第9話ㅤボロボロになったとしても。

︎︎︎ ︎︎︎ㅤあれは、陽が出たばかりの早朝だった。


ㅤ子供のオリビアが修行を始めて、ちょうど一年が経った頃──師匠がプンジャオと戦う所を、実際に見た事がある。



ㅤアテナは腰に差した剣も抜かずに、魔物プンジャオと正面から対峙したまま、立っていた。


ㅤオリビアは森の木々の陰に隠れ、その背中を真剣な眼差しで見つめている。アテナは後ろを一切振り返らずに、弟子オリビアに呼び掛けた。



「いいか、オリビア。猪の魔物の弱点は、まず鼻だ。皮膚の中で一番柔らかく、刃が通りやすい」


ㅤ魔物はアテナに向かって、真っ直ぐ突進してくる。しかし、彼女は涼しい顔をして回避しながら、説明を続けた。


「次に、首の付け根、目玉。あとは正面から見て、喉から心臓へ突き刺す事。大抵はこれで倒せるんだが……子供には、難しいかもしれないな」


ㅤなかなか攻撃が当たらない事にプンジャオは苛立ち、鼻息を荒くして力任せにまた突進してきた。


「難しい時には──」


ㅤ会話の途中でアテナは素早く剣を抜き、体勢を低くして魔物の前脚を切り付けた。


──ギャアアアオオオオオッ!!


ㅤ悲痛の叫びを上げて、魔物が地面に倒れ込む。


「──足を狙え。まずは、相手を動けなくする事が肝心だ」


ㅤ痛みで藻掻もがいている魔物に彼女は近付くと、淡々と喉元から心臓に向かって、一気に剣を突き刺した。


ㅤ貫かれたプンジャオは、身体を硬直させる。何度か痙攣けいれんしていたが、次第に動かなくなってしまった。



▼▼▼



ㅤ記憶を辿ったのは、実際にはほんの数秒の事であった。


ㅤその間にもドスプンジャリオは崩れた家屋から抜け出し、獲物の匂いを嗅ぎ分けて執拗に探している。


ㅤ隠れた家屋の陰で、オリビアは魔物の様子をうかがった。



「……よし!!」


ㅤ向かうべき方向を確認したオリビアは、柄を強く握り直すと、勢い良く戦場に飛び出した。


ㅤオリビアを見つけた魔物は目を血走らせ、地響きを立てながら追跡を始める。


ㅤ東へ向かって走っていると、次第に家屋の数が少なくなってきた。荒らされて、掘り返された畑の景色が続いている。


ㅤ東の森は、その奥に広がっていた。


ㅤドスプンジャリオが立てる大きな足音は、オリビアのすぐ後ろまで迫っている。


──駄目だ……!ㅤ追い付かれるッ……!!


ㅤ逃げられない事を悟ったオリビアは、意を決して立ち止まり、後ろを振り返った。


ㅤ魔物との距離は、わずか三メートルッ……!!


──衝突も、覚悟の上ッ……!!


ㅤ反射的に剣を構え、向かってくる魔物の鼻に狙いを定めた。オリビアは、横に大きく双剣を振るう!


ㅤ切り付けた鼻が深く裂け、ドス黒い血が吹き出した。


──ギャア゛ア゛アオオオオオッ!!!


「──ッああ!!」



ㅤ迫り来る巨体を避けきれずに、右手が後ろに吹き飛ばされるほどの勢いで衝突。


ㅤその衝撃で、五メートル程大きく飛ばされ、彼女は地面に強く体を叩きつけられた。


「──ッああ!!」



ㅤ全身に強烈な痛みが走る。


ㅤ吹き飛ばされたオリビアがゆっくり上体を起こすと、右手首が青紫色に腫れていて、動かすだけで突き刺すように痛んだ。


──これは、やばい。……折れてるかも。だけど今は、……倒れている場合じゃない!


ㅤぶつかった衝撃で剣が一本、どこかへ飛ばされてしまったようだ。辺りを見渡してみても、どこにも見当たらない。


ㅤ運良く片方の剣は、近くに落ちていた。痛みを堪えながら立ち上がり、怪我をしていない左手で剣を拾う。


ㅤ家屋を半壊にさせる程の大きな魔物とぶつかったのにも関わらず、右手の怪我だけで済んだのは不幸中の幸いであったが──



ㅤオリビアの休む間もなく、木々がへし折れる音が辺りに響き渡る。音がした方向を見ると、ドスプンジャリオは怒りと痛みで我を忘れ、暴れ回っていた。


──私がッ……倒さなければ……!!


ㅤ痛みに苦痛の表情を浮かべる。しかしオリビアは力を振り絞り、魔物に向かって駆け出した。


──たとえ私の体が、ボロボロになったとしてもッ……!!


ㅤ鼻を切り裂かれた痛みのせいなのか。オリビアの接近に、魔物が気付いている様子はない。


ㅤ近くの木々に闇雲に体当たりして、魔物の体は傷だらけになっている。その巨体の後ろ足めがけて、オリビアは力いっぱい剣を振り抜いた。


ㅤ鋭い斬撃音と共に、手応えを感じる。更に別の脚を狙って、間髪入れずに剣を振るった。


「あ゛あああああっ!!!」


──ギャアアアオオオオオッ!!


ㅤドスプンジャリオは悲痛な叫びを上げて森の方向へ倒れると、ぶつかった衝撃で大木が何本も折れて倒れてしまった。


ㅤたくさんの木々をへし折った為に、気付けば長老が言っていた森の開けた場所まで辿り着いていた。


ㅤオリビアも動く度に腕が痛んで、あまりの激痛に目が回り、意識が朦朧としてきている。


ㅤ魔物にトドメを刺さなければならない。という戦士の本能と気力だけで、彼女は動いていた。


──今、私が終わらせなければ。この魔物は、またここに来てしまう……。


ㅤ足に負った傷で体勢を崩し、藻掻もがくドスプンジャリオの正面に立ったオリビアは、魔物を見下ろして剣を構えた。


ㅤ元はといえば、作物を食い荒らされた人間側の報復と、仲間を殺された魔物側の報復から始まった、負の連鎖が引き金となってしまった。


ㅤ人には人の正義があり、魔物には魔物の正義がある。お互いの正義に従っただけだ。


魔物達かれらは、仲間思いなだけだったのかもしれない。もしかしたら、生きる為にした事だったのかもしれない……。


ㅤそれはオリビアの勝手な想像でしかない。でも彼女は何とも言えない、複雑でやるせない感情に陥った。魔物に対する同情が、トドメを刺す行動の邪魔をしている。


るなら、情けをかけるな。情けをかけた分だけ、苦しむ時間が長くなるから』


ㅤ記憶の中のアテナの声が響く。


「……ごめんね」


ㅤ痛む右手で無理矢理、剣の柄を握る。それを左手で上から支えるように握ったオリビアは、魔物の上顎から心臓に向かって、一気に剣で貫いた。


藻掻もがいて暴れていたドスプンジャリオの口から、大量の血が溢れ出す。


ㅤ見開いた瞳は虚ろになり、光をなくしていく。痙攣している大きな身体は冷たくなり、次第に動かなくなった。


ㅤ巨大な魔物の亡骸に、オリビアの剣は深く突き刺さったまま──


──オリビアもその場で力尽きるように倒れ、気を失ってしまった。


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