第2話ㅤ旅立ちの日は唐突に。


ㅤそれから数日後の朝。

ㅤいつものように起き出してくると、オリビアは家の中でアテナに呼び止められた。

「オリビア。今すぐ荷物まとめて、この家から出ていきな」


ㅤアテナの突然の言葉に、思考が停止する。


──この家から、出ていく……?


ㅤ何故、こんな事になってしまっているのか……?ㅤ一生懸命考えても、全然気持ちが追い付かない。


「え、何でですか……!?ㅤ私、この森から出た事ないんですよ……!?ㅤまだまだ師匠から教えてもらう事だって、たくさん──」


「いや……アンタに教える事は、もう何もない。一応、戦える戦士には育てたつもりだ」


ㅤ表情も変えずに彼女が返す言葉に、オリビアは呆然ぼうぜんと立ち尽くしていた。


「え、何で……。何で、こんな急に……。孤児だった私に、他に居場所なんて……」


──そう。オリビアは、元々孤児だった。


ㅤ10歳の時に嵐に巻き込まれて、両親と幼い妹を失くしてしまった。家族が生きているかどうか、亡くなってしまったのかさえ分からない。


ㅤ絶望の中、一人で彷徨っている時に師匠に拾われて、此処で二人で暮らしてきたのに……。


「いや、ずっと考えていたんだ。行かせるべきなんだって。……まずは、『デリカリア』に向かえ。冒険者になって、世のため人のために戦い、戦果を挙げてこい」


ㅤデリカリアとは、この家から見て北東の方角にある小さな街の名前だ。少し離れた場所にあり、ここから歩きで二日ほどかかると、師匠から聞いた事がある。


ㅤ冒険者が必ず行くと言われている、始まりの街だと。


ㅤアテナは腕を組みながら立っていて、こちらを真っ直ぐ見つめている。オレンジ色の髪の毛が、家の窓から差し込む陽の光で、一段と明るくきらめいていた。


ㅤそんな明るい髪の色を。その背中を追い掛けるのが、子供の頃からオリビアは好きだったんだが──


「ていうかさ、いっそ魔王だってアンタが倒してくりゃいいんだよ!」


──いやいやいや。誰も倒した事ないのに、そんなの無謀むぼうすぎるでしょ!ㅤ今は、思い出を回想してる場合じゃないな……。


「魔王討伐の話は置いといて……。最近体の調子だって、良くないじゃないですか。師匠、一人で大丈夫なんですか?」


ㅤアテナは体の調子が悪いのか、最近動きが悪くなっている。腕や足をさすっている姿を、オリビアはよく見かけていた。


「あー、大丈夫大丈夫。もう私、年寄りだから!ㅤ一人でのんびりしたいし。それに、ぼちぼち暮らしていくから全然大丈夫!」


ㅤオリビアが心配していても、屈託のない笑顔で彼女は言い返した。


──師匠はいつも強引だ。でも、こんな事を突然言い出すなんて、何かあったんだろうか……。


ㅤ「何かあったんですか?」と聞いてみても、アテナは「は?ㅤ別に何もないよ」と、言い返すだけだ。


──師匠って一度言い出したら、絶対に意見曲げないもんな……。


ㅤきっと、旅に出る以外の選択肢はないんだろうな。と、なかばオリビアも腹をくくり始めている。


「でも、師匠。私には最後まで、真剣しんけんを持たせてくれなかったじゃないですか。剣を持っていないのに、どうやって戦うんですか?」


「そう言い出すと思って、もう用意してある」


「……」


ㅤ弟子の考える事なんて全てお見通しだ。と言わんばかりの顔で、アテナは用意していた二本の剣をテーブルの上に置いた。


ㅤ装飾のないシンプルな灰色のつかで、刀身は100センチメートル。一般的によく流通しているような剣であった。


「先回りも根回しも早いな……。もう行くしかなさそうですね……」


「当たり前だろ!ㅤ嫌がっても、後ろから蹴り入れるからな!」


「ほんと師匠は強引だなぁ……」


ㅤオリビアは戸惑いながらも、早々に抵抗する事を諦めた。慣れ親しんだこの家から、旅立つ事を決意したのだった。



▼▼▼



ㅤ腰に二本の剣を差し、荷物を背負って外に出た。するとアテナも扉に手を掛けたまま、こちらを見つめている。見送ってくれるようだ。


「……師匠。私の荷物、勝手に準備してたんですね。もし私が嫌がってたら、どうする気だったんですか?」


「『ふざけるな!』って結局追い出してたかもね!」


「私に拒否権はないんですね……」


ㅤ呆れたようにオリビアが笑うと、彼女も一緒になって笑っていた。アテナとの別れがあまりに唐突すぎて、オリビアはすごくノスタルジックな気持ちになっていた。


ㅤ子供の頃は、彼女の大きな背中を追い掛けていたのに、気付けば身長を追い越してしまった。


ㅤ師匠の事が、少し小さく感じたからかもしれない。


ㅤオリビアにとってアテナは、命の恩人であり、生きる術を教えてくれた師匠であり──憧れの存在だった。それは今も変わらない。


──昔はよく、師匠に置いていかれないように、走って追いかけていたなぁ……。


ㅤそう思いながらオリビアは、丁寧にアテナに頭を下げた。


「師匠、色々ありがとうございました。師匠からの教えをこれからも忘れず──」


「そんなかしこまった、挨拶はいらねーから」


ㅤアテナは言葉を途中で遮って、何度もうなづいている。もうそれ以上は、言わなくても分かってる。と言いたげな顔をしていた。


「師匠、……いってきます!」


「ああ。達者でな」


ㅤオリビアは、アテナに背中を向けて歩き出した。新たな世界へと、力強く踏み出していく。


ㅤしかし──


ㅤその歩みは、数歩進んだ所ですぐに止まった。アテナの方へ振り返ったオリビアは、恐る恐る彼女に問い掛ける。


「……すみません!ㅤどっちに向かえばいいんですかね?」


ㅤ前途多難な、冒険の幕開けであった。

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