恐るべき一喝

 本能寺を取り巻くように包囲する明智あけちの軍勢。その最前線、第一陣の只中ただなかに将として秀満ひでみつはいた。

ったか」

「いえ、仕損じたようで」

 物見ものみの報告に秀満は自らも寺の内側へと目を向ける。欠けるように崩れた塀から垣間見えたのは手傷を負った様子もなくそびえる如くに立つ信長のぶながの姿であった。

 銃火は信長をえぐりはしなかったらしい。信長は案ずるなとでも言うようにそば近くに侍る小姓こしょう衆に声を掛けているようだった。その年若い面立おもだちの武者達の中、一際ひときわ戦場いくさばには似合わぬ雪肌せっきの白さが秀満の目を引く。もり蘭丸らんまる。その柔膚にきはだにもどうやら傷は見られない。信長ともども悪運が味方しているようだった。

「運の良い奴らめ」

 秀満は不満気にそう呟く。しかし、果たしてそれは真に運のみの仕業であったのかと瞬刻しゅんこく、秀満は呼吸を忘れた。視界の先に佇む信長から放たれた鬼気に身がすくむ。秀満は信長から目を離すことが出来なかった。徒手無刀としゅむとう。戦においておよそ裸同然の男にその場の誰もが息を呑んだ。

わしに筒を向けるか。第六天魔だいろくてんまの怒りを知らぬと見える!」

 種子島たねがしまなにするものぞと胴間声どうまごえは地を揺るがし、他を睥睨へいげいする眼光は寄せ手の心胆を寒からしめた。圧倒とは正にこれを言うのだと秀満は畏怖の感を強くする。

 第六天魔王とは口先だけではない。

 信長の持つ蓋世がいせいの相を目の当たりにした手勢が怖じ気づいて火の消えたように意気がしぼんでいく。だが、そのまま気圧されるわけにはいかないと秀満も負けじと気焔きえんを吐いた。

おくするでない! うつけの遠吠えなど聞くに及ばず! 筒を構えろ! 矢をつがえよ! 間合いの分は我らにある。敵は本能寺に在り! 信長の首級しるしを挙げてみせろ!」

 伝播でんぱする信長の鋭気に消沈しかけた士気を秀満は自らの元になんとか手繰り寄せる。光秀の志を一声の下にくじかれるわけにはいかなかった。直ちに秀満の指揮の下に作られた矢衾やぶすまが一斉に弓を引く。秀満は筒を構え直した鉄砲衆にも目をやって、いくさの庭に声を張り上げた。

「――放てぇ!」

 光秀の志のため、血に汚れるは秀満の役目だった。

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