第तीन話 勇者の独房

 ロミエッテ王国・王城・地下牢。


「アラお客サン。お久しぶりネ」


 勇者ナン・オカワリスルカは、独房を魔術的な工房に改造していた。



 地下牢に踏み入ってまず気付いたのは、スパイスの香りである。

 時折貴族が取引する香辛料……より、もっと複雑で、刺激的で、毒物に関する知識がある私でなければ、これを毒気として扱っていただろう。


「一名サマ? 席は……うん。アッチ空いてるヨ!」


 匂いの中心は、ナン・オカワリスルカの独房。

 独房、の筈である。


 そこは、工房と化していた。

 象の頭をした邪神の像が飾られ、酒瓶を掲げる乙女の絵画が至る所に貼られ、『QR決済デキマス』『ランチセット\1200』『ナンおかわり無料』『疲れたら休みマス』『辛さえらぶヨロシ』といった呪文が端々に刻まれている。

 奥には香ばしい煙をあげる鍋が煮込まれており。


 その手前には机と椅子が並び……地下牢の罪人たちが、生贄のごとく座っていた!



「ナン、ナンうまい」「カレーおかわり!」「タンドリーチキンうまい」「なんで本場のカレーって水っぽい時あるんでしょうね」「チーズナンだけで良いよ」「このビールなに? インドの?」「なんかイチゴの味するらしいですよ」「へー」


 謎の会話を繰り広げる罪人たち。

 勇者ナン・オカワリスルカの正体は、人の精神を蝕む黒魔術師だったのか?


「お客サン?」

「ゆ……勇者! ナン・オカワリスルカよ!」

「一枚目も食べてないのにオカワリデキナイネ」


「ロミエッテ王国宮廷魔術師第四位階、『蝕毒の』イルミアの名で問う!

 貴様、王に何を食わせた!」


 勇者ナン・オカワリスルカは、慈悲に溢れた瞳で答えた。


「ナン」

「ナン、だと……!?」


 ナン。

 なんだ、それは。


「練って発酵して焼く、パンの一種ネ。日本人みんなナン好き。

 でもでも、タンドゥール(ナンを焼く窯)少ないからネ。ウチみたいなジョートのナン、インドでもナカナカナカ食べられないヨ。

 北インドのリッチなお店でワンチャンス。

 南インドでは絶対食べられないヨ。それがオカワリムリョ。お得ヨ~!」


 ほぼ理解できなかった。

 しかし、パンの一種だとは聞き取れた。なるほど。

 なるほど?


「貴様、宮廷魔術師に虚言を申すか!」

「キョゲン……チョト日本語難しいネ」

「嘘をつくな、と言っている! あとニホンゴとは何だ!?」

「ナンだ?」

「ナンじゃない!」


 とにかく。


「たかがパン1枚で、我らが国王陛下が狂う訳がない!」


 私の問いに、ナン・オカワリスルカは眉をひそめた。

 答えに窮しているらしい。

 しかし、ナン・オカワリスルカの代わりに、声をあげる者がいた。


「……宮廷魔術師さんよォ」


 罪人である。

 ナン・オカワリスルカの工房で椅子に座り、謎の言語で会話していた罪人……それが立ち上がり、私に向かってきた!


「まずは食ってみなぁ!」

「ぎゃー!?」


 私は宮廷魔術師第四位階『蝕毒の』イルミア。

 その専門は魔法薬学であり。

 ……罪人の筋肉には、ちょっと勝てない!


「はむぐっ」


 口に突っ込まれる、あたたかい何か。

 はじめはふわっと。

 歯を入れるとサクっと香ばしく。

 咀嚼すると、ふんわりと、全てを小麦の愛情が包み込む……。



「……ナン」

「お客サン。ナン、おかわりスルカ?」


 おかわりした。

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異世界インド人 ~全人類にナン食わす~ @syusyu101

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