天下人の横顔
急を告げるべく
「上様、失礼
蘭丸が
「
ゆらりと立ち上がった
「恐れ多くも
「ほう。また、誰ぞ
「
「……
その呟きに蘭丸は思いがけず虚を突かれた。
その
「――是非もなし」
信長の声で蘭丸は我に返る。蘭丸の非礼を見咎めもせず、信長はつかつかと障子戸へと歩み寄っていく。そして、音を立てて戸を開くと、そのままの勢いでその身を
「上様、危のうござる」
「構わぬ」
蘭丸の制止に信長は耳を貸さず、塀の向こうを鷹揚に眺めている。その視線の先を追うと
「十兵衛め」
笑うように呟いた信長が蘭丸に向き直る。その視線を蘭丸は正面から受け止めた。
「蘭丸よ。そちは十兵衛を見知っておる。そのはずであったな?」
その言葉は先日の
「はっ、
ふん、と信長は蘭丸の返答につまらなさそうに鼻を鳴らす。
「であるか。では、かかる仕儀をどう見る」
蘭丸はその問いに窮する。答えを持たぬからではない。その答えが明らかだからこそ蘭丸は答えることが出来なかった。
真にこの本能寺を囲うが明智十兵衛光秀であるなら、万に一つも逃げ場などない。かの御仁が誰あろう他でもない我らが主君、
短慮を起こさず、軽挙を慎み、万全を期す。それが蘭丸の知る明智十兵衛光秀という将の在り方。つまりは
蘭丸の逡巡を見て取ったように信長はしわぶきにも似た微笑を漏らした。
「我が近習はまこと英哲よ」
「……上様」
「隠さずともよい。十兵衛めに手抜かりはない。あやつに限ってな。儂が誰より知っておるとも。――儂は
当世において最も戦に長けた織田家の
恐れはない。あとは武士に生まれた者として恥じぬ死に様を蘭丸が見つけられるかどうか。その一事のみ。
「恐れながら、この
「であるか」
「はっ、命に代えても」
それは蘭丸の偽るところのない本心であった。
「……大儀である」
信長の返したその言葉は
尾張のうつけと呼ばれ、その
蘭丸に向けられたのは憐憫。信長の瞳にも言の葉にもありありと宿る憐れみを蘭丸は感じていた。
蘭丸は自らの不甲斐なさに歯噛みする。
未熟ゆえに及ばぬのか。若さゆえに不憫と惜しまれるのか。
蝶よ花よと
蘭丸の動揺をよそに信長は小姓衆に槍を持てと下知を送った。すかさず運ばれた槍へ信長が手を伸ばす。
その時、明けやらぬ暁の静寂を種子島の轟音が引き裂いた。
音とともに形を持った死が飛来する。
蘭丸と向き合う信長は寺内を囲む塀に背を向ける形で身を
織田家中にあって銃の威力を知らぬ者などいない。長篠にて、かの武田軍を
上様の身に大事あらば死んでも死にきれぬ。
蘭丸は泡を食って叫んだ。
「上様っ!」
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