あなたに会いたい

@mure_rinne

第1話 立夏

秘密なんて、ひとつもいらない。

僕たちは、ただそこに在るだけでよかったのに。




 「……春」僕は、不服そうに彼を睨んだ。

彼――宮瀬春は軽快に笑う。

 「貴文のばーか」春は昼下がりの猫のように悪戯っぽく、瞳を揺らした。

 僕のアイスキャンディを手にした春は、白桃味をひと舐めし、満悦している。僕は春に甘い。

 酷く暑い夏だった。

ふたつの自転車は青年たちに押されている。

僕の左手首に巻き付いたアイボリーの時計が、午後三時半を指した。

 「変わらないな、中学校の時と。」信号が赤になったのと同時に、僕は呟く。そこには日陰もなく、うざったいくらいに太陽が照っている。

 秋原貴文という名の生を授かってから、僕はこの都会とも田舎とも言えぬ半端な街で暮らしている。

 保育園から高校に至るまで、街の子供たちは同じ学舎で学生時代を過ごす。

 隣に居る春、ただ一人を除いて。

 春は、中学二年生の時にこの街にやってきた。

 信号が変わり、二人は再び歩き出す。

 「そうかな、僕にはずいぶん変わったように思えるけどね。」

 微笑みかける春の髪が、風に攫われかけている。こんな辺鄙な街に囚われるべきでない春の美貌を、心の底では誰もが畏れていた。

 「クラスも、帰り道も、制服だって変わったじゃないか。」

 木陰に入った春の皮膚に、西洋絵画のような煌めきが宿る。

 「でもさ、」僕は言いかけて口をつぐむ。

もしかしたら、二人は変わらないっていう考えは僕だけのものかもしれない。突然黙る僕を見て、春はいつもの顔をした。

 春のいつもの顔とは、僕の話を静かに聞くときの顔である。少しだけ緩んだ頬に、軽く伏せた瞼。遮ることなんて絶対にせず、次なる言葉をいつまでも待っている。

 そんなとき、背後から自転車のベルの音が聞こえた。乱雑に、何度も繰り返されるその音を鳴らしているのが誰なのかは、この街に住まう者ならば簡単にわかることだった。

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