第15話ㅤ貴方だから来て欲しい


「弱いだなんて、そんなッ……!」


ㅤオリビアはアキの言葉に反応して、咄嗟とっさに大きな声を出してしまった。静かな夜の街に響いた自分の声にハッとして、思わず口をつぐむ。


ㅤ彼はオリビアから視線を外したまま、俯いてしまっているので横顔しか見えない。表情や感情表現が豊かな人ではない事は、少し話しただけでもう分かっていた。だけど──


──何でそんなに辛そうな顔をしているんだろう……。


ㅤ彼の抱えているものがどれほどの物なのかは分からない。だけど、ここまで人をむしばむものは一体何なのか……。


ㅤ『極度のお人好し』であるオリビアは、目の前にいる恩人の事を、もう放っておけなくなっていた。


──何か私が、力になれる事はないかな……。


ㅤ隣で黙り込んでしまった彼に、何て言葉をかけるべきなのか迷ってしまう。そんなオリビアに、今度はアキから言葉を発した。


「自分はッ……本当に、弱くて──」


「……え?」


「この剣だって……。まともに使えた事はありません。治癒魔法だって、……昔から魔力の制御が出来なくて……。一度使うと、魔力切れを起こしてしばらく使えなくなるんです……」


ㅤ剣の柄に触れながら、アキは言った。「自分は弱い」と何度も、苦しそうに。治癒魔法が頻繁に使えないという事は少し驚いたが、それと同時にオリビアは胸が熱くなる。


──そんなに貴重で、負荷のかかる力を……見ず知らずの私を助ける為に、この人は使ってくれたんだ……。


ㅤこの国は魔物があちこちに蔓延はびこっている。旅をしていれば、当然遭遇する確率も上がっていく。


ㅤ魔物と戦う術がないのに、更に魔法も使えなかったらそこに待つのは死だけ。それでも彼は、目の前にいた怪我で苦しむ人を優先したという事になる。


ㅤ感情が読み取りづらい人ではあるが、アキの優しさに気付いたオリビアは、余計に彼を仲間に引き入れたくなった。


ㅤ旅をするなら、こういう優しさを持っている人が良い。


「……弱くても、良いじゃないですか」


「……」


「最初から強い人はいませんよ。私も子供の頃はかなり師匠にしごかれました。それに未だに、一度も勝てた事はありません……」


ㅤ自分で言っているのに、苦笑いしてしまう。子供時代から焼き付いている、師匠との記憶を思い出しながら、オリビアは言葉を続けた。


「『諦めたら、それはしかばねと同じ』なんだと、師匠から言われた事があります。戦いの最中さなか、諦める事は絶対してはいけないと、そう教えられてきました」


ㅤアキは静かにオリビアを見つめていた。真っ直ぐ、透き通った瞳で。オリビアも彼から視線を逸らす事なく、見つめ返す。


「弱いというのは、悪い事ではありません。伸び代があるという事なんです。貴方に何があったのか、私には分かりません。だけど、これだけは……はっきり言えます」


「……」


「──アキさんは優しい人です。そんな貴方だから、私と一緒に来て欲しい」


「……ッ……」


ㅤ見つめていたアキの瞳の奥が、揺らいだ様に見えた。


──彼がどう思うかは、分からない。一緒に行きたいなんて、全く思ってないかもしれない。


ㅤだけど、もしもアキさんが何かに苦しんでいるのなら、私は救われた分、彼の力になりたい。


ㅤその気持ちに、一つも嘘はなかった。


「オリビアさん、自分……はッ……」


ㅤアキはオリビアに何かを言いかけたが、途中で言葉が詰まってしまった。……いや、違う。


ㅤ彼はオリビアのを見ている。驚きからなのか目を見開き、石のように固まってしまった。


「り、……リアムッ……」


ㅤ名前の様な言葉を呟いたアキを見て、オリビアは後ろを振り返る。しかし、そこには誰もいなかった。


ㅤ周りを見渡してみたが、人影すら見つからない。近くに煉瓦造りの小橋こばしがあり、夜行虫が発光して飛んでいるだけだ。


──彼に一体、何が見えたの……?


ㅤアキの方に視線を戻すと、彼は頭を抱えて俯いていて、ブツブツと何かを言っている。


「すまなかったッ……リアム……。弱いばかりに……本当にごめんなさいッ……」


ㅤただならぬ様子に、オリビアは慌ててアキに駆け寄った。いくら名前を呼んでも、彼から返事は返って来ない。消え入りそうな声で誰かに謝り続けている。


──何がどうなって……。


ㅤオリビアが戸惑っていた、その時。


「今晩は」


ㅤ鈴を転がした様な優しい声が、オリビアの後ろから聞こえてきた。


ㅤ反射的にバッと振り返ったが、そこには一人の若い女性が立っていただけだった。黒い長袖の修道服しゅうどうふくを着ていて、頭には頭巾の様な物を被っている。


「突然話し掛けてごめんなさいね……?ㅤすごく彼が苦しんでいるようだったから」


「あ、いえ……」


ㅤ彼女が首から下げている金の十字架ロザリオが、月明かりに照らされてきらめいていた。オリビアが孤児になる前、家族で暮らしていた街で似たような服装の人を見た事がある。


ㅤおそらく、この街で奉仕活動をしているシスターなんだろう……。


ㅤしかし、ふとオリビアは疑問に思った。いつから彼女は、私達の近くに立っていたんだろう。アキに気を取られていたから、気付けなかったんだろうか……?


ㅤシスターは紫色の綺麗な瞳をしていて、肌は陶器の様につややかで白い。その整った顔立ちは、まるで天使が舞い降りたと見紛みまがう様な、そんな美貌びぼうの持ち主だった。


ㅤあまりの美しさにオリビアは息を呑む。彼女は取り乱したアキに近付くと、俯く彼の両頬りょうほほに触れて顔をのぞき込んだ。


「可哀想に……。何か後悔が残っておられるのですね。私が暮らしている教会が近くにありますので、休んでいかれてはいかがでしょうか……?」


ㅤアキは虚ろな瞳で、ぼーっとしている。その様子を見たオリビアも、それが最善かもしれないと思った。


ㅤ教会には聖魔法師が居るはずだ。彼の事を何とかしてくれるかもしれない……。


ㅤシスターの提案にオリビアが頷くと、彼女は優しそうな笑みを浮かべた。


「では、こちらに。ご案内しますね」


▼▼▼


ㅤ教会は、茶色の煉瓦造りの建物だった。外観の最上部にも、金属の十字の飾りがほどこされており、弦のような植物が外壁をおおっていて、少し寂しい印象を感じた。


ㅤ大きな建物の扉を開けて、シスターは柔らかな声色で「どうぞ」と招く。アキを支えながら木製の扉を通ると、屋内はコウモリ天井と呼ばれている、天井の高い様式の造りになっていた。


ㅤ側廊の上部の壁に連ねる様に、大きなステンドグラスが設置してある。神々しい七色硝子ナナイロガラスに月の光が差し込み、色鮮やかな光が教会の床に落ちていた。


ㅤそのおかげなのか、蝋燭ろうそくの火も灯っていないのに、室内は外からの光だけで明瞭めいりょうに見渡せた。


「どうぞ。好きな所にお掛けになって?」


「ありがとうございます」


ㅤ教会の中には、木製の長椅子が二列に分かれて沢山置かれている。座っている者は誰もいなかったが、入口から一番近い椅子にアキを座らせた。


ㅤ彼は未だに憔悴しょうすいした顔をしている。心配が増したオリビアは、通路の奥に立っているシスターに声を掛けた。


「すみません。彼は大丈夫なんでしょうか……?」


「大丈夫よ。ゆるしを求める者は、しゅが救ってくださいます」


ㅤランプを持ったシスターが微笑みを浮かべ、中央通路をゆっくりと歩きながら近付いてきた。


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