第20話ㅤ諦めたら屍と同じ


《※オリビア視点》


「……ッ……」


ㅤアキは静かに涙を流している。眉間みけんしわを寄せ、必死に声を押し殺しているように見えた。


ㅤそんな彼に、オリビアは途切れ途切れに優しく告げる。


「あの魔物はッ……アキさんの事を、狙っています。……私が、何とかしますからッ……。一緒に……ここから生きて、帰りましょうッ……!」


「無茶ですよッ……!ㅤもう、ボロボロじゃないですか……」


ㅤ確かにアキの言う通り、オリビアは全身傷だらけでボロボロだった。蜘蛛女アラクネの毒針を受け、体がしびれて動きづらい。


ㅤ頭も割れそうな程痛んでいる上に、激しい戦闘を長く続けたせいで体中疲れ切っていた。


ㅤそれでもオリビアは無理矢理立ち上がり、アキの体を拘束していた蜘蛛の糸を剣で断ち切る。

解放されたアキが、オリビアの目の前に立った。


ㅤアキの薄茶色の瞳が、前よりも透き通って見える。虚ろで生気の無かった頃のかげりは無くなり、彼は真っ直ぐこちらを見つめていた。


──ドォォオンッ!!


「……ゴッほ……ッ!!」


「……ッ!」


ㅤ二人が話す後ろから、衝撃音と男の苦しそうな声が響く。振り返ると祭壇前の開けた場所で、ライゼルが血を吐き倒れていた。


ㅤうつ伏せに横たわる彼の肩には、蜘蛛女のたくましい外骨格が突き刺さっている。


「嫌ッ……嫌よッ!ㅤどうして、彼を奪おうとするのッ……?ㅤアキは私だけの物でしょおおおおッ……!?」


ㅤライゼルを黒い脚で貫いたまま、蜘蛛女はオリビア達を見開いた瞳でらえ、金切り声で叫んでいた。


ㅤゆらりと首を傾げている、異形の魔物の姿。鬼気迫る彼女の、強い殺気を感じる。


ㅤオリビアは痛みを堪え、アキを背にかばいながら剣を構え直す。蜘蛛女の気迫に、彼もゾッとした顔をしていた。


「オリビアさんッ……あれの狙いは、自分なんですよね……?ㅤやっぱり……自分の事は、もういいですからッ……早く、逃げてください」


「……ッ……嫌です」


ㅤ蜘蛛女から目をらさずに、オリビアは闘志の灯る声でアキに言葉を返す。


「目の前にある命をッ……!ㅤアキさんの事を、諦めたくないッ!!」


「……ッ!」


ㅤアキの瞳がまた揺らいでいる。しかし、彼はもううつむいてなどいない。真っ直ぐオリビアの背中を見ていた。

ㅤ覚悟を決めたような真剣な表情をして、アキはオリビアの肩に両手で触れた。緑色の温かな光が、オリビアの全身を包んでいく。


ㅤ驚いたオリビアは、少しだけ後ろを振り返った。



「アキさんッ……!」


「すみませんッ……!ㅤ今朝村で使ったばかりなので、もう魔力があまり残ってなくてッ……!ㅤあまり助けにならないかもしれませんがッ……!!」


ㅤアキが苦しそうな表情で、オリビアに光を放っていく。例え、自分の魔力の全てが枯れ果てても構わない、と。


ㅤその身から魔力をしぼり出し、オリビアに注いでいく。


「嫌だ嫌だ嫌だッ!ㅤ私から彼を奪わないでぇええッ!!ㅤ彼の愛は私だけの物なのおおッ!!」


ㅤオリビア達の様子を見た蜘蛛女が、鎌を振り上げながら二人に迫る。金色の長髪を振り乱して、愛を語る魔物の姿はおぞましく、美しさの欠けらも無い。


ㅤ白い大鎌がオリビア達の真上から、勢い良く振り下ろされた。しかし──


「……ッ!?」


ㅤその白鎌は、オリビアの眼前で止まる。交差した双剣で、魔物の攻撃を受け止めたからだ。


ㅤ手から光が消えたアキは青白い顔になり、その場に座り込んでしまったが、依然として凛々しくオリビアは立っている。


ㅤ強い眼差しを向けて、蜘蛛女の瞳を見つめ返していた。


ㅤアキが与えた光によって、オリビアの全身は緑色のオーラをまとい、燃えるようにまぶしく発光している。


──体が、……軽い。


ㅤ素早く剣で押し返し、蜘蛛女の鎌を上に弾く。力で押し負けた彼女は、驚きで紫色の瞳を更に見開いた。


──速く。もっと、……速く。


ㅤオリビアが蜘蛛女に斬りかかる。双剣を舞のように振り回し、風のように速く。鎌の柄で必死に防御する彼女の顔には、初めて焦りが浮かんでいた。


ㅤ体の苦しさは消えている。体は何故か光っているが、……不思議と温かい。どこまでも速く、体が動ける気がした。


ㅤ後退しながら回避する蜘蛛女に、オリビアは剣を振るう。焦りから闇雲に放つ魔物の毒針も、低姿勢で長椅子の間を駆け抜けて、側廊の壁に置き去りにしていく。


ㅤオリビアは入口の木製の扉の前に辿り着くと、両手を伸ばし剣を後ろに従えたまま、正面の中央通路を真っ直ぐ走り、蜘蛛女に迫る。


「来ないでぇえええ!!」

ㅤ蜘蛛女がオリビアに手を向け、飛来針を再度放つが、涼しい顔をして最小限の動きだけで避けていく。


──見える……飛んでくる針が。速さは変わらないはずなのに、何故かゆっくりに見える。



▼▼▼



ㅤ走りながら、オリビアの脳内にはアテナの姿が浮かんだ。家族を失い、まだ立ち直れていなかった子供の頃の記憶が思い出される。


「ほら、立て。もう一回だ」


「ししょーには勝てないですよ……。こんなの何回やったって、ムダです……」


ㅤ森の中で修行中に地面に転がされ、土まみれのオリビアが弱音を吐いた時に、アテナは妥協を許さず言った。


「立て。終わり際を、勝手に決めるんじゃねぇ。諦めたら、そこで成長が止まるんだ。その辺に転がってるしかばねと同じさ。お前は屍なのか?」


「いえ、違います……」


「オリビア。何事も、最後まで諦めるな。一筋の希望でも、必ず『勝機しょうき』はある」


ㅤ力強いアテナの声が頭に残り、響いていた。



▼▼▼



ㅤ真っ赤に染め上げられた教会の中を、緑光をまとったオリビアが駆け抜けていく。


ㅤ蜘蛛女の目の前まで迫り、双剣を握る手に力が入る。焦燥しょうそうに駆られた魔物は大鎌を横振りして、オリビアの接近をはばもうとした。


ㅤ彼女の鎌を、素早く飛び上がり回避。真上から剣を振り下ろし、攻撃を与えようとした刹那。


ㅤ蜘蛛女の逆襲ぎゃくしゅう咆哮ほうこうが響き渡る。追い詰められた事で彼女の口から放たれた超音波攻撃で、オリビアは真上に高く吹き飛ばされた。


ㅤコウモリ天井まで届くほど、飛ばされたオリビアは音波攻撃を受け、両耳からは血が流れ出している。


──諦めない。


ㅤ再度強く、剣を握り直す。


──もっと、速く。……剣を振り下ろすんだ!


ㅤオリビアは天井を強く蹴り、一気に真下まで降下する!



「──らいていッ!!!」


ㅤ雷が落ちた様な衝撃音と共に、振り下ろした剣で鎌ごと蜘蛛女を断ち切る。真っ二つに折れた柄を持ったまま、左肩から斜めに切断された彼女は受け止めきれない顔をしていた。


雷霆らいていは、真上から斬撃を与える技である。その攻撃は、神の怒槌いかづちの如く。


ㅤ雷が落ちるよりも速く。衝撃音が耳に届く頃には、相手はもう攻撃を受けた後だ。相手が理解出来ないうちに倒す、アテナの必殺技であった。



ㅤ赤い結界は次第に晴れて、魔物は斬られた部分から黒い粒子となって崩れていく。


ㅤ気付けば、ステンドグラスから夜明けの陽が差し込み、荒れた教会の床に七色の光が散華さんげされている。


ㅤ身にまとっていた緑光も消え、戦いの反動からかその場で倒れたオリビアは、そのまま気絶してしまった。


▼▼▼


ㅤオリビアが目覚めたのは、それから三日経った時であった。目を開けると木造の天井が広がり、ベッドに仰向けに寝かされていたようだった。


「良かった!ㅤ気が付いたのね!」


ㅤフワッとした茶髪の女の子が、オリビアの顔をのぞいている。エミリーがホッとした顔をして、言葉を続けた。


「気付いたら、私もサムも捕まって身動き取れないし、皆は血だらけで倒れてるし……。心配したんだからッ!」


「ここはどこ?ㅤ他の人はッ……?」


「ここはデリカリアよ。あの街には聖魔法師がいなくて……。ライゼルはそこにいるわ。かなり出血していたけど、一命は取り留めたみたい」


ㅤエミリーが指差す方向に、オリビアと同じようにベッドに寝かされているライゼルの姿があった。広い部屋だったようで、ベッドが他にもいくつか置かれているのが見える。


「もう一人はそこにいるんだけど……。彼も、まだ目を覚まさないのよ」


ㅤ部屋の奥に置いてあるベッドを、エミリーが指差す。そこにはベッドに寝かされている、青白い顔をしたアキがいた。




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