそうだなァ!!」


ㅤだんだんと陽が暮れてきた黄昏時に、赤い炎が彼らを照らしている。


ㅤ玩具を見つけた子供のような、アモンの好戦的な眼差しが、オリビアを捉えて離さなかった。



▼▼▼



ㅤ恐怖から逃げ惑う、ヘレネスの住民たち。悲鳴を上げ、泣き叫ぶ子供の声。


ㅤ次から次へと燃え広がる、蛇のような炎の波と、楽しそうに笑いながら空を滑空する、魔族アモンの姿がある。


ㅤオリビアは満身創痍まんしんそういのミャーリオの腕を引き、町の境界とは逆方向へ走っていた。


ㅤセドリック達と分断されたオリビアとミャーリオに、アモンの炎魔法が迫り、一時撤退を余儀なくされたからであった。


──どうにかして、皆を避難させる時間を稼がないとッ……!


ㅤ町の外を目指す人々の波に逆らい、街路を駆け抜ける二人を、空を飛びながら追い掛けるアモンは、手をかざして炎をうねらせる。



「ほらほらッ!ㅤ早く僕を止めないと、町が全部燃えてしまうよ?」


「……はッ……!」


ㅤ息が切れて、足がもつれそうなミャーリオ。彼が逃げ続けられなくなるのも、時間の問題だ。


──ミャーリオさんもタイミングを見て、逃がしてあげないと……。


ㅤ思考を巡らせたオリビアは、近くの二階建ての家の中にミャーリオを引き連れ、飛び込んだ!


ㅤ扉が開いたままの家の中は無人で、住人はすでに避難した後のようだった。

ㅤ床に倒れ込んだ二人は、乱れた呼吸を必死に整えている。


ㅤ外の様子をうかがうオリビアに、激しく肩を上下しているミャーリオが、途切れ途切れに話し掛けた。



「あのさッ……!ㅤ俺は君みたいに、鍛えまくってる脳筋じゃないんだからッ……もう、……走れないから……ッ!!」


「すみませんッ……もっと早く、貴方を逃がしてあげたら良かったですッ……」


ㅤ薄暗くなってきた部屋の中。慌ただしく避難したような生活感のある室内を、屋外に広がる炎の明かりが眩しく照らしている。


ㅤ二人は、リビングの奥にある台所へ移動して、しゃがみ込んで身を潜めた。


ㅤ目の前の状況に必死すぎて、手を離す事を忘れてしまったオリビアが、控えめに謝罪すると、彼は呆れたように溜息をつく。


「……はぁッ……もう、どうすんの本当にッ……無理でしょッ……あんなのと戦うなんてッ……」


「……私が時間を稼ぎます。だから、ミャーリオさんは町の境界まで避難して下さい」


「何言ってんのッ……相手は魔法を使うのにッ……物理攻撃しか出来ない人間がッ……勝てるわけ──」


「それでもッ……貴方の事が助けられるなら、私はいくらでも戦えますよ」


ㅤその言葉に全く理解が出来ないような顔をして、ミャーリオはオリビアの横顔を見た。


ㅤ剣の柄を握り、臨戦態勢のオリビアの覚悟ある様子を感じ取った彼は、ただただ押し黙る。


ㅤそんな静寂を破るように──


ㅤ軽い靴音が家の玄関付近から聞こえてきて、楽しげな青年の笑い声が響き渡る。



「鬼ごっこの次は、隠れんぼ?ㅤ勿論、見つかった人は……殺しちゃって良いんだよねェ?」

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