湖水渡り

 ――本能寺の変より二日。明智から毛利へと送られた密使を捕らえ、信長たおれるとの変報を掴んだ羽柴はしば筑前守ちくぜんのかみ秀吉ひでよしは速やかに毛利との講和を結び、五十里を越える道程を京へと速やかに取って返した。中国大返しと呼ばれる大行軍である。この強行軍が備中高松びっちゅうたかまつから摂津富田せっつとんだへの着陣までに費やしたのは僅かに八日という恐るべき速さであった。

 一方、羽柴迫るとの急報を受けた明智あけち惟任これとう日向守ひゅうがのかみ光秀みつひでは、これを京に入れてなるものかと迎撃の構えを見せる。主君のあだちという大義名分を掲げて京へと上る羽柴軍に対し、明智軍は京の治安維持を建前としてこれを阻む。

 主戦場となったのは山と川に挟まれた狭小地帯。三つの川の合流地点と接するこの地域は古来より水運にも利用される交通の要地であり、拙速を尊ぶ羽柴軍が大阪平野は北摂から京都盆地へ抜けるには必ず通らねばならぬ隘路あいろでもあった。蛇行する川と迫る山の裾野の間を走る細い街道。羽柴軍の進路となるこの道の出口を塞ぐ形で明智軍は防衛戦の陣を敷いた。

 両軍が相見えることとなったこの地を山崎やまざきと呼ぶ。ようする山の名は天王山。これが世に言う天下分け目の天王山、山崎の合戦の舞台である。

 本能寺の変から実に十日後の天正十年六月十二日。円明寺川を挟んで両軍は対峙した。

 諸将の参陣を得られず兵数で劣る明智軍と兵力では大きく勝るものの無理を押した行軍によって疲弊した羽柴軍。両者は睨み合い、明くる十三日の申の刻。雌雄を決する戦端は遂に開かれた。

 しかし、このいくさ趨勢すうせいは日をまたぐこともなく僅か数刻であっけないまでに定まることとなった。結果は羽柴軍の勝利。兵力差は如何いかんともしがたく奮戦するも明智軍は総崩れとなった。参戦していた三人の明智五宿老、斎藤さいとう利三としみつ藤田ふじた行政ゆきまさ溝尾みぞお茂朝しげともは散り散りに敗走し、光秀もまた本陣後方の平城へと撤退した。そして、その合戦当夜、光秀は退却した勝竜寺しょうりゅうじ城からひそかに抜け出したという。


 天正てんしょう十年六月十四日、未明。

 秀満ひでみつは織田の本拠を抑える目的で入城していた近江国おうみのくに安土あづち城にて、光秀みつひでが山崎の戦いで羽柴はしばに敗れたことを早馬はやうまから知った。その報に接した秀満は急遽、安土を後にして主君光秀の居城である坂本さかもとへと向かうべく馬を走らせた。

 野洲やす川を渡って、琵琶湖におのうみの南端を西へと回り、湖の岸に沿うように進んでいく。その途上、行く先の大津の地に羽柴方の兵が待ち構えたように陣を張っている。どうやら城攻めに向かうらしい。光秀が落ち延びるとすれば坂本城をいて他にない。考えることは秀満も敵も同じであるようだった。

 万の軍ではあるまいが――。

 陣足じんあしの広さから敵方の多勢を認めて秀満は付き従う手勢を振り返った。その数は五百にも満たない。万に達するほどの敵を相手取るにはあまりにも少ない兵力。だが、羽柴の追っ手が坂本まで伸びているというのは秀満にとって吉報でもあった。坂本への城攻め。それは光秀が羽柴の追撃を逃れたことを示していると秀満には思えた。

 十兵衛様は御無事に坂本へ入られたのであろう。

 山崎での敗退を知らされてから秀満の胸を騒がせていた不安が収まっていく。

 十兵衛様あっての明智。十兵衛様が息災なれば我ら明智はまだ死んでいない、と馬の手綱を握る秀満の手にも力が入る。そして、光秀が生きているならばその許へと馳せ参じるは秀満の使命であった。それは秀満に続く明智の兵にとっても同じこと。

 馬煙うまけむりを立てる自らの手勢に秀満は目をやる。その目には既に羽柴の兵とほこを交えるという固い意志が溢れているようだった。だれかれも山崎で光秀とともに戦えなかったことを心底から悔やむらしい。秀満もまた同じ思いを胸に抱いていた。光秀を敗軍の将という憂き目に逢わせた羽柴へと返報へんぽうの刃を向けるにはまたとない機会。加えて陣を乱せば城攻めへの時を稼ぐことも出来る。なにより光秀の待つ城に遅参するわけにはいかなかった。

 駆ける馬の背で秀満は敵色を窺う。敵軍は突如として現れた秀満達の接近に浮き足立ち、また数の多さのためか指揮が錯綜しているようだった。

 秀満はその隙を衝いて一点突破を図る。

「我らは一騎当千の明智の兵。憎き羽柴の者どもを討ち、坂本で待つ十兵衛様への手土産とする!」

 秀満の豪語に負けじと背後の手勢が鯨波ときを作る。威勢を挙げて秀満達は放たれた矢のように一直線に敵陣へと飛び込んだ。

 馬で踏み荒らし、槍で突く。迫る矢を叩き落としては、敵をぐ。秀満達は敵陣を縦横無尽に駆け散らしていく。しかし、切れども突けども敵陣の向こうへ抜けることが出来ない。次から次へと現れる敵にさしもの秀満にも消耗しょうこうの色が浮かぶ。どうやら羽柴の兵どもは陣中に押し入った秀満達に対して数を頼みに包み討ちを仕掛けているらしい。馬の脚を止められて勢いを殺された秀満の手勢が一人、また一人と敵兵の作る輪の中に沈んでいく。

 本能寺とは正反対の立場となった現状に秀満は奥歯を噛み締めた。

 信長を討った報いか――。

 いつしか秀満は寄せる敵に押されて打出うちではままで追いやられていた。視界の内に味方の姿は最早もはやない。秀満は羽柴方の兵を見て恨みにき立ち、血に酔ったのだと自らを省みる。万の軍に挑みかかるは無謀であった、と今更ながらに秀満は息を吐く。

 いくさを求め、血を求める。

 秀満は誰よりも己が光秀の望む泰平の世に不似合いであると知っていた。それでも秀満は光秀の語る理想を叶えたかった。その志を希求し、その願いを切望していた。光秀と同じ世をともに夢見ている間は明智の旗のように自身も清廉でいられる。そんな気がしていた。秀満は光秀のようになりたかった。光秀のように在りたかった。

 けれど、秀満の手は今も血にまみれている。その血は敵を討った誉れであり、けがれでもあった。だが、そこに秀満は誇りを感じない。手に残った色は秀満にいよいよいとわしく映る。

 秀満は我知らず自らを囲む敵に背を向けた。手綱を引き、打出の浜、その岸辺へと馬を走らせる。そして、そのまま秀満は馬とともに水の中へとその身を浸した。秀満はしとどに濡れた自らの手を見る。血の色は薄まれども消えることはなかった。

 岸へと寄せる細波さざなみに矢が突き立つ。包囲から離れた秀満にここぞとばかりに射かけるらしい。その矢が立てた飛沫しぶきに驚いたのか馬がいななき、身を起こした。一段高くなった秀満の視界に坂本城の天守が映る。

 ――十兵衛様。

 秀満は馬の頭を巡らせた。視線の先には坂本城。秀満はにじり寄る敵には構わず、光秀のもとへ向かおうと鞭の代わりに槍の石突きを馬に入れる。再び馬が嘶き、猛然と水を掻き分けた。徒歩で近づく敵兵を秀満の跨がる駿馬しゅんめは蹴散らし進んでいく。

 におうみ水際みなぎわを秀満は馬とともに駆けに駆ける。追い縋る歩兵はもとより包囲を遠巻きに見ていた騎兵も秀満には追いつけないようだった。秀満はまるで湖水を渡るが如くに疾駆する。その疾走を止めることの出来る者など一人としていなかった。

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