第18話ㅤ怒りの剣

ㅤオリビアが立ち尽くした刹那、頭上から再度飛来針が襲いかかる。間一髪回避したものの、見た光景を受け止めきれずに、剣を持つ手が動揺で震えていた。


──どうしてッ……。違う……!

──お母さんが……此処に、いる訳ない……。


ㅤ家族を失ったのは、10歳の時。13年も前の話だ。死んでいるのか、生きているのか。安否あんぴの確認さえ出来ていない。


──さっきまで、此処には誰も居なかったはずなのに……。


ㅤ素早く剣を構え直しながら、横目でもう一度母が横たわる場所に視線を向ける。──だが、そこには誰も居なかった。


「今のはッ……。……くッ!!」


ㅤ状況の整理も思う様に進まない中、オリビアの眼前に大鎌を持った蜘蛛女アラクネが迫る。振り下ろされる鋭い刃先が、回避するオリビアの髪をかすめていく。


ㅤ『──長い武器えものを使う相手なら、相手の懐に入っちまえばいいのさ。』


ㅤ記憶の中の、アテナが言う。オリビアは低姿勢になり、鎌を持つ彼女の懐に入り込んで剣を向ける。


ㅤしかし、寸前まで蜘蛛女だったその者は、長身の男に姿を変えた。オリーブ色の短髪に、優しそうな顔立ち。ベージュ色のトップスに、焦げ茶色のズボン。


ㅤ白い大鎌を持った男が、オリビアを優しい眼差しで見下ろしている。


「お、父さんッ……」


ㅤ父の姿をえた瞬間、オリビアの剣に迷いが生じた。男の姿が揺らぎ、蜘蛛女アラクネが姿を現す。彼女は、オリビアの一瞬の戸惑いを見逃さなかった。


「……んぐッ!!」


ㅤ真っ黒な硬い脚がオリビアを下から蹴り上げ、側廊の壁に勢い良く吹き飛んだ。


「……かッは!!」


ㅤ口から血を吐く程の衝撃。背中に走る痛み。パラパラ……と崩れた壁の残骸ざんがいと共に、力無くその場にオリビアは倒れ込む。


──見間違えなんかじゃない。……さっき見たのはッ……間違いなくお父さんだった。


ㅤオリビアは床に手と膝をつき、何とか起き上がろうと力を込める。すると前方に、小さな子供が体を丸めて倒れている事に気付いた。


ㅤ薄茶色の襟足えりあしがカールしたボブヘア。淡いピンク色の花柄で、長袖のワンピース。二歳位の少女が血溜まりの中、床に横たわっている。


ㅤ目の前にあるものが衝撃的で、時が止まったような気がした。胸を刺す様な、深い悲しみが込み上げてくる。


──息苦しい……耐えられないッ……。


──あれはッ……私の、妹だッ……。


ㅤ遠い日の、家族との思い出がよみがえる。幼い妹の、柔らかい小さな手。血に染まったあの花柄のワンピースは、年の離れた妹の為にオリビアが選んだ物だった。


「ナターシャッ……」


ㅤ剣を握る手に力が入り、打ち震える。顔をうつむかせたまま、立ち上がれないオリビアに蜘蛛女は鈴を転がす声色で話し掛けた。


「……辛い?ㅤ苦しい?ㅤこういうのをせたら、皆いつも発狂するのだけれど……。おかしいわ……。まだ魅足みたりないかしら?」


ㅤ蜘蛛女が魅せる幻影げんえいは、捕食対象を誘い込む為や、恐怖や悲しみをあおる為に使う、疑似餌ぎじえの様なものだ。


ㅤ彼女の場合は、主に精神攻撃に使用している。大切な人の幻を魅せ、オリビア達の心を壊すには充分だった。


ㅤオリビアのうずくまる姿を見て、蜘蛛女は上機嫌に微笑んでいる。


「次はどんな物がてみたい?ㅤ両親がバラバラになる所……?ㅤ妹が魔物に食べられている所……?ㅤ何でも魅せてあげるわ。貴方を、もっと壊したいのッ……」


「……なッ…い…」


ㅤオリビアの消え入りそうな、小さな声に彼女は反応して首を傾げた。興味本位で、蜘蛛女が身体を近付けた瞬間。オリビアは下から彼女の肩を、剣で突き刺した。


「あああッ……!!ㅤ酷いッ……痛いわ……」


「……絶対に許さない!!」


ㅤオリビアの瞳に闘志が灯る。怒りが入り混じり、感情はもうぐちゃぐちゃになった。


──人の心を傷付けて、もてあそぶなんて……。絶対に許せない……!!


ㅤ悲しそうな声を上げた蜘蛛女が瞬時に後退し、剣が抜けた所から黒々とした血が流れる。それを見て彼女は、目を見開いていた。


「酷いッ……酷いわッ……。私は、貴方を救おうとしているのに。野蛮やばんな人ッ……。神の裁きを下さなくては……」


ㅤそう言って、無表情に変わった蜘蛛女は大鎌をゆらりと構える。両者が睨み合う戦場で、再度戦いの火蓋ひぶたが切られようとしていた。



▼▼▼



《※ライゼル視点》



『ライゼル……!』


ㅤ意識の遠くの方で、俺を呼ぶニーナの声がした。懐かしい、彼女の明るい声。聞くのは何年振りだろうか。


『ライゼルッ……痛いッ……助けて……』


ㅤだんだんと彼女の声が、悲痛な声に変わっていく。姿を見る事は叶わない。視界の先には真っ黒な闇が広がっている。


『ライゼル、お願いッ……皆を、助けて……』


ㅤ俺のすぐ側で、ニーナの声がはっきりと聞こえた気がした。




ㅤ目を開けると、ぼやけた視界に広がる赤い景色。気付けば、俺は建物の中にいる。エミリーやサムと外にいたはずなのに、何で……。


「……!」


ㅤ疑問はすぐに解決された。全く身動きが取れなかったからだ。上げられた手の方に目を向けると、糸の様な物で拘束されていて、手足の全てが動かない事に気付いた。


ㅤ辺りには、蜘蛛の巣が張り巡らされている。『蜘蛛』という響きだけで気分がげんなりしてくるが、この糸のせいか……?と、すぐさま思考を巡らせた。


ㅤ近くにエミリーとサムも、俺と同じ様に捕まっているのが見える。目を閉じたまま、まだ目が覚めていない様だ。


ㅤぼやけた意識が、次第に明瞭めいりょうになっていく。何だか見える景色の位置が、いつもよりも高かった。


──俺は高さがある場所に捕まっているのか……。気に入らねぇ。どいつの仕業だ……!?

ㅤ元凶を探して周囲を見下ろしていると、椅子が立ち並ぶ教会の様な場所で、気に入らないが魔物と対峙たいじしているのを見つけた。

ㅤあの女の前には、たくさんの黒い脚が生えている、気持ち悪い姿をした金髪の女がいる。


──あれは何だ?ㅤ


ㅤ考えていると、剣を構えていたあの女が突然叫び出した。


「人をもてあそんで!ㅤ幻を見せて、楽しんで……!!ㅤ酷いのはどっちだッ!ㅤ蜘蛛女アラクネッ……貴方の事は、絶対に許さないッ!!」


──不本意だが、あの女の言葉で全てを理解した。あの魔物が全ての元凶であり、ニーナを見せてきたのはアイツの仕業か。


──気に入らねぇッ……絶対許さねぇッ!!


子供ガキの時に魔物に食い殺され、亡くなった幼馴染を幻に使われた事で、俺は一気に怒りの沸点に到達した。


──絶対に、殺すッ……!!


ㅤ怒りに任せて、糸が巻きついた右腕を無理矢理動かす。ギチギチと糸がきしむ音がしているが、皮膚に食い込んで血が吹き出る。


──血が出ていようが、肉が見えようが関係ねぇ!!ㅤ俺はアイツを、絶対許さない……!!



▼▼▼



《※オリビア視点》


ㅤオリビアと蜘蛛女は、祭壇前で緊迫した攻防を繰り広げていた。鎌を振り下ろす、蜘蛛女。回避して剣を振り返す、オリビア。


ㅤ繰り返し激しく散る火花が、戦いの壮絶さを物語っている。互いに譲らない猛攻に、息付く暇もない。


「……はッ……!!」


「……」


ㅤ戦いは平行線だった。しかし、息が上がっているオリビアに対して、蜘蛛女は呼吸も表情も乱れていない。持久戦に持ち込まれれば、オリビアにとって不利な状況だ。


ㅤそんな戦いの最中、教会内に怒りの混じった男の咆哮ほうこうが響き渡る。


ㅤその声に驚いたオリビアが状況を確認する間もなく、赤髪の男が上から落ちてきた。血だらけの腕で蜘蛛女に剣を振るう……!



「お前は、俺が殺してやるッ……!!」

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