第29話ㅤこれだから、嫌なんだ。


《※ミャーリオ視点》


ㅤミャーリオがまぶたを開くと、まず視界に入ったのは緑の花柄の壁紙。


ㅤテーブルに突っ伏していた体勢から上体を起こし、辺りを見回してみると──そこは、住み慣れた祖母の家だった。


ㅤ未だに陽が沈んでおらず、窓から差した光がリビングを明るく照らしている。



ㅤ……夢見が悪かったせいだろうか。


ㅤ今までにないくらい心臓がバクバクと動いていて、ミャーリオは動揺していた。


ㅤ冷静に深呼吸をして、息を整えていく。



──落ち着こう……。夢を見たのは、いつも会わない冒険者なんかと会ったせいだ。


──それに昼寝の前に、ドリスさんに言われた事が影響したんだろう。夢なんて所詮しょせん、脳が記憶の整理をする為に見てしまうだけ。……特に意味なんて、ないんだから。



ㅤ徐々に平静へいせいを取り戻したミャーリオは、力の抜けたいつもの顔に戻り、大きな欠伸あくびをした。


──大丈夫、何も変わらない。俺の毎日は、ゆっくりと。……穏やかに回っていくんだ。



ㅤそんな事を考えていると、友達ミャーリオが起き出した事に気付いたスーが、嬉しそうに跳ねながら近付いてくる。


ㅤ足元に寄ってきた丸い頭を、軽く叩くように撫でていると、家の中にベルの音が響く──これは、来客の合図だ。



「……あの人達、もう戻ってきたのかな」


ㅤゆったりとした足取りで階段を降りて行き、玄関へ向かう。後ろからスーがついてきているのを横目で見ながら、扉を開けると──


──ガッ!!


ㅤ 閉じる事が出来ないように、たくましい男の足が差し込まれた。



「──やぁ、ミャーリオ君」


「……グレイソンさん」


ㅤ扉の向こうにいたのは冒険者オリビアではなく、屈強な大柄の男を従えた、身なりと体格が良い男──グレイソンだった。


ㅤ彼は白シャツに濃紺のジャケットを着ている、30代の商会経営者である。


ㅤ彼は何度も、ミャーリオに手紙を送ってきていたのだった。『研究を利用して是非、一緒にもうけてみないか?』と。



「なかなか手紙が返って来ないから、わざわざ訪ねてきたよ。返事を聞かせてもらえるかな?」


「……こっちで話しましょう。他に来客の予定があるんで」


ㅤそう言ってミャーリオは表情を曇らせ、玄関の壁に掛けてあった、金色の鍵を掴んだ。


ㅤ玄関を出て向かったのは、祖母の洋菓子屋。扉の鍵を開け、グレイソン達を招く。



「こっちなら、人は来ませんから。どうぞ」


「……そうか、それは有難いね」


ㅤそう言ってグレイソンは、銀色の長髪をなびかせて店の中に入って行く。


ㅤ店内は、自宅と同じように緑の花柄の壁紙が貼られている。祖母の好みで作られた、可愛らしい造りだった。


ㅤ中身のないガラスケース、ほこりの被った木製のカウンターや、壁に飾られた針の止まった振り子時計。


──全てが懐かしい。ㅤ


ㅤミャーリオが最後にこの店へ入ったのは、祖母が体調を崩し始めた頃に、代わりに店番をした時だった。



「じゃあ、ビジネスの話をしようか。どうだい?ㅤ前向きに考えてくれたかな?」


「……いや、あの……」


ㅤにっこりと、笑顔を貼り付けたように微笑むグレイソンに、ミャーリオは言葉をにごした。


ㅤ彼の商会は流通量や取引も多く、比較的名の知れた『グレート商会』である。グレイソンの提案にうなづけば、多額の報酬金が約束されているのだが──



「何を迷う事があるんだ!ㅤ君が協力してくれたら、とんでもない発明が出来るかもしれないのに!ㅤ私は、君の作った今までの発明を、大いに評価しているんだよ」


ㅤミャーリオが発明した魔道具は、ヘレネスの町に張り巡らせた魔物避けと、スライムの水粘液を固めた銀の腕輪。


ㅤ彼がスライムについて研究をしている事を知ったグレイソンは、目新しい話に食い付き、そこから試験的に魔道具を作ってくれ。と、提案してきたのだった。



「有難いお話ですが……水粘液を利用して人体実験をするのは、リスクが──」


「それは気にしないでくれ。使う相手は、奴隷どれいだけだから。……奴隷をどう扱おうが、買い手の自由だろう?」


「……」


ㅤミャーリオの言葉を遮るように、グレイソンは流暢りゅうちょうに話す。さすが、大手の商会を経営しているだけあって、相手の断る隙を与えず、よく喋る。



「それに魔物スライムだって、むべき存在じゃないか。この世界に居ない方が良い物を、効率良く消していけるし、商品を作れば経済が回る。さすがに、君はもう子供じゃないんだから、意味は分かるだろう?」


「……はい」


──魔物スライムは、忌むべき物。


ㅤグレイソンの放った発言が、脳にこびり付く。


──そうだ。……それが、この国での共通認識なんだ。


──実際、俺も魔物のせいで両親を亡くしてる。故郷も燃えてしまった。それは、俺だけじゃない。あちこちの村や町で、今も起きている事だ。


──魔物は、この世に居ない方が良い。そんな理屈は、頭ではちゃんと分かってる。だけど、スーみたいな……優しい魔物だっているのに。



『──私も、魔物と戦いたくない』


ㅤ葛藤の中で、ふと彼女オリビアの事を思い出した。変わり者の言葉が、真っ黒に渦巻うずまく霧を晴らすように。



『──人間側の理由エゴで、何もしていない魔物かれらを傷付けるなんて……私はそんな事、出来ません』


ㅤオリビアの力強い言葉が、ミャーリオの迷いを打ち消した。



「せっかくですが、……お断りさせて頂きます。自分は誰かを傷付ける為に、研究をしているわけじゃないんで」


ㅤ丁寧に頭を下げて、グレイソンに断りを入れたミャーリオに、彼は「……残念だよ」と呟く。



「……ッ!!」


ㅤミャーリオの側頭部に、突如とつじょグレイソンの強烈な蹴りが入る。


ㅤ体格が良い彼の蹴りは、細身のミャーリオを吹き飛ばし、店内の壁に激突させた。


「……ぐッ……」


ㅤ蹴られた衝撃で、眼鏡が床の上をすべる。


ㅤ視界が回り、起き上がれないミャーリオの髪を鷲掴わしづかみにして、グレイソンは力任せに持ち上げた。


ㅤその顔からは、もう笑顔は消えている。



「私の誘いを断るなんて、君は頭が悪いんだね。大人は社会の中で、上手く立ち回らないと……こうやって大怪我をしてしまうんだよ」


「……ッ……」


ㅤ髪を思い切り引っ張られ、ミャーリオは痛みで顔をゆがめた。そんな友達を助ける為に、小さな影がグレイソンの背中に迫る!


「おわッ……!?」


ㅤボールを投げ付けられたように、グレイソンは前のめりに体勢を崩した。ミャーリオを掴んでいた手が思わずゆるみ、床に倒れ込む。


「……スーッ……」


ㅤ彼の背中に突っ込んできたのは、魔物のスーだった。友達ミャーリオの事を心配して、こっそり後をついてきていたらしい。



「……おめェ、おでの雇い主に舐めた真似してくれたな゛?」


「!?」


ㅤグレイソンに雇われていた大柄の男は、スキンヘッドで筋肉隆々な体。黒色の粗末そまつな布切れのベストの隙間から、割れている腹筋が見える。


なまりの強い話し方で、雇い主にぶつかったスーの頭を鷲掴みにした。


「おめェな゛んか、握り潰してやる゛ッ!」


ㅤ片手で林檎りんごを割るように、男は右手に力を込めた。


ㅤ「……んぅッ!?」


ㅤしかし、スーは体を変化させ、男の指の隙間からゼリー状の粘液となって、抜け出していく。そのまま、真っ直ぐ床に落ちると──



「……ゴフッ!!」


ㅤ弾力のある半固体の体に戻り、弾んだ勢いで男のあごを強打した。


ㅤ不意打ちされた男は脳が揺れ、そのまま後ろ向きに倒れていく。


ㅤ普段見ないスーの姿に、ミャーリオは体を起こしながら目を丸くしていた。



「……スー、君は……」


「どいつもこいつも、ふざけやがって……!」


ㅤグレイソンが怒りで目を血走らせて、ゆらりと立ち上がる。彼はふところに隠していた短剣を取り出し、スーに狙いを定めて、思い切り振り上げた!



「ああ、……もうッ……」


ㅤ彼を見て、嫌気がさしたようにミャーリオは言葉をこぼす。



「……なッ!?」


ㅤ振り下ろされた短剣は、青く透き通ったに突き刺さり、グレイソンは驚きで目を見開いた。


ㅤ立ち上がったミャーリオは、気だるい表情でヒビの入った眼鏡を拾い、彼に視線を送る。


ㅤ腕に付いている銀の腕輪から、半固体の友達によく似た形状の、伸びる盾が現れて──短剣の行く手をはばんでいた。



「──これだから、人間は嫌なんだ」

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