第16話ㅤ歪んだ愛の印

ㅤシスターが持っているランプが、オレンジ色の温かな光を放っていた。


ㅤそのランプには半永久的に光り続ける、煌石こうせきが埋め込まれている。


ㅤ火を使わない為に希少性が高く、一般家庭にはあまり普及していない代物だが、アテナが持っていたので見た事があった。


ㅤシスターはランプをアキの傍に置くと、放心状態の彼の頬に触れて、優しく問い掛ける。


「さぁ、聞かせて……?ㅤ貴方の苦しみを。しゅはきっと貴方を導いてくださるわ」


ㅤ柔らかな声に、包み込まれるような感覚におちいった。オリビアは長椅子の近くに立ったまま、二人の様子を見守る事しか出来ない。


ㅤシスターが更に、言葉を発しないアキに対して言葉を連ねる。


「貴方の感じているもの……苦しみを取り除く、お手伝いがしたいの。貴方からは、なんだか後悔のがする。……可哀想に。今までたくさん耐えてきたのね」


ㅤ「自分は……弱くて……ずるい……」


ㅤアキは彼女の言葉に応えるように、導かれるように言葉をつむいでいく。


ㅤ薄茶色の瞳はうつろによどんだまま、彼は途切れ途切れに喋り始めた。


「──突然だった、家が襲われたのは……。魔族に襲われて、一緒にいたリアムが、自分をかばってくれた。……逃がしてくれたんだ。……そこには、もう戻れなかった。戻る勇気がなくて、自分は逃げた……。誰もいない、父も母も、もういない。兄も、リアムも……。自分だけが……価値もなく、生きているッ……」


ㅤオリビアは彼の言葉から、抱える闇の一片に触れた気がした。語った話が事実だったとするなら、アキさんは魔族に襲われ、故郷から逃げ出した天涯てんがい孤独の身。


ㅤ旅立ちの理由を彼に聞いた時に「思い出したくないから、話したくない」と言っていたのは、家族や友人を失くしたせいだったのか……。


ㅤ出会った時にも感じた、生気のなさや虚ろな瞳。彼の悲観的な思考にも、全てに説明がつく。


ㅤ家族を失くし、絶望にちた者が森を一人で彷徨う心細さ。世界に自分だけ取り残された様な、孤独感。


ㅤいっそ、消えてしまいたい。何で自分だけが生き残ってしまったんだろう。と、考えてしまう、心の闇の深さ。


ㅤきっと彼も、辛く苦しい時間を過ごしたんだろう……。


ㅤかつての自分の姿に、アキを重ねて見たオリビアは胸が苦しくなっていく。込み上げてくる負の感情を感じた。


ㅤ……辛い。苦しい。悲しい。死にたい。


ㅤそんな絶望から私を救いあげてくれたのは、師匠だった。師匠がいてくれたから……私は今、前を向いて生きている。


ㅤだけど、彼は……?


ㅤ未だに苦しみの深淵しんえんにいる。そんな彼を、そのままにしていいの……?


ㅤ誰が彼に、手を差し伸べてくれるの……?


ㅤ自らの苦しみを吐露とろしたアキを見て、シスターは優しい微笑みを浮かべた。


「大丈夫、大丈夫よ。もう我慢しなくていいの。貴方が貴方を許さなくても。……神が。私が、貴方を許してあげるわ」


恍惚こうこつの表情を浮かべ、シスターはアキの頭を抱える様に抱き締めた。彼の頭を、愛おしそうに撫でている。


ㅤアキは微動だにせず、されるがままだ。

ㅤ光の灯らない瞳で、シスターの鈴の様な声色に呼応し、アキも言葉を発する。


「辛い?」「……辛い」


「死にたい?」「……死にたい」


「私は貴方を愛すわ」「貴方を……愛す」


「ずっと傍にいるわ」「ずっと……傍に」


ㅤ二人の間に流れる、異様な空気。オリビアは、本能的に右手で剣の柄を握った。何でだろう……すごく嫌な予感がする。


ㅤ目の前にいるのは人間なのに。ただの若い女性なのに。どうしてこんなに、悪寒がするのか。


ㅤオリビアの本能が、彼女アイツは危険だ。と、警鐘けいしょうを鳴らしている。


「あの……!ㅤ彼を、離してくれませんか?」


「どうして?ㅤ彼を苦しみから、解放してあげようとしているのに。どうして邪魔をするの?ㅤ私は、彼を愛しているのに……」


ㅤ柄を握ったまま放つ言葉にも、シスターはひるむ様子もなく悲しそうな表情をしただけだった。


ㅤアキを抱き締めたまま、手放す気はないらしい。その姿が更に、異様さに拍車をかける。


「愛しているって……。貴方は彼を知っているんですか?」


「彼の事?ㅤいえ、知らないわ」


「知らない?ㅤなのに、どうして……」


「愛に理由が必要なの?ㅤ私は彼の抱いている苦しみも、香りも好きなの。死を望んでいる者の、美味しそうな香りをね……?」


つややかに微笑んだ彼女は、オリビアの目の前でアキの首筋に噛み付いた。


ㅤ殺意を感じさせない、あまりにも自然で流れるような動きに、オリビアは咄嗟とっさに動く事が出来なかった。


「……あ゛ッ!」


ㅤ噛まれた事で正気に戻ったのか、彼は苦痛の声を上げる。


ㅤゆらりと顔を上げた彼女の口からは、鮮やかな赤い血が垂れていた。


ㅤランプの灯りが妖麗ようれいに、えつに浸っているシスター者を照らしている。


ㅤ両手で剣を引き抜き、彼女に剣先を向けた。



ㅤ衝撃的な光景に初動が遅れてしまった。遅れたのはコンマ数秒であったが、その数秒の迷いが戦場では命取りになる。


ㅤ下手に斬りかかれば、人質アキを盾代わりにするかもしれない。オリビアは剣を構えたまま、動く事が出来なかった。


「……くッ……」


ㅤアキは苦悶くもんの表情を浮かべながら、噛まれた部位を手で抑えている。


ㅤ流れ出した彼の血が、木製の床にしたたり落ちていた。


ㅤ教会内が一気に、緊迫した空気に変わっていく。目の前にいる彼女それは、華奢きゃしゃな体つきにも関わらず、アキの体を抱き締めたまま──


──通路の奥まで、瞬時に


ㅤカランカランッ……と無機質な音を立てて、長椅子に置かれたランプが床に転がる。静寂に包まれた空間に、響き渡る金属の音。それがオリビアに、更なる緊張感を与えた。


ㅤしかし、そんな物に目を向ける余裕はない。彼女シスターの体が、異形の姿へと変わっていくからだ。


ㅤ通路の奥でバキバキッ……と、身の毛もよだつ様な、生々しい間接音が鳴っている。


変貌へんぼうげるシスターの頭から、被っていた頭巾が静かに滑り落ちていく。


ㅤ隠されていた金色の綺麗な長髪は、彼女の美貌と相まって、本当に清らかな天使の様に見えた。


ㅤしかし、腹の下のスカート部分は力任せに破られ、その隙間から伸びる真っ黒な脚は、筋骨隆々きんこつりゅうりゅうで足先が鋭くとがっている。


ㅤ彼女の見た目にそぐわない、硬度の高そうな八本の外骨格が、禍々まがまがしいオーラを放っていた。



「貴方は……蜘蛛女アラクネですね」


「……あら!ㅤ私を知っているなんて光栄だわ」

蜘蛛女アラクネは頬を赤らめ、アキに執着するように抱き締めながら歓喜の声を上げた。

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