さあ、手を取ってマイ・マスター





老朽化に伴って、壊される蔵。

薄まった埃の香りが妙に寂しい気持ちにさせる。

もう、今にはない情景をどこかに探して。





……



涼しげな青年がいた。

栗色の、短く切り揃えられた髪を夏風にそよがせて、ぴしりとした服を緩めながら彼は歩き行く。暗くなりつつある外から逃げるように、館の方に向かっていく。


そこは古びた館。

その玄関口の前に、佇む小さな影。

出迎えの礼をする、子どものサイズの人影を見て、青年は嬉しそうに歩調を早くした。



「ただいま、ロザリィ」


「お帰りなさいませ、ご主人様。

今日は随分遅かったわね?」


夕暮れの橙の光と交じり、濃い緑に光を放つ瞳はそう微笑んで、並んで館の中に入っていった。





……



「今日は、会食だったんでしょ?

作ってはいるけれど要らないかしら」


「いや、頂こうかな。今日の外出はフィールドワークとかも兼ねてたからお腹が空いてね。ああ、それと…」



エドがそこまで言って言葉を止める。すんすん、と彼の身体の周りを犬のように嗅ぐ、ロザリィの姿に動きを止めたのだ。

鼻をそう動かす事に理由はあまりない。ただどちらかというと、人の真似をすること自体に意味がある。


くす、とそれに困ったように笑う。その上品な動作は長く社交場に身を置いた故に身に付いたものだった。

そこはある舞踏会を機に、身を浸すことになったもの。変人としてでも、それでも認められる事となったそれ。



「酷い香水の臭い。やあね、品のない」


「そう思うかい?なら良かった」


「ふうん?」


「僕もそう思ってた所だった。

入念に洗っておいてくれ、ロザリィ」


「ええ、分かりました。

…大変そうねぇ、色男も」


「何、ただの付き合いだよ。

相手方もきっとそのつもりでやってるさ」


「ならいいけど」



そうして、ぷいとそっぽを向いた人形を、ふっと笑いながら早歩きで追いかけて、そうして後ろから抱きすくめる。その大きさの差異からして、親子のようにも見える形だった。

暫く、それに対して抵抗していたロザリィも暫くそうしているうちに静かになっていた。



「…僕だって、くだらない人間たちと付き合いなぞ持ちたくはないさ。君と以外、擦り寄ってくる相手と話もしたくもない。それでもキミが好いてくれる僕のままでいるためにはこうしていなきゃならないんだ。だから許してくれないか?」


「僕が愛すのはキミだけだ。

生涯、何があろうと君以外を愛しはしない。

だからそう、臍を曲げないでくれ」


「……ふん。キザ、を通り越して気持ち悪いわエド。ううん、どうしてこうなっちゃったのかしら。私の教育が悪かったの?」


「ハハっ、安心してくれ。

外では面のいい紳士で通っているさ。

人形にうつつを抜かす変態ではなくね」


「ならそれを私にも見せてほしいのだけど」


そう腐しながらも、髪に櫛を通すような丁寧な撫でに満更でもないように。その手に手を取り、頬にまで動かしてそのまま動かせるまでした。


「さ、そろそろ離して頂戴。折角の夕餉が冷めてしまうもの…ああ、そういえばあの手紙がまた来てたわよ。読む?」


「いい。どうせ同じ内容だろう。

捨てておいて…いや、僕が捨てておく」



エドは机の上に置かれていた手紙の幾通かを手に取って、そのまま暖炉にその手紙を投げ捨てた。


焼けて落ちていく便箋の中身に、我が愛する息子へ、また共に──という女性的な細い文字だけが一瞬見えた。

それを、ただ冷たい目で青年は見つめる。

だがそれすら長くは続かず、興味を失ったようにまた席に座った。そうしてから、今から出される料理は何かということを考える事のみに思考を使う事にした。



「よかったの?お母さんからの手紙でしょうに」



「僕に、母上なぞいない」


「そ。エドがそう言うならそれでいいわ」



機械的に、無表情にそう口にしたエドはその一瞬のみで、ただその後には人形に見せる柔和な笑みだけがあった。

彼がロザリィに見せるのはいつもこうした柔らかい顔だ。



……いつかはまた、そうして目を逸らすにも難しい事がある。起きる。だけれどそれは、先の事。彼女がどのように造られたと知るかも、先の事。いいや、きっとついには無いかもしれない。目隠しをするということは、つまり彼らの幸福だ。知らなくて良いものの存在を、知った上で知らなくていい。


存在があるとしても、それを敢えて知らずを願い、目を隠す。そうして目の前にある呪いのドールにだけ目を向ける。


ドールに、堕ちていく。

ドールが、堕ちていく。

ドールたちは、堕ちていく。


古い、古い蔵の奥より見出された呪いは日に日にその暗さを増していく。そうして、それを止める者は誰もいない。





……




また、少しだけ時間が飛んで。

彼らはある場の前に立っていた。



「だいぶ、解体が進んできたわね」


「ん…そうだね。あっという間だった。老朽化が相当に進んでいたみたいで、壊すのもすぐに済んだそうだぞ」


「私が中にいた時の時点で相当に放置されていたものねえ…あ、そうそう。他にあった中身は二束三文にもならないがらくただらけだったわ。ほんの少しでも、値打ちのあるものがあったなら、他にメイドを雇えると思ったのだけど」


「ま、それはそうだろう。叔父の見る目はまるでなかったしな。あの蔵に君がいただけでも奇跡みたいなものだ」


「ほーんと。私も箱の外装だけで買われてたみたいだし。まったく、失礼するわよね」


「まあ、ボクはそれのおかげで助かったんだ。だからこの蔵と、叔父には感謝してる。

あ、あと僕にメイドなんて要らないよ。ただでさえこの馬鹿でかい館の維持で精一杯なんだ。そうしてる余裕だってない」



そうして改めて、壊れ果てて青空の下にある蔵をしんみりと眺め見る一人と一つ。気付けば、青年は涙ぐんで、しゃくりあげる寸前にまでなっていた。それにいち早く気づいたロザリィが、ぷふっ、と吹き出す。



「あっきれた!なんで泣くのよ、貴方!

くすくすくす、へーんなのお!」


「ご、ごめん。なんだか、急に寂しくなって。ここが、ここでキミと出会ってから、ずっとボクは、なんていうか、ここが好きだったんだ。だからこれが無くなるってなると、急に…」



「泣き虫エード。貴方はちっとも変わらないわね」


「私は、今ここにいる。どんな場所でも、私が共にいてあげる。ここが私を見つけたから特別な場所になったのなら、貴方のいる場所の全てを特別にしてあげる。だからこんなちんけな蔵に愛着なんて持たなくていいの。こんな、壊れたものを。こんなのを」



ぐい、と慰めるように彼をそっと抱きしめながら、しかしどちらかというとその力は強く、どこか糾弾するような感覚だった。それに、きょとんと青年は涙を拭いた。



「ロザリィ?なにか…怒ってる?」


「別にぃ。何にも怒ってなんか無いわよ。

私よりも、私のいた場所に泣くほど関心を抱いてる貴方に、そんな怒ってなんかいるものですか。ふん」



不思議な、感覚だった。なるほど彼女はこれ以上なく人間に近しく、故にこそ人間では無い。だからつまり、『自意識は物のまま』なのだ。


だから何が言いたいかというと、つまり、彼女はなんというか。人によりも、物に色濃く嫉妬をする、のだ。自分以外の、主人の興味を引く物に対して強く強く、憎しみのような心を持っていた。

自身が居たというだけで、泣くほどに想って貰えているこの古びた蔵が気に食わなくて仕方がなかったのだ。


それを、初めて認識し、その、いじらしさに。

また、彼は呪われていっていた。

どんどんと、呪いは深まっていった。




……




「ねえ、ロザリィ」


「なあに?エド」


「どうしてキミは、僕に寄り添ってくれたんだ?」



色々なものが、変わって行った。

だけれど、そこだけは変わらない。

大きな樹の下で、まるで少年の時のように。

エドはゆっくりと横になっていた。

その横には、縫い物をしながら寄り添う人形。


ぴたり、と縫う手を止めてロザリィはううん、と唸る。



「どうして、って?」


「あの時の僕はものを知らない、噛み付くしか知らない馬鹿な餓鬼だった。君がその気になればあんな餓鬼程度らそれこそ何も考えられない傀儡にする事も出来たはずだ。

なのにどうして、寄り添ってくれたんだ?」


「くす、どうしてもなにも…昔、言ったでしょう?私のご主人様なんだもの、私に見合うくらいの素晴らしい男になってもらわないと、って思ったのよ」



ざああ。風が吹き、大樹の枝枝が揺れる。

その青葉の匂いが心の奥底を露わにした。



「…貴方は、私を高価な箱の中に閉じ込めることはしなかった。心の底から、造られたものと軽んじることもしなかった。だから、私は貴方に寄り添ってもいいと思ったの」


「その判断は、大正解。貴方はこんなに素敵な男になって、何より私を…ふふふ。ほんと、変態さんだけど。レディ、と手を取ってくれるようになったのだから」



「……嬉しかった。本当に」



そっと、横になったままの青年の頬を愛撫する。

そのうっとりとした顔はまるで子を見守る母のようであり、そして発情した情婦のようであり、また同年代に恋する純真でもあった。


エドもまた、その手の冷たい感覚に心地よさげに目を閉じた。



「それにね。あの時、貴方があの蔵に入ってきて、欲望を、愛を。誰かに愛されたいという欲を得て、きっと私は動き出したの。貴方のその渇望を、満たしてあげたいというのが、レゾン・デートルだったの。そうして、愛してあげることが……」



冷たい手の感覚と、声が続く。

生物学を学び続け、それに精通したエドはつまり、その手の冷たさが何から出来ているからか、彼女がどのようなものから出来たからかいうことはとうに分かっている。どのような悍ましい製法かはわからずとも、その『素材』から、どういったものなのかはわかっている。


その、上で。

彼はこの世で最も美しいものに口付けをした。

立ち上がり、その手の甲と、頬に一度ずつ。



「レゾン・デートルか。ならきっとボクもそうだ」


「君に出会って、あの時、君にロザリィという名を付ける事が、僕がこの世に産まれて、存在する理由だったんだ」



くす。

微笑みの音だけが、響く。



「大げさね。

……満更でも、無いけど」




きりきりきりきり。

人形が、動く音。

その、途端に人でないことを教えるような音は、敢えて出した音であり、また、それが出るということは人らしくではなく、ただ人形としての本性をそのまま表している、ということでもある。


きりきりきりきり。

無表情に見えるように、顔を近づける。

執着、偏執をそのまま表したように。

人形は、無機質に笑う。



「ねえ。あなたは、これから色んなものを知っていきなさい。色々な人と出会い、色々な光景を見て、そして色々なものを好きになって。そして…」



「そして、その上で私の所に戻ってきなさい。だって、あなたが私を人形から、淑女のロザリィにしたんだもの」



「ねぇ?あの日、私をただのゴシックドールじゃなく。レディ・ロザリィとして手を取ったのだから。私を、そうしてしまったのだから。貴方はその責任を、ちゃあんと、取ってね?」







……




…彼らには、未来がある。

つまりは、その先にあるものは、悲劇と狂気。

だからこそそこで見ることをやめるに意味がある。

いつかはまた避け得ない別れがある。

だけれどそこをまで、見なくても良い。


彼らの呪いは、それでも。

ただ間違いなく。

幸福を、作ったのだから。

だから堕ちて、それでいい。

だから二人は、貴方に会えてよかったと。


人形の愛は、そうして彼を幸福にしたのだから。






……






…さあ。

今日もどこかで、声が聞こえる。

古びた館。

一人と一つしかない、そんな場所。

ただ、小さな手を取る紳士の姿。


云うには、こんな風。




「レディ・ロザリィ。

お手を取っても宜しいかな?」


「お願いしますわ。マイ・マスター」






……




でぃん、でぃん、どん。

これにて、この人形劇は、お仕舞い。


その先の悲劇からは、目を逸らし。

そうしながら、御足元にはご注意を。



それでは、ご機嫌よう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

高慢ぼうやはゴシック・ドールに呪われる 澱粉麺 @deathdrain510

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ